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嫁入りの日はすぐにやってきた。
聖堂での挙式には参列者はおらず、見守っているのはブランと数名の文官だけという粗末なものとなった。
あつらえられた派手なドレスは重く、コルセットは息もできないほどにきつく締め付けられている。靴も一回り小さなサイズを用意されていたせいで、歩いているだけでつま先やかかとがひどく痛んだ。
それでもアルルは幸せだった。
隣には真新しい軍服に身を包んだテリウスが立っている。
この国では珍しい褐色の肌と銀色の髪。夏の空のような青い瞳を彩る目元は鋭く、勇猛な猛禽を思わせる。
がっしりとした身体は実践によって鍛え上げられたのがわかるほどに神々しい。
横目で盗み見た姿に、じわりと身体が熱を持っていくのがわかった。嬉しさに頬が緩んでしまそうになる。
ずっと押し殺していた喜びがこみ上げてくるのがわかった。
アルルはずっとテリウスに憧れを抱いていた。
戦場で国のために命を賭けて戦う彼の武勇伝に心を躍らせていた。
城の片隅で小さくなっていることしかできない自分とは何もかも違う、彼の素晴らしさに焦がれていた。
結婚を命じられた日からテリウスは何かと忙しかったらしく、顔を合わせることもなかった。
ようやく会えたのはほんの数分前だ。
名前しか名乗れなかったが、これからいくらだって時間はある。
だってテリウスの妻になるのだ。これからは彼を支え、共に生きていくのだ。
姉たちには悪いが、この出来事はアルルにとって人生ではじめて訪れた幸福だった。
結婚の宣誓と共に、誓約書にサインをした瞬間、アルルはこれまでの長い人生がようやく報われたような気持ちになっていた。
なのに。
「君を愛することはない」
初夜を迎える夫婦の寝室で、テリウスはアルルに冷たくそう言い放った。
舞い上がってきた気持ちをたたき落とすような冷たい声音だった。
アルルを見つめるテリウスの瞳は冴え冴えとしており、まるでこちらを憎んでいるようですらある。
「まさか本当に結婚を受け入れるとはな。嫌がって逃げ出すかと思ったが……さすがはあの王の娘というところか」
「な、に……を」
明確な拒絶をはらんだ口調に、なんと返すべきかわからずアルルははくはくと唇を震わせる。
「この結婚で俺に首輪を付けた気になっているのかもしれないが、勘違いするな。俺はお前たちになど屈しない」
この人は一体誰だろう。アルルがずっと憧れていたテリウスはどこに行ったのか。
何度も瞬きをしながら立ち尽くしていれば、テリウスが苛立たしげに舌打ちをする。
「ここにいたければ好きにしろ」
言葉を掛ける暇さえ与えられず背中を向けられ、アルルはただ呆然と見送ることしかできなかった。
「姫様、お茶をお持ちしました」
「ありがとう」
温室の窓辺で刺繍に勤しんでいたアルルは、メイドの声に手を止めて顔を上げる。
「あまり根を詰めるとお身体に障りますよ」
「ふふ。大丈夫よ」
気遣ってくれる言葉に、アルルは頬を緩めるのだった。
早いもので、結婚して数週間が過ぎようとしていた。
テリウスから愛さないと告げられ夫婦の寝室に取り残されたあの日、アルルはこの新婚生活が城での暮らしよりも辛く苦くるしいものになるのだろうと覚悟していた。
しかし予想に反し、あれからの日々は怖いほどに穏やかだった。
テリウスの屋敷は都の郊外にあった。彼が出世した際に与えられたもので、周囲の田畑を含めてすべて彼の所有なのだという。
とはいえ戦に忙しい彼は、贅沢をすることもなく、与えられた者をそのまま使って暮らしているらしい。
土地の管理のほとんどをその地域で暮らす人々に任せており、他の貴族たちのように偉ぶったり、無為な命令したりするようなことはしていないらしく、とても慕われていた。
将軍という地位を得てからも、質素な生活はそのまま変わらず、屋敷の使用人は片手で足りるほどしかいない。
彼らは総じてみな、テリウスの妻となったアルルに親切だった。
戦好きの国王の娘ということで思うところもあるだろうに、誰ひとり嫌な顔をすることもない。
毎日清潔な服を着せてくれて、あたたかい食事を出してくれた。仕事を押しつけてくることもなく、アルルがつつがなく過ごせるように手を尽くしてくれる。
忙しいテリウスはこれまでもほとんど帰ってくることはなく、世話をする相手がいなかったため、女主人が生まれたことが嬉しいのだと言う。
「将軍様も、もっと姫様と一緒にいたいでしょうに」
テリウスがアルルと過ごさないのは、忙しいからだと信じ切っているのが伝わってくる。
彼が愛さないと宣言したことはどうやら知らないらしい。
主を慕う彼らを騙しているようで心苦しかったが、テリウスの本心がわからぬ以上、アルルから動くこともできずにいた。
せめて何かできることはないかと、アルルはテリウスの服や身の回りの物を繕ったり、忙しい彼に変わり周囲の人々への挨拶をしたり、困っていることはないかと声をかけるようにしている。
最初は戦好きの国王の娘だと警戒していた人々も、最近では気安く声をかけてくれることが増えた。
テリウスもまた、以前よりは屋敷に帰ってくることが増えたらしい。
使用人たちは、妻となったアルルに会いたいからだなどと言っているが、そうではないことをアルルは知っている。
その証拠に、屋敷に戻ってもテリウスはアルルに声すらかけない。
夫婦の寝室に寝るのはアルル一人きりで、テリウスは自分の部屋で休むのが定番だ。
目が合えば顔を歪められ、居合わせれば姿を消されてしまう。
まだいたのか、と面と向かって言われたこともあった。
普通の娘であれば、夫にここまで冷遇されれば心が折れていたことだろう。だが、アルルは平気だった。
むしろ、ここまで嫌っていのるに追い出さないテリウスの優しさに感謝すらしていた。
(私は押しつけられた妻。しかも彼が嫌う王族だもの)
寒さや空腹で目覚めることもなく、怒鳴られることも物をぶつけられることもない。
何より、ずっと憧れていたテリウスの側にいられるのだ。たとえ彼から愛されなかったとしても、何の不満もない。自分にできることはなんだってしようと決めた。
テリウスがいつ帰ってきてもいいように、彼の部屋に花屋を絶やさす、いつだってあたたかい食事が用意できるようにするのが、アルルの習慣になっていった。
希の帰宅時には可能な限り出迎えをし、見送りもした。
彼の前ではいつだって笑みを絶やさずにいた。
そんなままごとのような日々が半年ほど過ぎた、ある日--テリウスが戦場で大けがを負った。




