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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

枯れ井戸に乾杯

作者: 酒園 時歌

 黒い熱が、喉元を通り過ぎた。胸の底からじんわりと広がるそれは、身体に滲むように馴染んで、心地良い安堵感を得られるものだった。

 吐息を一つ。

 ほろ苦いコーヒーの香りが、自身の中で暗い虚空を満たした。

 ローテーブルを挟んだ向かい側を見やれば、自分と同じくソファに一人。オカルト雑誌の編集者である自分のそういう(・・・・)ツテの一人である彼女は、今回の原稿の監修で、紙の束に目を通していた。


 事の発端は、とある殺人事件の報道から広まった噂話だった。

 ―――『殺せばいい』って、神様が言ったから。

 犯人が言ったその一言は、大多数の人々には妄言や適当な言い訳として真に受けられずに終わった。

 しかし、ごく一部の人々には興味を持たれ、短期間の内にその詳細が割られていったのである。犯人を知る者が見聞きした、犯人の言動、その元となる場所や方法まで、そのすべてが。

 そして。

 その情報を纏めたものが、インターネット上で爆発的に広まることとなったのである。

 興味本位であれ、半信半疑であれ、実行した者達の実体験であれ、噂を聞いただけの創作であれ。それらは急速に人々の興味関心を、わずかでも真実だと信じる想いを集めていった。手順自体は簡単なため、()の遊びじみた降霊術のように、試す者は次から次へと出てくる。

 それは、新たな『信仰』に似ていた。

 その内容はこうである。

 深夜、丑三つ時に手水や池といった水場がある神社へ一人で行き、その水面を見て、風も無いのに水面が波打てば成功。再び凪ぐと自分の背後に自分を守護する神仏が映り、話すことができる。――――と、いう話である。

 犯人の行った神社は廃れた神社であり、その境内にある昔は使われていたという古井戸に投身しようかと覗き込んだ時に、カラのはずの中がその間だけすぐ傍まで水で満ち、それは起こったのだという。

 そして、取材した結果。

 何のことは無い。真相は低級霊の悪質な悪戯というだけだった。

 そもそも普通の神社でさえ夜は人ならざるモノが集い危険だと聞くのに、『廃れた神社』というワードだけで、もう嫌な予感しかしなかった。現場に神やその眷属といった担当がいても、信仰を失い場が荒れ穢れが溜まることでいわゆる『堕ちた』場合は昼間でも危険であり、愛想が尽きる等して持ち場を離れた場合は、その空き家には厄介なモノが住み着くものなのである。

 以前取材した人物の中に、荒れ果てて放置された神社を『哀れ』に思い自身が神主になりそこの管轄になった、と豪語した元一般人がいた。しかしそれは、堕ちた眷属が人々を恨むことで同類を、自分が特別で偉いと思い上がり無差別に他者を見下し恨むような人物を引き寄せ、共鳴し、自分の成り上がりに利用しただけだった、ということがあった。必要な能力は眷属側から相応に助力できる分、勘違いした『宿主』はより尊大になり、そんな自分に相応しい(・・・・)自分の担当する眷属に尽くす傀儡になる。そんな例があったのである。

 何はともあれ、今回の記事は正確な注意喚起が必要な案件と言える。

 一時的に満ちた水も、あちら(・・・)側がその場の湿気を利用して表面だけでもそう見せたのだろう。

 何故あちら側が水を媒介に鏡にして接触したかと言えば、水には念が溶け込みやすく、要はあちら側にとって好きなように変化させやすいからである。あちら側にとってはそれはまるで、万華鏡のように変幻自在に美しく形作ること、もとい、言い換えれば都合の良いまやかしを映して餌を惹き付けることもできる玩具とも言える。

 さらには、『念』という絵の具で理想の『絵』を描いて相手に認識させれば、相手はその存在がそこに在ると信じてその方面の意識の通路が開かれるので、感覚が繋がりやすくなり、聴覚にも通じてわかりやすく意思の疎通までできるようになる、という仕組みまでもが作れるようである。

