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影の能力を操る探偵・榊影三郎短編集  作者: 西谷 武


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【File 02】絶対零度の殺人

 探偵・榊影三郎(さかきえいざぶろう)のもとに一枚のチケットが贈られた。音楽通の友人がくれたもので、新進気鋭の作曲家、毛津(もうつ)・アルト・(ただし)の最新作「交響曲第一番・絶対零度」を、世界的指揮者の空見(そらみ)健太郎が世界初演するという、クラシック音楽のコンサートだ。


「へえ、兄貴。うらやましいなあ。あたし、あの作曲家の曲、好きなんだよね」


 妹の榊春花(はるか)は、代わりに行ってもいいか、と訊くものの、

「あッ、そういえば、その日は友だちのやってるバンドのライブがあるんだった。無理だ」


「そうか。おれは音楽鑑賞の趣味はなかったんだが、後学のためにもいいかもしれん。一人で行ってくるよ」


 春花の姉で、影三郎のもう一人の妹・榊夏花(なつか)は、

「じゃあ、その日はどうするの、探偵事務所」


早見(はやみ)に任せるよ」


 早見というのは榊探偵事務所において「影の榊」と評される影三郎と二枚看板のもう一枚をなしている男のことである。フルネームは早見准一(じゅんいち)。「夢の早見」とあだ名されている男で、予知夢や霊夢のたぐいを探偵業に活用している。


「絶対零度というのは、どういう曲なのか知っているか」

 影三郎の問いに答えたのは春花だ。

「まだ聴いたことはないけれど、最終楽章が特徴的らしくてね。レとドの音だけで構成されているらしいよ」

「零度だからレ、ド、というわけか。ダジャレだな」

「そういうのを素晴らしい音楽にしてしまうのが、あの毛津っていう作曲家のすごいところなんだよ」

 春花はまるで自分のことのように言った。


     *


 作曲家・毛津氏のもとに脅迫状が送られてきたのは絶対零度の世界初演コンサート当日のことだった。それとは知らない榊探偵事務所の面々のなかで、早見だけはこの朝、不吉な夢を見ていた。

「毛津氏が殺されるって?」


 影三郎が驚いて聞き返すと、早見は、

「ああ。間違いない。影三郎、今夜のコンサートはひょっとするとひょっとするぞ」

「誰に殺されるんだ」

「それはわからない。そこのところをおまえが解き明かすはずだ。おれの今朝見た夢はそう告げていた」

「では、殺人は止められない、ということか」

「残念ながら……、その可能性が高い」


 こんなとき、いつでも早見は悔しそうな顔をする。自分にそなわった夢の能力の無力を痛感するのだ。そんな思いを察してか、影三郎は、

「おれはできるかぎりのことをするぞ。まずは毛津氏に忠告する」

「それがいい。なんとかできればそれが一番だ」


     *


 その夜のコンサートには若干の変更があった。世界的指揮者の空見健太郎が指揮するはずが、作曲家本人、すなわち毛津・アルト・正の指揮で絶対零度の世界初演がなされることになったのだ。コンサートがはじまる前、影三郎は毛津氏に会うため楽屋を訪れようとしたが無理だった。関係者ではないうえ、その日届いた脅迫状のこともあり、誰の面会も受け入れられなかったのだ。影三郎は見守るような気持ちで指揮台の上の人物、毛津氏を見守った。


 第三楽章までは何事もなく進み、いよいよクライマックスの第四楽章がはじまった。


 影三郎に音楽を聴く趣味はなかったが、彼には絶対音感がそなわっていた。春花の言っていたとおり、ハ長調のレとドだけが繰り返され、そこに打楽器のたぐいがからまってゆき、オーケストラの音量が最大に達したところでト長調に転調した。


 ……と、一瞬、影三郎の耳がおかしな音をとらえた。絶対音で言うならばB、つまり、ハ長調のシの音が聞こえたのである。ト長調ではミに当たる。


 最初は誰かのミスタッチだと思った。ところがその音はその後、何度も繰り返し奏されたのだ。

 コンサートは大喝采で幕を下ろした。


 毛津氏が殺されたのはコンサート終了の一時間後だった。影三郎は楽屋に入ることを許された。駆けつけた警部の鬼野(おにの)という男が知り合いだったのだ。


「榊探偵。見てください。毒殺ですよ」

「そのようですね。わたしには犯人がわかっています。ずばり言いましょう。犯人はあなただ」

 影三郎が指差す先には世界的指揮者の姿があった。


「なぜ、わたしが毛津さんを殺す必要がある」

「理由はわかりませんよ。しかし毛津氏は大きな手がかりを残している」

「手がかり」

 鬼野が訊いた。


「ええ。わたしは今夜のコンサートを最後まで聴いていました。そのとき聞こえてきたものは、ミスタッチ、すなわちミの音だ」

「榊探偵。どういうことかわかるように願います」


「絶対零度の最終楽章はレとドの音だけで構成され、あとは打楽器が入るのみのはずだった。なのに今夜はハ長調のレとド、そしてト長調のレとド、さらにト長調のミの音が聞こえていた。ト長調のレはハ長調のラ、ト長調のドはハ長調のソだ。つまり、今夜奏でられた音のなかにはソ・ラ・ミの音もまざっていた。空見さん。あなたのことですよ。ついでに言えば、ト長調のミはハ長調のシ、つまり、死亡の死、というわけですよ。それが証拠に……」


 影三郎はそこにあった楽譜を取り上げた。


「今夜披露された曲は新曲だから、聴衆の誰も気づかなかったかもしれない。ところが……、見てください。楽譜は赤で修正されている。ト長調に転調するところからだ。赤い音符の上に書かれているではありませんか! ソ・ラ・ミ、そ・ら・み、と」


 そこへ警官が駆けつけた。

「鬼野警部! これを見てください」


 それは脅迫状だった。文面の最後にはこう記されていた。


 ――今夜の最終楽章は曲後半で、ト長調に転調したほうがよろしいでしょう。くれぐれもミの音を付け加えることを忘れずに。ミを抜くな。それがわたしの正体だ。


「ふふ、ふはははは」

 空見健太郎が笑い出した。


「あいつはおれを役立たずとののしった。そうさ。一年前からおれの耳は聴覚異常を起こし、絶対音感が失われていたんだ。それをあいつは見抜いていた。おれは見抜かれたんだ。だから見抜くなという意味も込めて、ミを抜くな、と言ってやったのさ。……せめて今夜の指揮をおれに任せていれば、おれはあいつを殺さなかった」


 空見健太郎が送った脅迫状。その内容は今夜、コンサートの指揮台にのぼるな、というものだったのである。


 ……に、しても。


 もしも空見が脅迫状を送らなければ、今夜の最終楽章は最後までハ長調で突き進んだことになる。すると毛津氏は真の喝采を浴びることができたであろうか。世界的指揮者、空見健太郎は、新進気鋭の作曲家、毛津・アルト・正に、その人生の最期に、少なくとも、喝采を送ることだけは忘れなかったのである。


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