04.少女の抱えるもの
オフィーリアがこの城に来てから大分日が経ったが、クレヴィスとオフィーリアの関係は変わらずすれ違いの日々だった。
接触らしい接触はあの日、書庫で少し話したくらいだ。
彼はオフィーリアが食事を取る時間に食堂に現れない。ランドール曰く、食事を取りに降りては来ているらしい。
「そんなに私が嫌いなのかしら。」
嫌われるようなことをした覚えなどないのだが。そもそも彼と会わないのだから彼に対して何をしようもない。大きくため息をつくオフィーリアにクレヴィスは苦笑した。
「あの人も憶病な人ですから。」
あの失礼極まりない男の何処が憶病なのだろう。全く理解できない。
これ以上クレヴィスのことで頭を悩ませるのも莫迦らしいと思ったオフィーリアは食べ終わった食器を洗い、ここにきてから毎日通い詰めている書庫に向かおうとした足を止めた。
「ねえ、ランドール。」
「ん?」
「…ごめんなさい、やっぱり何でもないわ。」
オフィーリアは首を振り、再び歩き出した。
彼は私の料理を食べてくれるかしら。
オフィーリアはそう尋ねようとした。しかし、関わるな、と言ったクレヴィスの言葉が頭を過り、口に出すことが出来なかった。
いつものように本を選んでいるとここの書庫では珍しい部類の本を見つけた。
ここにあるのは魔法関係の本であったり論文であったりするのにそこにあるのは小説だった。
それも童話。
あの男がこんなものを読むのだろうか。オフィーリアはそれを開くこともせず元の場所に戻した。オフィーリアは夢のある童話のような話が嫌いだった。
「あれ?読まないの?」
真後ろから声が聞こえてオフィーリアは反射的に振り返った。するとすぐ目の前に空のような青い瞳があった。
「……!!」
驚きに息が止まる。だというのに目の前の男は楽しげに笑っている。自分ばかりこんなに動揺していて、オフィーリアは相手を憎らしいと思った。
「ち、近いです!」
「はは。初心なお姫様だな。」
羞恥に顔を赤くしているオフィーリアをクレヴィスは至極楽しそうに眺めた。そして徐にオフィーリアに向かって手を伸ばし、彼女の薄茶色の長い髪をひと房掴むと口づけた。突然のクレヴィスの行動にオフィーリアの頬は更に赤く染まる。
「童話は嫌いかい?」
「…嫌いです。」
真っ直ぐな青い瞳に自分の黒い部分を見透かされそうな気がしてオフィーリアはクレヴィスから視線を反らした。
「女の子ってそういうの好きなものじゃないの?」
「現実的じゃありません。」
「まあ、童話だし?」
現実ではありえない夢物語。だからこそ、人は憧れるものだ。しかし、オフィーリアはそれを嫌う。だって、童話のお姫様はみんな綺麗だ。清い心を持っていて、幸せが約束されている。
「結局、幸せになれるのは彼女たちのような人たちだけだと言われているみたいで…。」
夢物語など嫌いだ。夢から覚めた時に得るのは虚しさだけ。私に幸せはないのだと言われているようで、ただ虚しくなる。
「随分捻くれた考えをするんだね。あんたの心の中ってどす黒いんだろうね。」
「私は女神じゃないんです、黒い感情ぐらい抱きます。」
「それって、あんたの美しい姉君たちに対しても?」
その言葉にオフィーリアの中で何かが切れた。未だ髪を掴んだままだったクレヴィスの手を振り払う。あなたに何がわかるの、と叫びたい衝動を抑え、オフィーリアは目の前の人物を睨みつける。
「あなたに関係あります?」
怒りに震える身体や荒げそうになる声を必死に抑え、クレヴィスに問いかけた。何も知らないくせに、土足で人の心に踏み入って来ないで。オフィーリアは彼を睨みつける瞳でそう告げる。
「関わるなと言ったのはあなたでしょう?だったら、あなたも私に関わらないでください。」
「………。」
「嫌い。…あなたなんて、大嫌い。」
零れそうに涙を堪え、オフィーリアは書庫を出て行った。
オフィーリアがまだ14歳の時。彼女は従兄であるオニキス・クロロトルに淡い恋心を抱いていた。
いつも自分を助けてくれ、傍にいてくれたオニキス。
オフィーリアが18歳になったら彼女がクロロトル家に嫁ぐことになっていた。
しかし、オニキスが愛したのは一番上の姉、ローゼリアだった。美しく気高いオフィーリアの自慢の姉。淡い恋心を打ち砕いた姉。
自分が姉のように美しく、自身に満ち溢れていたら、オニキスは自分を愛してくれただろうか。オフィーリアの心に初めて姉を妬む気持ちが生まれた。
オニキスの想いに気付いたローゼリアは当然のようにオニキスを拒絶した。可愛い妹の婚約者だから。姉に対し醜い感情を抱く妹をローゼリアは何も知らずに可愛がった。
オフィーリアの心は罪悪感に一杯になった。だから姉のためにも勉学を頑張ろうと思った。
しかし、どんなに頑張ってもさすがローゼリアの妹。魔法で頑張れば、さすが最年少王室魔法使いミルシェールの妹だと言われた。
誰もオフィーリアを見てはくれなかった。
膨らんでいくもやもやとした黒い感情。姉たちに愛されれば愛されるほどオフィーリアの心には罪悪感が募った。
残酷に流れる時はあの時の失恋の悲しさを癒してはくれたけれど、オフィーリアの中の黒い感情を消してはくれなかった。
本当はずっと、あの優しくも苦しい場所から離れたかったのかもしれない。だから、ここに来たのかも知れない。野獣に食い殺されることを望んでいたのかもしれない。
零れそうになる涙をぬぐい、オフィーリアは歩き出した。
いっそ、食い殺して欲しかった。
そんな恐ろしい考えがオフィーリアの脳裏に浮かぶ。
そしてそのまま、オフィーリアは城を出た。