 その性質から、水辺や湿気のある場所に幽霊が出やすい、ということにも繋がっている程である。

 そして、怨念の集う場所では怨念が溶け込みやすく、思考の性質がその念と近い者や興味関心を持って自ら寄る者程共鳴し、力が増幅して物質的な現象を起こしやすくなる。影響力の強い相手や受け入れる隙の大きな者等といった例外はあれ、つまり、嫉妬で逆恨みをする者や自分の不幸に他人を道連れにしようとする者程、悪寒以上のいわゆる『怖い思い』をしやすい仕組みなのである。

 そうしてその類似した性質の念及び恐怖の念すらも水は吸収し、その影響力はより大きくなっていく。その話がまた人を呼べば、悪循環の出来上がりである。

 肉体を持たない相手との『意思の疎通』ならば、視覚や聴覚を使わずとも、『意味』を相手の意識に投げ入れ合うだけで成立する。使うのは精々が『意味』を表すための『言葉』や『絵面』である。肉体的な五感に頼ろうとする程物質というフィルターが邪魔をするわけで、だからこそ騙されやすくなるのである。

 普通に人間同士が会話をしても、表面上はにこやかに愛想良く振る舞う者が心の中では相手を貶す、つまるところ肉体を使って本心を偽り相手を騙す、ということはよくある。あちら側の手口は、それと同じことなのである。


「――――――大丈夫です。この内容で載せてください」

 女性の声が、編集者の意識を現実に引き戻した。ローテーブルに置かれた紙の束が、目の前に押し進められる。

「はい。ありがとうございます」

「それにしても、今回も厄介な内容でしたね。魔除けや浄化は追いついていますか? 体調や意識にお変わりは?」

「まあ、なんとか、なんとも」

 受け取った紙の束を鞄に仕舞いながら、どう答えればいいのか、言葉を濁した。

 大丈夫と言えば大丈夫だが、大怪我や大病、精神的な不安定等が無いというだけで、細々(こまごま)とした違和感は時々あるのである。ラップ音やポルターガイスト等、自分本体に降りかからなくても、周囲には多少影響があったりもする。

 魔除けや浄化を気にしていない頃は、見えないはずのものが見えたり水道や家電が故障したり、何なら死にかけたり、と色々目立つ異変があったが、今ではそういうことは無いので、感覚が麻痺しているだけかもしれない。

 オカルト雑誌の編集者。

 この職に就いて最初の内は合成写真や作り話を本物として取り扱うことも多かったが、次第に『多くの読者に強く求められるようにもっと刺激のある娯楽を』、とその世界(・・・・)にのめり込んでいく内に、偽物(フェイク)でも同じ分野を取り扱えばいわゆる類が友を呼んで本物も寄ってくるようになるのか、数年経った今では本物且つ危険性の高いものまで取り扱うようになっていた。それはまるでラジオのチャンネルが合うように、特に意識して探さずとも、そういった事柄に辿り着いたり、情報が舞い込んだりするようになったのである。

 身の危険を感じた事例も複数あり、いい加減に転職をした方が安全だとはわかっているが――――――なかなか、どうしてか、いつの間にか辞める気が削がれてしまっているのである。

 それは中毒に似ているだろうか。

 とりあえず、魔除けや浄化となるらしいことはしているので、まだ続けられることだろう。

 風呂に入ることが『浄化』になる、というのはよく聞く話である。さらにはシャワーで表面だけ流すよりも湯船に浸かった方が効果があり、塩風呂にするとより良い、という話もある。

 ―――塩は吸湿性が高く水に沢山溶けやすいので、それが体内から出る水分と外にある水分との念の交換を誘導して効率良くしているのかもしれないですね。交換というか、実質一方的に溶かして吸い出すような形になりますけど。似た話で、『霊を祓うには塩が良い』と聞きますが、これもつまり、塩が水分を吸収することでそこに付属する念を分散させて現象を収めるのかもしれません。御札や御守りの効果の作用の原理も塩と同じく、どちらかと言えば洗濯物を干すに近く、要は水分の入れ替えでその中の念の情報も入れ替えているに過ぎないとすれば、故に『定期的に交換しなければ逆に悪いものが溢れ出す』等と言われるのでしょうね。

