09
そしてとうとう出発の日がやってきた。
ビアンカが乗る馬車はネロが乗ってきた特製の馬車らしく、とても大きく豪華だった。
「ビアンカ。この日を待っていたよ」
「は、はは」
エスコートしてくれるネロの笑顔に頬を引きつらせながら、ビアンカは家族に別れを告げ馬車に乗り込んだ。
馬車の中は外から見るよりも大きく作り付けられた椅子は恐ろしいほどの座り心地だった。
(この道中で、前世のこと絶対に聞き出すんだから)
どうやら馬車に乗り込むのはビアンカとネロだけのようだった。
しっかり話ができて助かると思う反面、こんな密室で二人きりなんて危ないのではないかという不安も大きい。
いつ切り出そうと考えていると、鞭の音共に馬が嘶き、馬車が動き出す。
窓越しに家族に手を振っていると、なぜか向かいの席ではなく隣に座ったネロが嬉しそうに話しかけてきた。
「ゆっくりくつろいで。長い旅路だから」
(ちかいちかいちかい)
すぐ隣にいるネロの顔は今日も眩しいほどに整っている。
だが肩同士が密着する距離感は正直怖い。
話をするつもりだったが、少し気持ちが落ち着くまで待とうと、意識をそらすために再び窓の外に視線を逃がしたビアンカだったが、目に飛び込んできた光景にひっと短い悲鳴をあげることになった。
窓の外には馬車に乗った騎士が数十名おり、馬車を守るように列を成している。
反対側の窓に視線を向ければ、そちらにもずらりと騎士が控えていた。
多い。あきらかに多い。人手が多すぎる。
いくら第二王子の馬車とは言え、この人数は異常ではないだろうか。
「あ、あの、ネロ、様?」
「なんだいビアンカ?」
「騎士様の数が、随分と多いようなのですが……」
「ああ。君を守らせるために呼び寄せたんだよ」
「は?」
何でもないことのようにさらりと告げられた言葉にビアンカは目を丸くする。
「……あの、もう一度言っていただけますか? 呼び寄せた? 騎士様たちを、ですか?」
「そうだよ。彼らは我が王家に仕えてくれている近衛騎士たちだから、剣の腕は保証するよ。安心してね。みんな精鋭だし、しっかりとしつけられているから。ああ、でも間違っても手を振ったり微笑みかけたりはしないでね。姿を見るくらいならいいけど凝視はしないで。君が見つめていい男は俺だけだよ」
(いやいやいや)
後半のとんでもない発言に思わず首を振ってしまう。
安心できるとかできないとかではない。確かに用心するに越したことはないが、これはいくらなんでも過剰護衛だ。
「この人数じゃ不安かな? でも安心して。この馬車は特別製だから、たとえ斧を持ち出してきても壊せない。君には傷ひとつつけないから」
まさか馬車までと呆気にとられていれば、ネロはにこにこしながらずいっと顔を近づけてきた。
「かわいいビアンカ。君とこうやって過ごせるなんて夢のようだ」
ぞっとするほどに甘い声でささやかれ、首筋から背中までぞわりと粟立つ。
「……で」
「うん?」
「なん、で、ですか」
絞り出した声は震えていた。
どうしてビアンカを守ろうとするのか。なぜ、まるで本当にビアンカを大切に思っているかのように振る舞うのか。
いくつも重なった疑問が口を勝手に動かしていた。
「なんでって……君を愛しているからだよ」
「愛、って……私を、殺したのに?」
殺した、という言葉にネロの表情が固まった。
信じられないものを見るように目を丸くしている。
「覚えていたのか……」
「えっ?」
動揺の滲んだ口調はテリウスのものだった。
その驚きようにビアンカのほうがたじろいでしまう。
自分の最期を覚えていたのがそんなに不思議なことだろうか。
「ほかに、何を覚えている」
「え、えと……」
急に真剣な表情でといかけられ、ビアンカは大いに戸惑った。
覚えているのは、初夜で「愛することはない」と言い切られたこと。寂しい結婚生活だったこと。そしてテリウスに殺された瞬間のことだけだ。
「あなたが、私を嫌っていたこととか」
ネロの大きな目がこぼれてしまいそうなほどに見開かれる。
「な、えっ……」
それからひどく動揺した声をこぼし、震える手で口元を隠してしまった。
(覚えてないと思っていたのかしら)
まさかそんな反応が返ってくるとは思わず、ビアンカは戸惑ったが、せっかく口を開けたのだからと思いの丈を伝えることにした。
