20
ビアンカの前世であるアルルにはたくさんの兄姉がいた。
そのほとんどはビアンカに興味がなく、まれに関わることがあっても大概が悪意を向けてくるひとばかり。
だがブランだけは違った。
アルルとは違い高貴な血筋の正妃を母に持っていた第一王子ブランは、兄弟たちの中でも飛び抜けて優秀な人物だった。
温厚な人柄でいつも人に囲まれていたし慕われていたと思う。
ブランが国を継げばきっとよくなる。そんな風に誰もが思っていたことだろう。
だが、ブランは病弱で戦場に立つどころか、剣を持つことすらままならないほどに弱い身体を持って生まれてしまった。
そのため、武力を重んじていた父王から王位継承権を剥奪されていた。
にもかかわらず、ブランは腐ることなく文官として国政に関わり国のために尽くしていた。
誰からも気にかけられることのなかったアルルを唯一案じ、いつも優しい言葉をかけてくれた優しい兄。
テリウスと結婚してからも手紙をくれていた。
「……どうしていいままで忘れていたのかしら」
ビアンカが覚えているのはほとんどがテリウスに関わることばかりだ。
あんなにも優しくしてくれた異母兄のことを覚えていないなんてどうかしている。
「それに……お兄様とテリウス様は友人だったのに」
二人はよく一緒に話をしていたことを思い出す。
アルルがテリウスを知ったのも、彼がブランと交流があったからだ。
頼れる存在だとテリウスを紹介された。
不器用ながらも礼を尽くして挨拶をしてくれたテリウスにアルルは恋したのだ。
だからこそ父王から結婚の命を受けたときもためらわなかったのに。
先ほど以上に心臓がうるさい。
ネロと過ごしていた時にも違和感はあった。
ビアンカが前世だと思っていた記憶は完全ではなく、何かとても大事なことを忘れているのだと確信できた。
一番不可解なのは歴史書に記された記録と、前世の記憶との相違だ。
「どうしてお兄様が皇帝に……? 一体何があったの?」
アルルはテリウスが起こしたクーデターで殺された。順当に考えれば、テリウスが国を乗っ取り初代皇帝になったのだろうと思っていたのに、どうしてブランが初代皇帝になっているのだろう。
手を震わせながらページをめくれば、ヘルバが建国された由来が記されていた。
ヘルバのはじまりはある小国だった。残虐非道な王により荒れた国を立ち直したのは、心優しき王子とそれを支えた将軍。二人は共に国王を討ち取り、国を立て直した。国を継ぎ国王となった王子の意思に賛同した周辺諸国がそれに従い国が大きくなり、ヘルバとなった。
「お兄様が、国王に……じゃあ、クーデターを起こしたのはお兄様だったの?」
将軍であったテリウスが腐敗した王政を破壊するために起こしたものだったはずだ。
だが歴史書には、クーデターを起こしたのもその後に国を治めたのも統べてブランだと記されている。将軍は名前すら書かれていない。
「どういうことなの。テリウス様はどうなったの?」
目を皿のようにして文字を追うが、テリウスに関する描写は最初に少しだけあるだけで以後はまったく登場しない。書かれているのはブランがどれほど優秀で国民に愛されていたかというだけだ。
「そんなわけ……あ……」
歴史書の最後のページに初代皇帝ブランが、クーデター時に国のために戦い殉じた戦死者たちの名前を書き連ねたものの写しが描かれたページがあった。
その中にはアルルの記憶にある者たちもいた。そして。
『将軍テリウス』
たくさんの者たちに紛れるように書かれたテリウスの名前に、どっと汗が噴き出す。
テリウスはクーデターの最中、命を落としていたのだ。
「そんな。まさか」
アルルを殺した後、テリウスは自由を手に入れ幸せな余生を暮らしていたわけではなかった。
あまりの事実に言葉が出てこない。
「どうして……あ……」
呆然と文字を追い続けていた視線がある一文をとらえた。
『--愛する妹、アルル』
頭が割れるように痛んだ。
本を持つ手が震え、床に落としてしまう。
ブランの文字が、はっきりと頭の中で再生された。
それと同時にこみ上げてきたのはおぞましさと恐怖だ。
「っ……」
ぐらりと身体が傾ぎ、ソファから床へと落ちていく。
身体が落ちる鈍い音と共に、机のティーカップが割れる音が聞こえた。
「お嬢様!」
扉の向こうに控えていたメイドが物音に気がついたのか、慌てて部屋に入ってくるのが見えたが、ビアンカは声をかけることができないまま意識を手放したのだった。




