23・溶けていく嘘
「お食事、何がいいですか?」
少女が、上体を起こした女の顔色をうかがうように覗き込む。
(この子は、食事さえ摂れば肉体的なことも精神的なことも、すべてが解決すると信じている節があるわね)女は小さく笑みをこぼした。
「あれ? なにか可笑しいですか?」
少女の問いに、女は静かに首を振る。その理由は、口が裂けても言うまいと心に決めていた。
男から聞かされた、少女の過去。空腹に震えながら赤児を抱きしめていた、凄惨な懲罰房での日々。少女にとって『食べる』ことは、絶望を塗りつぶす唯一の希望だったはずだ。赤児の命を繋ぐために『食べる』ことが文字通り生死に直結していた極限状態が、少女にこの強迫観念ともいえる献身を植え付けたのだろう。
「……そうね。お野菜をたっぷりいただきたいかな」女は頬に指を添えて、楽しげに目を細める。少女はその仕草や、向けられる期待に満ちた表情がたまらなく好きだった。
「わかりました! 仕込みは済んでいますので、すぐに用意しますね」弾んだ声で立ち上がる少女に、女はそっと手を差し伸べる。
「あ、その子は私が預かっておくわ」少女が抱っこ紐を外すと、赤児は少女の手から逃れるように身をよじり、女の手を求めた。
(もう、あなたを拒むような真似は絶対にしないから……許してね)女は赤児を膝に引き寄せ、抱きしめた。
「きゃつきゃ」赤児は女に頬ずりされ、声を上げて大喜び。少女はその様子が面白くないのか、ふくれっ面を隠すように踵を返して炊事場へ向かった。女はその背中を見つめながら、赤児の耳元で囁くように語りかける。
「ママ、拗ねちゃったね」
「まぁま。ちゅ、ちゅえあ、あえ?」
「う~ん、す、ね」女は愛おしそうに、赤児のすっかり艶めいた黒髪を撫でる。
やり取りを繰り返すうちに、部屋には芳しい香りが立ち込め始めた。女の口元を真剣な眼差しで見つめていた赤児が、急に落ち着かなくなり、じっと炊事場の方を見つめて立ち上がった。つかまり立ちではない。
しっかりと、自分自身の足で、だ。
(本当に食いしん坊さんね。匂いにつられて立ち上がるなんて)女は目を見開く。それは驚愕などではなく、深い慈愛に満ちた眼差しだった。赤児の成長がいかに驚異的であっても、それは少女の献身が実を結んだ証なのだから。
やがて、少女が湯気の立ち上る寸胴鍋と食器をカートに載せて戻ってきた。
「あれ? なにか楽しいことでもあったんですか?」
「ええ。この子が、美味しそうな匂いがしてきたら暴れ出しちゃって。大変だったのよ」
女が赤児をあやしながら押さえるが、赤児は期待にジタバタともがく。
(ごめんね嘘よ。でも、この子が初めて立った瞬間を、あなたより先に私が見たなんて知ったら、食卓が途端に暗くなって、せっかくのお料理が台無しになってしまう気がするわ)
『優しい嘘』は、鍋の湯気に紛れて溶けていった。