「わかっているわ。あなたにとって私は押しつけられた妻だったし、父のやったことを考えれば憎まれても当然よ。前世のことはもういいの。過去のことだし。でも、どうして今世でまで私と結婚しようとするんですか?」
テリウスの手によってアルルが殺されたあの日、二人の縁は切れたはずなのだ。
もう二度と絡まることなどなかったはずなのに。
「殺すほど憎んでいた私を、どうして守るだなんて……いったい何が目的なんですか?」
勢いのままに声をあげてみたが、ネロは返事をする気配がない。
わずかにうつむいて唇を押さえたまま、じっと固まっている。
「あの、ネロ、様?」
さすがに不安になって呼びかければ、ネロが勢いよく姿勢を正した。
「……アルル姫……いや、ビアンカ。前世で君にしたことは謝っても謝りきれることではないし償えるとも思っていない……」
「…………!」
ネロの口から謝るや償いという言葉が聞こえてきたことにビアンカが驚いていると、ネロがビアンカの手を取り、自分の頬に押し当てた。
「だが今は……いや、今の俺は、あなたを大切にしたいと思っています。再会できたことが何より嬉しい」
テリウスの口調からネロに戻っていくのがわかる。
真摯な口調は決して嘘を言っているようには思えなかった。
まっすぐな言葉に胸がぎゅっとなる。
まるで夢を見ているような気持ちだった。テリウスを慕っていたアルルの魂がビアンカの中で震えた気がした。
もし、前世でこの言葉を告げられていたらアルルは心から喜び、テリウスを受け入れたことだろう。
だけれど。
(もしかして、前世の私への贖罪で結婚を……?)
何らかの理由でテリウスがアルルを殺したことを後悔しているから、その罪滅ぼしに今のビアンカを大切にする気なのだろうか。
(いやいや。それなら放っておいてくれた方がよっぽど幸せよ)
あまりにも今さらだ。
とにかくネロから手を取り返そうとするが、掴まれたままの手はどんな引いてもびくともしない。
それどころか痛いほどに強く握りしめられていく。
「あの、ネロ様……」
「だから今度こそあなたを守りたいんです」
「えっ?」
(今度こそ?)
どういう意味だろうかとネロの顔を見ようと顔をあげれば、息がかかるほどに近くにネロが顔を寄せていた。
真っ黒な瞳には光りがなく、ビアンカは思わずひっと喉をならす。
「絶対に手放しません。俺の傍であなたを大切に大切にします。どんな脅威からも危険からも遠ざけ、ずっとこうして二人で生きて生きましょうね」
(ひ、ひいい)
いったい何がネロをそうさせるのか。
前世の贖罪とかそんな単純なものではない何かを感じ、ビアンカは声にならない悲鳴をあげたのだった。
結局、道中ではそれ以上の話をすることはかなわなかった。
同じ馬車に乗っていたのは最初だけで、休憩を挟んだ後はネロはビアンカの乗る馬車に併走する馬に乗って、言葉通りすべてからビアンカを遠ざけ守るように傍を離れなかった。ビアンカが馬車から出ることは基本的には許されず、何か用事があるときはネロが扉を開けてことを済ませる始末。
一緒の空間にいなくて済むのはほっとしたが、どうしてという疑問は尽きない。
なんとか話をしようとしたもののたくさんの近衛兵たちがいる中では聞きづらいし、だからといって「馬車に乗って」と誘うのもためらわれる。
そんな悶々とした旅路がようやく終わりを告げたときは、ビアンカは心からほっとしたものだ。
(ようやく馬車から出られる!)
嬉々として馬車のタラップを踏んで地面に降りたビアンカだったが、目の前に広がる光景を見た瞬間、再びぴしりと固まった。
(な、な……)
「今日からここがあなたの住まいですよ」
あまりにも大きなお屋敷だった。真っ白な外壁もあいまって、邸宅ではなく皇城なのではないかと思うほどだ。
(大きい……そして本当に塀がある……)
屋敷を取り囲む背の高い塀は妙に真新しく、以前ネロが言っていた言葉を思い出し思わず身震いしてしまう。
「えっと、あの……」
本当にここに住むんですかと聞こうとした瞬間、屋敷の方から何やら騒がしい声が聞こえてきた。
視線を向ければ何やら美しい男女の集団がこちらに押し寄せてくるのが見える。
その先頭にいる美しい女性の表情はあきらかに怒っていた。
「ネロ様! いったいどういうつもりですか!」
(えっ、えええっ!)




