05.野獣の正体
どれくらい時間が経ったのだろう。元々薄暗い森はさらに暗さを増していた。もうすぐ夜がやってくるのだ。自分が今どの辺りにいるのかもわからないままオフィーリアは深々とため息をついた。
一体、何をしているのだろう。
クレヴィスの言葉に頭に血が上り、衝動的に城を抜け出し、森で迷子になって。
……行く当てもないというのに。
オフィーリアは自分の情けなさに泣きたくなった。とりあえず歩き続けよう、そう思い再び歩き出したオフィーリアの耳にカサリ、と音が聞こえた。その音にビクリ、と肩を揺らし、振り返ったオフィーリアの顔から血の気が引いた。
そこにいたのは、狼だったのだ。しかも一匹ではない3匹、いや、5匹はいる。震える身体を抑え、オフィーリアは狼たちから眼を反らさずにゆっくりと後ずさった。
オフィーリアはにじり寄って来る狼たちに注意しながら勢いよく茂みにむかって駆け出した。無我夢中で走る。狼の唸り声が追ってくるのが聞こえる。オフィーリアは自分に命令する。
走れ。走れ。走れ。もっと速く!!
しかし歩き通しだったオフィーリアの足は意志に反して少しずつ動かなくなる。そして、とうとうオフィーリアは足がもつれ転倒した。すぐ傍まで迫っていた狼たちはあっという間にオフィーリアを囲んだ。
死んでも構わないとさえ思っていたのに、いざ死が迫るとこんなに恐ろしいのか、とオフィーリアは自嘲気味に笑った。
どうせ死ぬのなら、もっとクレヴィスさんとお話しすればよかった。
オフィーリアの脳裏に浮かんだのはあの飄々と笑う金髪碧眼の青年だった。少し寂しそうなあの瞳。まるで、独りぼっちの子どものようだった。どうして、そんな瞳をするのかと尋ねたかった。
あなたを知りたかった………。
「勝手に死なないでよ。」
死を覚悟し、眼を瞑ったオフィーリアの耳に届いたのはあの飄々とした声と狼の叫び声だった。驚きに眼を開けば、オフィーリアを庇うように一匹の獣がそこにはいた。
ライオンでも、狼でも、熊でもイノシシでもないその獣は正に野獣という言葉が相応しい姿をしていた。でも、その声は………。
「勝手に城を飛び出すからこういうことになるんだよ。」
振り返った野獣の恐ろしい容姿にクレヴィスの面影を見て、オフィーリアは驚きに眼を瞠る。あの美しすぎる青年と醜い獣は似ても似つかないのに、でもその声はクレヴィスのものだった。
「クレ、ヴィスさん……?」
半信半疑で尋ねれば野獣がその青い瞳を切なげに細めた気がした。何も答えぬまま野獣は前を向き、狼と対峙する。
そして恐ろしい咆哮が森に響いた。その咆哮に狼が怯んだ隙に野獣は狼たちに飛びかかった。5匹の狼を蹴散らし、しかしその腕からは血が滴っていた。
「……!!」
オフィーリアは恐怖で震える身体を無視して野獣に駆け寄った。その毛で覆われた太い腕を掴み見れば、そこはぱっくりと開いていた。
「どうしよう、こんな…!!どうしよう…!!」
オフィーリアは自分のスカートの裾を破るとそれを腕に巻き、止血を試みる。しかし深い裂傷からは血が溢れて来る。泣きそうな顔で自分の腕を抑えるオフィーリアに野獣は眼を瞬かせる。
「あんた、怖くないのか…?」
「こ、怖いです!でも、でも、クレヴィスさんなのでしょう?」
涙の滲んだ瞳でオフィーリアは野獣の、クレヴィスの青い瞳を見つめた。その瞳は不安気に揺れていた。それはオフィーリアの言葉が正しいことを表していた。
「助けてくれてありがとうございました、クレヴィスさん。」
そう言って微笑めば、青い瞳を驚きで瞠り、そして静かに眼を閉じた。
「うん。」
その後迎えにやって来たランドールの治療でクレヴィスの腕を止血し、3人は城へ戻った。
「それじゃあこれで傷を消毒してもらえる?俺はその間に治療道具をとってくるから。」
ランドールはオフィーリアにお湯とタオルを渡すとクレヴィスの部屋を出て行った。
初めて入るクレヴィスの部屋に戸惑いながら入り口に立ち、眺めていた。クレヴィスの部屋にあるのはベッドと何かの勉強をしているらしい散らかった机、それから高級そうなソファとテーブルだった。
「座れば?」
野獣の姿のクレヴィスが呆れたように声をかける。
「あ、はい。」
オフィーリアはおずおずとクレヴィスの隣に座り、お湯に浸したタオルを絞った。
「腕、見せてください。」
「いやだ。」
「いやだって…。これじゃ消毒できません。」
「別にしなくていいよ。」
「だめです!もう!子どもみたいなこと言わないでください!」
そうオフィーリアからお叱りを受けるとクレヴィスは渋々止血された腕を出した。包帯を丁寧に取り、オフィーリアの動きがぴたり、と止まった。傷が治り始めていたのだ。
「だから必要ないって言った。」
「それでも、消毒はするべきです。」
タオルで優しく傷に当てる。
「っ!!」
沁みたのか、クレヴィスは表情を歪ませた。そして恨めしげにオフィーリアを見た。
「もっと優しくやって。」
「やっています。少しの辛抱ですよ。」
暫く無言であった2人だったが優しく傷跡を拭いながら、オフィーリアが口を開いた。
「あなたが、野獣だったんですね。」
「そうだよ。昼は人間、夜は野獣。そうゆう呪いをかけられたんだ。」
誰に?そう問おうとしてオフィーリアは口を噤んだ。クレヴィスがどこか遠くを見つめ、悲しげに瞳を揺らしていたから。今はまだ、聞いてはいけないと思った。
「怖い?」
向けられた青い瞳に悲しげな色はもうなくて、それを悲しく思いながらオフィーリアは首を振った。
「全然怖くないって言ったら嘘になります。でも、私はあなたが知りたいです。」
「……まいったな。」
小さく呟かれた言葉は嬉しさと気恥かしさと戸惑いが含まれていた。人間味のあるその言葉の色にオフィーリアは初めて、クレヴィスの前で笑った。