尽期にて
碁は将棋よりも野蛮だ、と父は言った。なぜです、と私が尋ねると、父は澄まし顔で答えた。
「将棋は指すものだ。しかし碁は打つというな。どうだ、指すよりも打つの方が野蛮ではないか」
音としては将棋の指す、も刃物の刺す、と聞こえるため、私にはどちらもどちらと思われた。
そんなことを思い返しながら、私は刀を構えなおした。足袋で地を踏みしめた。脳天から足裏まで、一本の軸が通っているかのごとく、身を引き締める。吐息の出入りにさえ震えるほど、肺腑と手足はゆるやかに活かす。居ついてはならない。固くなってはならない。正眼においた刀を、体の延長と成すのだ。
一陣の風が、私の背後から切っ先の方へと吹き過ぎて、風の向こうで、伊集院が笑った。考えに凝り過ぎている私を嘲っているのだろうか。いや、上段に構えた刀をちらつかせ、丸太のような腕を誇示しているだけとも映る。私は素早く、あごを伝った冷や汗をぬぐった。
彼我の間はおよそ、二間といったところだ。進まんとする足の爪先がひりついて止まる、そんな間合いを突き崩すことができぬまま、既に四半時は経っただろうか。最初は犬の子一匹見かけなかったこの土手にも、今やちらほらと見物人が現れている。無責任な野次を飛ばし、あまつさえ、賭けごとにしはじめている者もいた。伊集院の一挙一動から目を離せない私からすれば、目障りであり耳障りである。
と、伊集院がわずか、右手の握りを締めた。来るか、と身を固め、慌てて緩め、私は相手の刀に動きを合わせるように、切っ先を引く。相手の振りおろしに対し、切っ先で逸らして喉へ突きを決めんとする構えだ。それを読んだか、伊集院も刀を下げ、正眼におくことで私の一手をけん制してきた。
こうして、互いの奥義の応酬が、目には見えぬ考えの読みあいとして続いてきた。だが、長きにわたる対峙により、彼我の腕の差は明らかとなりつつあった。伊集院に対し応じる私の動きは次第に生彩を欠き、弾指の間というべきわずかな時だが、構えに隙が生じることがあった。一方で伊集院は集中を欠くこおもなく、むしろ時が経つにつれ動きが研ぎ澄まされてきたと見えた。
常に二、三手先を読まれているかのごとき不気味さが、たしかにそこにあった。笑んだような伊集院の表情が、かえって恐怖をあおる。憎き敵、父の仇だと思いを唱えてみても、死中に活路を見いだせない。遠雷のようにおどろおどろしい太鼓の音が聞こえてきて、とうとう恐怖でおかしくなったかと自分に呆れたところ、音の正体が己の心の臓の鼓動であると気づき、情けなさに涙が落ちそうになった。
万事休す。打つ手なしか。そうして気が後れた、その時には遅かった。猿の叫びがごとき発声の響きが耳を覆った。二歩で勢いを載せた伊集院の一太刀が、斜めがけに私の左肩から右のわき腹へ抜けていく。あっと悲鳴が聞こえた。出所は己の喉だった。次いで、駄目押しの逆袈裟斬りが、悲鳴すら断って、伊集院が遠のく。
もはや、悲鳴どころか息するだけで精いっぱいとなった。こわばった肺腑は、徐々に息を溜めることもかなわなくなり、とうとう私は倒れ込んだ。体の重みで傷口が押し開かれ、斬られたその時よりなお痛んだ。
のたうつ体の、端から力が抜けていく。指が震え、刀が離れた。気が後れた時、負けていたのだ。私の生は、人後にて果てる。