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一度一線を越えてしまえば後はなし崩し。
その日の夜からネロは毎晩ビアンカの寝台に潜り込むようになった。
何もせず腕に抱かれて眠るだけのこともあったが、大概の場合不埒なネロにビアンカは翻弄され続けることになってしまった。
しかも変化はそれだけではなかった。
「ただいまビアンカ。今日はお菓子を買ってきたよ。お茶の時間に食べるといい」
「ビアンカ、今流行の新しい生地で作られた寝間着だそうだ。着て眠るとよく眠れるそうだよ」
「これはね、最近この国の女性の間で人気のお香なんだ。君が好きそうだと思って手に入れたんだよ」
これまでも贈り物が多かったが、最近はその中身が随分と様変わりしてきたのだ
仕事で家を空けた後持ってくる品のほとんどが、ビアンカに少しでも居心地良く過ごして欲しいという願いが込められている品ばかりなのだ。
ただ目に付いた品物を届けるわけではなく、どう使って欲しいかを真剣に考てくれている姿にビアンカはじんとしてしまっていた。
(肌を重ねたからって単純すぎない?)
前世では最低限の関わりしかなかった。
夫婦だというのにお互いの体温も知らず、ただ同じ時間を過ごしていただけなのに。
『これを君に』
(まただわ)
ネロに優しくされるたび、彼の前世であるテリウスの言葉が頭に響く。
贈り物などされたことなどないはずなのに、どうしてとビアンカは泣きそうになる。
ビアンカの中にいるアルルが、今のネロにテリウスを重ね、幻想しているのだろうか。
(嫌だな。ネロは私に贈り物をしてくれているだけなのに)
心の中にいるアルルが、ネロにテリウスを重ねることがひどく不愉快に思えてしまった。
(って何考えているのよ)
自分の中に浮かんだ考えにビアンカはひどくうろたえる。
まるでネロは自分のものだと言わんばかりの感情を受け止められない。
「どうかしたのか?」
「っ、なんでもありません!」
黙ってしまったビアンカにネロが心配そうに声をかけてきた。
慌てて首を振り否定すれば、ネロが気遣わしげに顔をのぞき込んでくる。
「疲れているのではないか? 毎日、妃教育で大変なのだろう」
「そんなこと……」
確かにこの国のしきたりや歴史を学ぶのは大変だが、楽しくもあるのだ。
屋敷の人たちは皆、ネロがようやく連れてきた婚約者に親切だし、教師たちだってとても真摯に接してくれる。
ネロと共寝するのは骨が折れるが、誰かの人肌は心地いい。
(あれ? 私、ここでの生活に馴染んでない?)
振り返ってみれば連れてこられた時に感じていた不安や戸惑いがすっかりとなくなっていた。
それだけネロやまわりがビアンカのために心を尽くしてくれているのだということに今さらながらに気づいてしまった。
(……この人、本当に私のことを?)
騙して利用して、いつか手酷く裏切るつもりの相手にここまでするだろうか。
もしかしたら本当にビアンカのことを大切に想ってくれているのかもしれない。
そんな期待が心に芽吹きそうになる。
「ビアンカ?」
優しく名前を呼ばれるとなぜだか泣きたくなってしまう。
それは記憶の中のアルルのせいなのか、今のビアンカの気持ちなのかわからなくなる。
「あなたこそお疲れなのではありませんか?」
こちらを見つめるネロはほんの少しだけ顔色が悪く見えた。
手を伸ばして頬に触れれば、こちらに戻ってきたときよりも少し肉が削げているのがわかった。
(ここ最近、遅くなることが増えたものね)
休日に呼び出された日以降、ネロの帰宅時間が遅くなる日が随分と増えた。
一緒に眠っていて手を出されない理由のほとんどが、彼がビアンカを抱きしめるとそのまますぐに眠ってしまうからだ。
「私のことばかり気遣わず、どうかあなた自身も大切にされてください」
『お願いだから無理をしないでください』
前世の自分もかつて夫にそんなことを伝えた記憶がある。
戦いばかりのテリウスのことが心配で少しでも休んで欲しかったのだ。
だがテリウスはアルルを煩わしそうに一瞥しただけで返事もしてくれなかったように思う。
「……ありがとう。君のその言葉だけでどれほど救われるか」
だがネロは違った。
わずかに目を瞠り、それから蕩けるように微笑んで頬に添えたビアンカの手に己の手を重ねてきたのだ。
「屋敷に戻れば君がいる。こうやって触れることができる。俺はそれだけで本当に幸せなんだよ」
「……ネロ様」
じんわりとした熱が胸を満たしていると、手に添えられたネロの大きな手がそのままするりとビアンカの腕を辿り肩を抱いてきた。
「君にも寂しい思いをさせたね」
「え?」
「今夜は早く帰れたことだし、たっぷり可愛がってあげる」
「あの、ちがっ、そういう意味じゃ……」
ネロの何らかのスイッチを押してしまったのか、ビアンカはそのまま抱え上げられ寝室に連れ込まれてしまったのだった。




