03.ひと時の対面
城の主との対面は最悪なものだった。何だ、あいつは、と罵りたくなる気持ちを必死で抑え、遅めの朝食を取るためにオフィーリアはランドールと共に食堂へと移動していた。
「にーに?」
食堂に入ると同時に愛らしい声がオフィーリアの耳に届いた。視線を下へ下ろすと、オフィーリアの腰ほどまでの男の子が不思議そうに自分を見つめながらランドールに駆け寄って行く。
「にーに、この人誰?」
「新しい住人のオフィーリア・ハウゼンさんだよ。オフィーリアさん、弟のアルシオです。」
挨拶を、と促され、アルシオ・グレファンスはオフィーリアに頭を下げる。
「アルシオです。5歳です。」
たどたどしい物言いが愛らしく、オフィーリアは自然と笑顔を浮かべる。そしてアルシオと目線が合うようにしゃがみ込む。
「はじめまして、アルシオくん。オフィーリアです。フィリアって呼んでね。」
オフィーリアの自然なその柔らかな笑みに安心してか、アルシオも笑顔を浮かべる。
「フィリア、フィリア!見て、卵上手に割れたよ!」
元々分け隔てない優しさをみせるオフィーリアは子どもに好かれやすかった。そのため、アルシオがオフィーリアに懐くのにそう時間はかからなかった。
しかしアルシオのオフィーリアへの懐き様に慌てたのはランドールだった。彼の中にはオフィーリアを伯爵令嬢として扱わなければならないという考えがあったらしい。
「アルシオ。オフィーリアさんは伯爵令嬢なんだぞ。」
「いいんですよ。だって伯爵の地位は父のものであって、私はただの町娘ですから。」
だからフィリアって呼んでください。そう言って微笑む少女にランドールは唖然とし、途端、耐えきれなくなったように笑いだした。突然笑い出したランドールにオフィーリアとアルシオは首を傾げる。
「失礼。じゃあ俺も呼捨てで構わないから、フィリア。」
笑いを納め、そう言った彼にオフィーリアはとても嬉しそうに微笑むのだった。
「にしてもフィリアは料理が上手いね。」
「そんなことないとと思うけど…。」
ランドールは自分の仕事だからとオフィーリアが手伝うのを遠慮していたのだがいざ彼女に手伝ってもらうと珍しい食事がまるで魔法のように現れた。
なかでもランドールたちの眼を引いたのはフライパンに卵を流しいれ、程良く固まったものを折りたたんだもの。簡単に言えば卵焼き。ランドール達は初めてみる料理だった。
「これ、何?」
「卵焼きよ。」
瞳を輝かせるアルシオに優しげな笑みを向けながらオフィーリアは最後の仕上げに大根おろしを皿の端に乗せた。大根おろしをのせて食べるように教え、フォークを差し出す。一口大に切り取った卵焼きをぱくり、と食べ、アルシオはさらに瞳を輝かせた。
「おいしい!にーに、おいしいよ!」
その言葉を受け、ランドールも卵焼きを一口食べる。ふわり、としているのにとろけるような食感。
「うん、うまい!」
子どものように瞳を輝かせて言うランドールにオフィーリアは嬉しそうに笑った。ランドールのその顔は先ほどのアルシオとそっくりだった。
「よかった。口に合わなかったらどうしようかと思いました。」
「フィリアは本当に料理上手なんだね。」
「伯爵令嬢なのに不思議?」
素直にランドールが頷けば、オフィーリアは眉を下げて笑った。
「私は姉たちのように才能に溢れているわけではなかったから。だから少しでも家族のために何かしたかったの。それで始めたのが料理。この卵焼きは西の果て出身のシェフに教わったの。」
そう語ったオフィーリアは今、自分がどんな顔をしているのかわかっていないのだろう。まるで迷子の子どもが必死に涙を堪えるような、そんな表情をしていた。家族を愛している彼女が何故そのような顔をするのか、ランドールは問いかけることも出来ず、そうですか、と笑って相槌を打った。それしか、出来なかった。
朝食を終え、ランドールとアルシオは町に買出しへと出かけて行った。オフィーリアも一緒について行きたかったのだがクレヴィスから城から出さぬようにとの命令が下っていたらしく、連れて行ってはもらえなかった。
まあ、身代わりであるはずのオフィーリアを城から出すことなどあるはずがないのだが。
とにかく広々とした屋敷で話し相手もおらず、オフィーリアはクレヴィスの部屋だという3階以外を探索することにした。
「わあ、すごい…。」
探索を続けるうちにオフィーリアが見つけたのは大量の本が収納された書庫だった。町の本屋で売っているようなものから見たことのない古そうな本まで様々だった。元々読書家だったオフィーリアにはその本しかない部屋が宝部屋のように思えた。気になる本を片っ端から読んでいく。
そうしてどれくらいの時が経っただろう。カタリ。今まで静かだった部屋に響いた物音にオフィーリアは顔を上げる。窓から差し込む光は赤くなりつつあった。
「随分集中して読んでいたみたいだね。」
自分以外にいるはずのなかった部屋に響く声にオフィーリアは驚き、声の方を見る。そこには口元に弧を描いて斜め前に腰を下ろしているクレヴィスだった。
「いつからそこに?」
「ランドールが探していたよ。買い物から帰ったらあんたがいないって。」
オフィーリアの問いかけに答えることなく立ち上がったクレヴィスは大きく伸びをした。オフィーリアはじっとクレヴィスを見つめる。
「わざわざ探しに来て下さったんですか?」
「まさか。偶々必要だった本を取りに来ただけだよ。何で俺がわざわざ探してやらなきゃいけないのさ。」
そう言って一冊の本を手に取ったクレヴィスは書庫を出て行ってしまった。
「いちいち嫌味な言い方をする人ね。」
オフィーリアは怒りを通り越し呆れてしまう。ため息をつき、本を元の位置に戻して書庫を後にした。
「ランドール。」
食堂にいたランドールに声をかけるとほっとした様子で笑いかけてきた。そんな顔をされると心配をかけてしまったことが申し訳なくて、彼の傍に寄り謝った。
「ごめんなさい、心配をかけてしまったみたいで。」
「俺が勝手に心配しただけだから。」
昼食べる?と変わらぬ笑顔で尋ねて来る彼に頷けば、了解、と調理を始める。
「そういえば、主に会った?」
「というか、彼に見つけられたのだけど…。」
「そっか、よかった。君の姿が見当たらなくて相談したら心配して探しに行ったみたいだったからさ。」
「…ふーん。」
一体、何だっていうのだろう。関わるなと言ったのはあの人なのに。
変な人、苦手だ、そう罵るのに心の何処かで嬉しさを感じている自分がいる。ほんのり、頬が熱を持つ。
一体何を考えているんだろう、あの男は。