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 2・妊婦、地下懲罰房へ


「相手は、誰ぞ」


 正妻の前に、屈強な衛兵二人に力ずくで引き据えられた実母は、顔を青ざめさせ俯いていた。正妻は素っ気なく言い放つが、その言葉には、隠しきれない明らかな怒気が含まれていた。


 おそるおそる顔を上げると、射抜くような正妻の視線が突き刺さり、実母は背筋を凍らせた。思考は混乱していたが、『……旦那様の』と、口には出せない言葉を、必死で飲み込んだ。


「言えぬのかえ」正妻はあからさまに冷淡な声を上げ、すっと目を細める。


 正妻はすでに、夫である子爵が実母を屋敷に上げた事実を確認しており、二人の関係を示すその時期と、実母の妊娠時期が符合することも確証を得ていた。


 いつまでも口を開かない実母に対し、正妻が苛立ちを隠せなくなった時、

「…………実は」と、実母がおずおずと口を開いた。その刹那。


「…………っ!」正妻が声にならない悲鳴を上げた。


 正妻の顔色が、怒りから一転、蒼白になり、「嘘を申すでないぞ!」と、半ば悲鳴のように一喝して言葉を遮った。

 

 正妻は知っていた。知りたくはなかったが、全ての辻褄が合っていた。実母の口から「旦那様の子です」という言葉が出れば、もはやそれは疑いようのない事実となる。それは、自分が踏みにじられ、夫との未来が汚された決定的な瞬間を意味していた。真実を物理的に封じ込めることで、なんとか現状を保ちたい。そんな切羽詰まった恐怖心が、彼女にそう叫ばせたのだ。


 実母が反論せずに黙り込むと、正妻は満足げに闇深い笑みを浮かべた。


 すぐにその笑みを隠すように口元に手を当て、目を閉じて考え込む。何を思案したのか、実母を押さえ込んでいた衛兵の一人を手招きし、密やかに耳打ちをした。衛兵は一瞬たじろぎ、複雑な表情を浮かべていたが、主命に従い、一つ会釈をして実母の下へと戻った。


 「あの者を、地下の懲罰房へ」と、戻った衛兵は、もう一人の衛兵の耳元へ口を寄せ、正妻の命令を短く伝えた。

「……懲罰房、ですか」もう一人の衛兵は、一瞬だけ感情の乗らない視線を正妻に向けた。

 通常の囚人であれば地下牢へ入れられるはずだ。窓もなく、石壁だけの懲罰房は、牢など比較にならない過酷な監禁場所になる。そこに、一応は子爵家の使用人であり、妊婦でもある女を閉じ込めるという命令は、彼らにとっても異例のものだった。

「主命だ」と、本妻に耳打ちされた衛兵が淡々と告げると、もう一人の衛兵はそれ以上何も言わず、無言で頷いた。


 彼らの中には、もはや個人の感情や倫理観は存在しなかった。あるのは、絶対的な「主命」のみだ。


 衛兵は、実母の腕を掴み乱雑に立ち上がらせると、半ば引きずるようにして部屋を出た。そこには妊婦に対する気遣いなど欠片もなかった。


 正妻は、その様子を見届けるなり、張り詰めていた糸が切れたように、何がおかしいのか、歪んだ甲高い笑い声を響かせた。それは、先ほどまでの冷徹な貴婦人のものではなく、正気とは思えぬ響きであった。


「死など、生易しい」正妻は、誰もいなくなった部屋で呟いた。


「あの女には、生きながらにして、全てを失う苦痛を味わってもらう。孤独と絶望の中で、身も心も朽ち果てていくがいい」


 彼女の目は、もはや怒りではなく、底知れぬ闇を宿していた。


 部屋から出た衛兵は、正妻の歪んだ笑い声を背に、表情一つ変えることなく実母を連行した。一人は乱雑に掴んだ腕を離さず、もう一人は周囲を警戒しながら先導する。


 衛兵たちは、憔悴しきっていた実母にいたわりの言葉を掛けることもなく、無感動に任務を遂行した。彼らにとって、目の前の実母はもはや『子爵家の使用人』でも『一人の人間』でもなく、ただの『囚人』であり、主命という絶対的な命令の対象でしかなかった。


 彼らは使用人用の裏階段を使い、地下へと続く冷え切った通路へと歩を進めた。足音だけがコツ、コツと虚しく響く。

 衛兵の一人が鍵束を取り出し、目的の部屋の扉を開ける。それは窓のない、石造りの小さな物置部屋だった。衛兵たちは実母を中に乱暴に突き飛ばすと、すぐさま重い扉を閉め、外から厳重に鍵をかけた。


 ガチャリ、と金属が噛み合う音が、実母の未来を完全に封じ込めた。


 任務を終えた二人は、無言で顔を見合わせる。そして、何事もなかったかのように持ち場へと戻るため、再び静かな通路を歩き出した。彼らの心には、目の前で起きた貴族たちの愛憎劇に対する何の感慨もなく、ただ主命を果たしたという事実だけが残っていた。


「チッ」衛兵の舌うちの音が、虚しく響いた。



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