22・だいじょうぶ!
(黒髪黒瞳の死神……。馬鹿馬鹿しい!)
女は、それが単なる伝承だと、沸き上がる思考を必死に打ち消そうとしていた。教育者として積み上げてきた理性が、根拠のない妄想を『あってはならないもの』と拒絶している。
硬直したまま二人を見つめていると、安らかな寝息を立てる少女に誘われるように、赤児がコテンと少女の肩にもたれかかる。その微笑ましい重なり合いに、女は手を伸ばしたが、間に合わなかった。
「……あ。すみません、寝ちゃっていました」少女が瞬きをし、眠そうに目をこすりながら顔を上げた。
「いいのよ。赤ちゃんは、私が」
女は、まるで、うわ言のように返し、赤児を抱き上げると、揺りかごへと運んだ。
「ごめんなさい。少し気分が悪いの……横になってくるわ」女は少女の返事も待たず、逃げるように部屋を飛び出した。
自室に戻るなり、女は衣服をむしり取るように、辺り構わず脱ぎ散らかすと、寝台へと倒れ込んだ。
「……何かしら。ひどく、疲れたわ」枕に顔を埋め、暗闇の中で思考を巡らせる。
先ほど体験したのは、霊的とさえ呼べる理解不能な『何か』だった。男から聞かされた、あの『言葉にできない感覚』は、女の理性からはあまりに隔絶しており、かえって現実味を帯びた恐怖にはなり得なかった。
しかし、理論と事実を重んじる『教育者』である女にとって、赤児が放った『まぁま、さむない』という明瞭な言語は、積み上げた常識を根底から叩き潰した。それは現実的な戦慄となって、女に襲いかかる。
(あれは、ただの模倣じゃない。明確な知性の萌芽の結果に間違いないわ)
思考の迷宮に沈んでいると、静寂を破って、扉を遠慮がちに叩く音が響いた。
「鍵は開いているわよ。どうぞ……」投げやりに応じた。下着姿を晒していることなど、今の女にはどうでもよかった。
(……悪いことをしたわね。あの子、心配して様子を見に来たんだわ)
扉の隙間から、少女がおずおずと顔を覗かせた。その胸の抱っこ紐には、赤児が、無垢な笑顔で収まっている。
少女は部屋に入ると、床に散乱した衣服を一枚、また一枚と静かに拾い集め、角を揃えて丁寧に畳み始めた。
女は顔だけを横に向け、その光景を眩しいものでも見るように、目を細めた。教育を施す立場でありながら、自分は整理のつかない感情に振り回され、自堕落に半裸を晒して寝転がっている。対して、教えられる側の少女は、なんと落ち着いて、健気なのだろう。
「具合、悪そうですが。大丈夫ですか……?」
少女の控えめな問いかけが、女の胸の奥を刺す。その優しさが、今は何よりも辛かった。少女の背後で、赤児がじっと自分を観察しているような気がして、女は再び枕に顔を押し付けた。
――刹那。女は跳ね起きた。
赤児に『ねぇね』と、呼びかけられ、自身の精神を侵食されるのではないか。その切迫感が女を突き動かした。
精一杯の虚勢を張り、頬を両手で強く叩いて、女は叫ぶように言った。誰に向けて放った言葉なのかは女自身にもよく分からなかった。
少女に。赤児に。自分自身に。
「だいじょうぶ!」




