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01.手紙

名前の短縮がおかしいかもしれませんが見逃してください。

 古い魔法が息衝く町、セントレス。そこは大国ブリュッセルの西の果てにあるとても小さな町。


そんな町の一角、ハウゼン伯爵家の屋敷は重苦しい雰囲気が漂っていた。居間には普段なかなか揃うことのないハウゼン伯爵の自慢の三姉妹が難しい顔をして座り心地のよいソファーに腰を下ろしていた。


「お父様のことなのだけど…。」


最初に口を開いたのは長女であり、次期ハウゼン家当主のローゼリア・ハウゼンだ。ローゼリアは彼女の特徴とも言える紫水晶の瞳を陰らせながら話を切りだす。


「3日前、クロロトル家を今晩出立するという手紙を頂いて以来音沙汰がないの。」


「それって行方不明ということ?」


自慢の黒髪を弄んでいた指から解き、瞳を不安気に揺らし、次女のミルシェール・ハウゼンがローゼリアに核心を迫る。それに頷くローゼリアにミルシェールの眉間に皺が寄る。


そんな中、末娘であるオフィーリア・ハウゼンは一言も発することなく膝元を握りしめる。彼女の脳裏に浮かぶのは昨晩、侍女から受け取った手紙だった。


送り主はセントレスの森に住む城主から。森の中にある城と言ったら浮かぶのはあの恐ろしい噂だ。


野獣が住む城。


そこはいつしか「魔境の城」と呼ばれるようになった。


何人かの若者が興味本位でその城を探しに行ったことがあった。その誰もが顔を真っ青にして震えながら帰って来た。彼等は森で見た物を話そうとはしなかった。そのことが話題に上った瞬間、まるで呪いにかけられたかのように息を乱し、身体を震わせて怯えるのだ。


 そんな城から送られてきた手紙に憶病なオフィーリアが怯えないはずがない。だが、彼女には予感があったのだ。父がそこにいるのではないか、という。


恐る恐る開けてみて読んだ手紙には彼女の予感が当たり、父の所在が記されていた。だがオフィーリアを悩ませたのはその先だ。


“ハウゼン伯爵を返す代わりに身代わりを頂きたい。明日の夜、森の入口までお迎えに上がります。”


それは拒否を許されない命令に近い言葉だった。


2人の姉に相談するべきかオフィーリアは悩んだ。この手紙を見れば、姉たちは悩んだ末に己を犠牲にしようとするだろう。


それは避けなくてはならない。何の才能もなく、ただ貰い手を待つだけの身であるオフィーリアとは違い、姉たちは様々な才能に溢れ、多くの人々に愛されている。そしてその華奢な肩に多くの物を背負っている。


ならば、オフィーリアが出す答えは一つだけだ。


「私が行けばいい。」


誰に知られることもなく、ひっそりとこの屋敷を去れば良い。そうすれば父はこの屋敷に戻り、今までと同じ日常が始まる。


大丈夫。暫くの間姉たちは勝手に身代わりとなった自分を責め、気付けなかった自分達を恨むかもしれないが時が癒してくれる。穏やかに残酷に流れる時が傷を癒してくれるはずだ。大丈夫。姉さんたちは強いから。


自分に何度も言い聞かせ、オフィーリアは必要最低限のものを鞄に詰めた。今晩、オフィーリアはこの屋敷を発つ。


 「姉様。」


か細いオフィーリアの声に向かい側に座っていた2人の姉が顔を上げる。


「どうしたの?フィリア。」


この優しい声に名を呼ばれるのも今日で最後。そう思うと普段はなんとも思わなかったことがとても愛おしく思えた。


「きっと、お父様は大丈夫です。今までだって平気で2、3日は遅れて帰って来たではないですか。」


散策好きのハウゼン伯爵は珍しい物を見つけたりするとすぐに夢中になって時折、連絡なしに帰省を数日送らせることがあった。その度に娘たちを心配させ、ローゼリアに怒られるのだがあまり懲りていない。


「それもそうね。何て言ってもお父様だものね。」


オフィーリアの落ち着いた声色に少し気が緩んだのかミルシェールが笑みを浮かべる。そうですよ、と同意してオフィーリアも微笑む。そんな2人の様子にローゼリアも肩の力を抜き微笑んだ。



「そうね。今は、お父様の帰りを待ちましょう。では、お茶にしましょうか。」


ローゼリアの一言で家族会議は一変、華やかな午後のお茶会へと変わった。


 みなが寝静まったその日の夜、オフィーリアはまとめておいた最小限の荷物を持って屋敷を出た。誰に見つかることもないように慎重に森の入り口まで向かった。不安にかられる心には森の入口が果てしなく遠くに感じた。このまま辿り着かなければいいのに、そう思った矢先、目の前に現れたのはまるで闇を纏ったかのような馬車だった。


「お待ちしておりました、ハウゼン伯爵令嬢。」


優雅に礼をしたのは臙脂色(えんじいろ)の髪が特徴的な長身の男だった。顔を上げた男はまだ若く、そこに一欠けらの笑みも浮かんではいなかった。冷たい藍色の瞳がオフィーリアを見つめる。


「父を返してください。」


オフィーリアの言葉に男は馬車の扉を開けた。そこから出てきたのは実に一週間ぶりに見る父の姿だった。どこも怪我をした様子もなく、一週間前と少しも変わらない姿がそこにはあった。ほっと息をつき、オフィーリアは駆けだす。


「父様、父様…!!」


「フィリア…。」


自身の胸に顔を押しつけ、無事を喜ぶ娘の姿にハウゼンは胸が締め付けられるような想いだった。オフィーリアがここにいるということは、彼女が自分の身代わりとなりあの城に囚われるということ。自分は娘を犠牲にしてこの町へ戻るのだ。


「フィリア、何故…。」


「いいんです。役立たずな私が家族のためにできることはこのくらいだから。」


「フィリア…。」


「大好きです、父様。姉様たちにもそうお伝えください。…今まで、お世話になりました。」


ハウゼンから放れ、優雅にお辞儀をしたオフィーリアは彼の横を通り、馬車の傍で待つ男に頭を下げる。


「よろしくお願いします。」


「申し訳ありません。これも全ては主のためなのです。」


そう言った男の声色にはオフィーリアを気遣うものが含まれていた。それだけでこの人が悪い人ではないのだとオフィーリアは思った。オフィーリアが家族の為に身を捧げるように、この人もまた、己の大切な主のために。


気にしないでとは言えない。それでも…。


「これは、私が決めたことですから。」


そうはっきりと言って、男の手を借りてオフィーリアは馬車に乗り込んだ。


「さようなら、私の愛した家族…。」


馬車の外で立ち尽くす父を見ながらオフィーリアはぽつり、と呟いた。


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