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21・知性ある言葉

  

 昼下がり。窓際の陽だまり。

 

 揺り椅子でまどろむ女と、抱っこ紐の中で小さくあくびをする赤児。そこには、かつての緊張が嘘のような穏やかな時間が流れていた。


「まぁま……?」


 赤児の消え入りそうなつぶやきに、女はゆっくりと目を開けた。赤児の視線の先には、机に突っ伏して眠る『まぁま』――少女の姿があった。女は苦笑して、音を立てないよう静かに揺り椅子を立った。


(……寝落ちしちゃったみたいね)


 すると、赤児が少女に向けて手を伸ばし、何処か不機嫌そうに顔をしかめて、むずかりだす。


(あら?この子ったら。『まぁま』が、お勉強を怠けているとでも、思っているのかしら?)女は赤児をなだめるように、優しく背中をさする。


「ママはね、あなたのために朝早くからお勉強を頑張っているのよ。許してあげて、ね?」女が語りかけると、赤児はむずかるのを止めた。一瞬だけ女に笑みを向けたものの、再び少女に視線を戻すと、その表情にはまた厳しい色が混じる。


(『9ヶ月革命』なの?もう言葉が通じているのかしら。本当に不思議な子)


 9ヶ月革命とは、月齢9ヶ月の乳幼児が、知能的、肉体的に飛躍的に向上する時期を指すが、この赤児の場合は発達の域をはるかに超えていた。


 疑問はさておきと、女は少女の傍らに歩み寄る。女は改まって部屋を見渡し、満足気に頷いた。その様相は数日前とは一変していた。


 女は本来、質素倹約を旨とする誠実な人間だが、教育への投資には金に糸目をつけない。おまけに何事も形から入る癖があり、室内は、どこぞの研究室かと見紛うほどの設えになっていた。

 

 高価な紫檀の机の上には、何種類もの上質な羊皮紙、羽ペンにインク。小児向けの絵本から専門的な学術書、そして『黒髪排斥法』の真実を紐解くための難解な古書までが、整然と書棚に並び、少女を取り囲んでいる。


 女はそっと赤児を抱き直した。腕の中の赤児は、相変わらず不機嫌そうな顔で少女を見つめている。整然とした書棚とは対照的に、少女が突っ伏した机の上だけは、様々なものが乱雑に置かれていた。女は少女の腕の下から覗く練習用の紙に目を落とした。そこには、まだ歪な形をした文字が、紙が擦り切れるほど幾度も、幾度も繰り返し書かれている。


 そこに書かれていた文字は『自由とは』


 女は空いた方の指を伸ばし、その必死な筆跡をそっとなぞった。


(本当なら、こんな血生臭い歴史なんて、まだ知らずに済めばよかったのだけれど……)


――と、その時。


「ねぇね!」赤児が小さな拳を女に振るった。


「……っ!」女は思わず口を塞ぎ、息を呑んだ。呆然として立ち竦む女に、赤児はなおも訴えかけるような視線を送る。


「……ごめんね。そうよね、私がこんな弱気でどうするの」

 

 女は赤児を机の上、少女に寄り添わせて座らせると、自らの肩に掛けていた厚手のひざ掛けを手に取り、疲れきった少女の背中を包み込むようにして丁寧に掛けた。


 すると、腕の中の赤児が、眠る少女をじっと見つめ、はっきりと言った。


 「まぁま、さむない」


「ええっ!」抑えきれない驚愕が声となって漏れた。女は慌てて、眠る少女に視線を向ける。


(あぁ、良かった。起こさずに済んだわね)


 女が驚くのも、無理もなかった。誕生日すら迎えていないはずの赤児が口にしたのは、単なる音の模倣の二語文ではない。『寒い』という状態を認識し、否定の『~ない』で繋ぎ、さらに他者の状態を推測し、安堵した『答え』として構築された、紛れもない。


――『知性ある言葉』だった。


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