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「ん、ん!!」
言い切る前に強引にネロに唇を奪われたから、しゃべることすらできなかった。
口づけの勢いのままベッドに押し倒され、ビアンカは弱々しくネロの肩や胸を拳でたたくが、たくましい身体はびくともしない。
長く、そして深く唇を吸われようやく離れたときにはビアンカは空気を求めて浅い呼吸を繰り返す羽目になった。
「な、にを」
話の途中だったし、何より病人なのにと恨めしげにネロを見上げる。
「……!」
だが、浴びせるつもりだった文句の言葉が引っ込んでしまった。
ビアンカを見下ろすネロの顔には表情というものが一切なく、光のない虚空な瞳がただじっとこちらを見つめている。
魂の奥底までのぞき込んでくるような冷酷な表情に、血の気が引く。
ネロの名前を呼びたいのに、言葉が喉に張り付いて出てこない。
「あなたは何も知る必要はない。何も考えなくていい。ただここで、俺に守られていてくれればいいんだ」
「な、にを……っ」
ビアンカを見つめるネロの顔は泣きそうに歪んでいた。
痛みをこらえているような、苦しくてたまらないのを我慢しているような、ひどく辛そうな表情にこちらの胸まで苦しくなってくる。
「あなたの笑顔を見るのも声を聞くのも俺だけでいい。過去も、現在も、未来のことだって考える必要はない。俺が全部守る。外の世界なんて、俺たちにはいらないんだ」
「……!」
紡がれる独りよがりな言葉に、頭を殴られたような衝撃が走る。
どうしてそんな顔でそんな身勝手すぎる言葉を吐けるのか。
(なぜ何も教えてくださらないの)
歩み寄れたと思っていたのに。
ほんの少しだがわかりあえたと思っていたのに。
一緒に生きていけると思ったのに。
「……しないで」
「ん?」
「馬鹿にしないで! 私は、守られるだけのお人形さんじゃないのよ!」
渾身の力でネロの胸を突き飛ばせば、不意打ちだったのかネロの身体がぐらりと揺れてベッドの外へと落ちていった。
床に尻餅をついた情けない体勢で呆然とビアンカを見つめるネロの顔を見ていると、一気に怒りがわいてくる。
「馬鹿にしないで! ネロ様なんて大嫌い!!」
「……!!!」
本気なわけではなかった。ただ、ひどく腹が立っていた。
どうして自分勝手な気持ちばかり押しつけてくるのか。なぜ、話をしてくれないのか。
思い出したくても思い出せない過去の記憶に対する苛立ちのせいで感情がひどく波立って、衝動のままに大嫌いと叫んでしまった。
「あ……」
そんな自分の言葉に驚いてビアンカは息を呑む。
(なんてことを)
慌ててネロを見れば、先ほど突き飛ばした状態のまま床に座り込んでいる。
その顔はまっすぐビアンカを見つめていた。
(なんで)
きれいな顔が苦しそうに歪んでいた。
今にも泣き出しそうなその表情に胸が潰れそうに痛む。
(なんであなたがそんな顔をするの)
傷ついたのはビアンカだ。
自分の記憶に振り回され、ネロに自由を奪われ、身勝手な欲望をぶつけられ。
怒っているのはこちらの方なのに、まるで加害者になったような気分になる。
書けるべき言葉が思い浮かばず、口を開いては閉じるを繰り返していると、ネロが無言のままのろのろと立ち上がった。
普段はまっすぐに伸びている背中がわずかに丸まっているせいで、叱られた大きな犬のようだ。
「……あの、ネロ様」
「ごめん。今は何も聞きたくない」
「えっ、ちょ……」
ネロはまるで逃げるように部屋を出て行く。
追いかけようとビアンカがベッドから降りようとしたときには、部屋の扉を開けて廊下へと出て行ってしまった。
パタンと閉じる無情な音とともにビアンカは部屋の中に一人取り残される。
ご丁寧にも部屋の外から鍵をかける音が聞こえた。
こんな状況でもビアンカを閉じ込めておくことは忘れないらしい。
「なん、なのよ」
情けなく震えた声が唇からこぼれた。
追いかけていって話の続きをするべきなのに、そんな気力もわいてこない。
頭に浮かぶのは泣きそうな顔をした先ほどのネロの表情。
あんな顔をさせるつもりではなかった。
「でも、でも……」
ビアンカだっていっぱいいっぱいなのだ。
何もわからない。ちゃんと知りたい。教えて欲しい。だって。
「私だって、ちゃんとネロ様を好きになりたい」
ぽろりとこぼれた自分の言葉にビアンカは目を見開く。
今の今まで気づかなかった自分の気持ちにようやく気がついてしまった。
いつの間にか好きになってしまっていた。
必死にあらがっていたけれど、結局ビアンカはネロを選んでしまっていたのだ。
ネロから愛を告げられるたびに嫌だった。ネロが愛しているのは前世のアルルで今のビアンカではないと言われているようで悲しかった。
だからこそ、ちゃんと知りたかったのだ。本当に前世で何があったのか。
もしビアンカが記憶しているものと事実が異なるのなら、教えて欲しかった。
その上で、生まれ変わった二人としてちゃんとはじめたかったのに。
『あなたは何も知る必要はない』
ネロが口にした言葉は、今のビアンカを否定するものだった。
何も知らず考えず、ただ自分の側にいろと言われているようで許せなかった。
「私は、人形じゃないのに」
視界がゆらりと揺れて、熱いしずくが眦からぽろりと落ちる。
涙の理由が、悲しみなのか怒りなのかそれとも失望なのかわからないまま、ビアンカは部屋で一人膝を抱えたのだった。




