08
婚約が成立した途端、ネロは仕事があるからと姿を消してしまい、前世の記憶について話をする暇さえなかった。
挙式と結婚は隣国でするからと急いで出国の準備をしなければならず、忙しさに負われる日々がはじまった。
ネロもネロで王子としての役目があるのか、カードや花は届いても本人は滅多に姿を見せない。
会いに来ても家族や使用人がいる中での面会なので余計なことは口にできず、ビアンカはとてももやもやしていた。
そのうえ、国王からの圧力、もとい配慮のおかげで着々と外堀が埋められていっていた。
婚約して数日後には名前すら知らなかった遠縁から婚約を祝うカードが届いたくらいだ。
誰もがビアンカとネロの婚約を知っており、国をあげて祝福されているのがわかる。
もう絶対に逃げられない。
これまで浮いた噂ひとつなかったビアンカが隣国の王子様に見初められ、婚約したという事態に、家族や友人、社交会の人々は驚いたことだろう。
でも一番驚いているのは他ならぬビアンカ自身だった。
着々と出国の準備が進む中、疲労困憊で倒れ込んだ自室のベッドの上で、ビアンカは両手をばたつかせてみせた。
(何が悲しくて前世で私を殺した夫と再び結婚しないといけないのよ)
できれば結婚しないでいたかったが、貴族である以上、未婚のままでは許されないかもしれないとは思っていた。
だが、なぜよりにもよってネロなのか。
ネロもネロだ。前世ではあれほど憎んで嫌っていた女にどうしてこんなことをするのか。
前世での結婚も周囲が勝手に決めた完全な政略結婚だった。ネロにしてみれば勝手に押しつけられた妻も同然。出会ったその日からずっと嫌われていたのを覚えている。
(はっ……もしかして前世でやりたりなかったからって、今世でも壮大な嫌がらせをしたくて求婚したのでは?)
いくら隣国の第二王子とはいえ、隣国の貴族令嬢を理由なく攻撃すれば大問題になるだろう。
だが、結婚して自国に連れ帰ってしまえば、目が届かないところで煮るなり焼くなり好きにできる。
隣国に入った途端キャラ変して「やっぱりお前を愛さない」とか言ってくるのでは。ネロの言っていた屋敷に連れて行かれた後は、世話役一人いない屋敷に生涯幽閉されるのでは。いやいや、それとも召し使いとしてこきつかわれるのか。
そんな何十通りもの想像を頭の中に思い浮かべる。
(なんという手間のかかることを……!)
いくら前世のビアンカを恨んでいるとはいえやりすぎではないだろうか。
「そこまで、嫌いだったのかな」
ぽつりとこぼした自分の声があまりにも情けなくて、ビアンカは不覚にも泣きそうになった。
「……テリウス様」
こぼれたのは前世の夫の名だ。
歴戦の騎士であり将軍まで登りつめた彼は、背が高く肉体も鍛え上げられていた。顔と身体には傷があり痛々しかったのを覚えている。いつもどこか苦しそうな表情をして冷たい空気を纏っていたが、部下には誠実で公平な人物。
弱きものを助け、不正を許さないまっすぐな人で、国民からの人気も高かった。
テリウス将軍がいればこの国は安泰だ。そんな空気があったように思う。
時の国王が自分の地位を揺るがすのではないかと不安に思うほどに、テリウスは支持されていた。
なぜなら国王は己の利益ばかりを優先する享楽主義者で、自分に従う貴族ばかりを優遇し、国民には重い税を与え、虐げていた最低の王だったからだ。
だからテリウスに自分の娘を嫁がせ、娘婿として囲いこもうとしたのだろう。
『お前にはテリウス将軍の妻になってもらう』
ビアンカの前世であるアルルに父である国王は突如としてそう告げたのだ。
母亡き後、後ろ盾のないアルルは後宮で冷遇され続けていた。国王からも存在を忘れ去られていたかと思ったのに、急に呼び出されたかと思ったら結婚の命令。それも平民出身の将軍と。
広間に集められたほかの兄弟姉妹たちからは嘲笑と憐れみの視線が向けられていた。
なぜ自分なのかと問えば国王は興味のなさそうに「お前が最も相応しいからだ」と言ったのだ。
かわいがっている美しい姫を将軍に渡したくないし、母親が健在で後ろ盾のある姫は政略結婚に使わなければならない。その点、たとえ死んでも文句を言ってくるような後ろ盾のないアルルが最適なのだと。
アルルはすぐに理解した。自分は捨て駒にされるのだと。将軍がアルルを気に入る保証はない。おそらくは強引な婚姻だ。アルルのことを受け入れず冷遇するかもしれないし、下手をすれば虐待されるかもしない。相手は軍人。無事では済まないだろう。
だが、アルルは胸を躍らせた。
『私が、テリウス様の妻』
アルルはテリウスのことを心から尊敬していたのだ。
一介の兵士から将軍にまで登りつめ、この国のために剣を振るう姿に憧れていた。
まわりは彼を野蛮だ怖いと言っていたが、精悍な顔立ちや無駄な肉のないしなやかな身体は美しいと思えた。
何の役にも立てない自分が、テリウスの妻となることはできるなんて、と。
人々に優しいテリウスのことだ。アルルのことを王族だからと疎んだとしても、誠心誠意仕えればきっとわかってくれる。愛し合う夫婦にはなれなくても、テリウスのために尽くそうとアルルは心に決め、嫁いだのだ。
だが現実はあまりにも非情だった。
テリウスは王族を毛嫌いしており、王女であるアルルを完全に拒絶したのだ。
『俺を誘惑できるとは思うな。国王の思い通りにはならない』
貴族ばかりを優遇し国民を虐げはじめていた国王へ怒りを募らせていたテリウスにしてみれば、首輪として与えられた王女も同罪だったのかもしれない。憎むべき相手。そんな視線を向けられた。
「だからって殺すことはないわよね……はぁ」
深いため息を吐きながら、ビアンカはベッドから起き上がる。
「せめて今世では殺されませんように」
そう願うしかできない自分の無力さを呪いながら、ビアンカは未来に思いを馳せたのだった。