 追加の科学じみた憶測は、彼女の言葉だった。

 そして、『魔除け』と言えば御守りや石がゴロゴロしているものだが、簡易で手に入れやすいものと言えば『赤いもの』だろう。

 そういえば、(のち)に彼女から渡された、魔除けの一種だという首に掛ける赤い輪に「首輪ですか?」と訊けば、「次からはネームプレートも付けましょうか?」と返ってきたので、丁重にお断りさせていただいたこともあった。

 次いで、会話の流れで挟まれた余談が一つ。

 ―――私が思うに。まず、赤外線は熱をよく伝える性質がある電磁波で、私達の身体も含め、熱を持つものはすべて赤外線を出しているものです。その赤外線が色々と感知して解明できるのと関係があるのか、それに一番近い光の波長を吸収せず映し出される『赤色』が魔除けに効果的らしく、霊的な体内への出入口は首の後ろ辺りなので、そこを封鎖するように守るのでしょう。パソコンで言ってみれば、外から伝って感知や解析をし、さらに細工をして本体を乗っ取るウイルスが『霊』であり、『赤色』はそれを防ぐファイヤーウォールのような役割でしょうか。

 ―――ああ、良かった。ちゃんと意味があってのこの形状と場所だったんですね。そういう趣味ではない、と。

 ―――とある言動が意図せず別の何かしらの意味を持っていた、なんて珍しくないことですよ。身体が欲する成分のある食材を無意識に欲しがるようなものです。暑くて疲れる時期に、クエン酸のある柑橘類や酢といったすっぱいものを好むように。首輪を付ける意味もそう。ペットに首輪を付けて所有権を主張したところで、飼い主がいる証明という安全の裏では、服従させる支配欲が首を締め付けていたりもするでしょう。首輪から首、体内へと、持ち主の念が直接侵入するように。

 ―――あれ、否定はされない。

 ―――……。

 ―――あの…………? えっ?

 それはともかく。

 輪は紐や毛糸を簡易に結んだものでいいそうだが、ならばどこでも不自然に見えないようネクタイで代用できないか、と考えたところで、それもまた一種の首輪、何ならリード付きのようにも思えてしまったので、とりあえず現在は保留でいきたいところである。

 ちなみに、神社仏閣に行く際は喪中等『死に関する穢れ』がよろしくないので、言ってみれば女性の『死を排出する期間』、いわゆる『月のもの』の状態では、『赤色』に関するとは言え、喪中と同じく神社仏閣へは立ち入りできないようである。穢れている上にホルモンバランスが崩れて体調が悪くなるので、むしろ霊的にも物質的にも普段より不安定になる、危険性の高まった状態とも言えるだろう。

 そもそも血はすぐに赤黒くなり、さらには褐色へと変色してしまうので、『赤色』としての魔除けには適さないのではなかろうか。むしろ、DNAを持ち体内を(めぐ)る液体な分、念を込める『呪い』には適している気はするが。

「大丈夫なら良いのですが。あちら側に意識を巻き込まれれば、この記事の二の舞にもなりえますから」

 彼女は続ける。

「この界隈の現象の大抵は、言ってみれば『プラシーボ効果』と『アンビギュアス・シリンダー錯視』との合わせ技。で、説明がつきますからね。言い換えれば、『自己暗示』と『偏見』による思い込みを現実として認識に転写している、と。結果として、無いはずの『赤紫色』を『補正』で見るようなものでしょう。今回がわかりやすい例なだけで」

「『霊』だけに」

「編集君。ちょっと黙っててくれますか」

「すみません」

 平坦なお叱りの声に、澄まして両手を少し挙げておく。

 どうやら、今回紡いだ戯れ言はお気に召さないようである。素直に口を(つぐ)むことにする。

 本来ならば存在しない『赤紫色』は、赤色の光と紫色の光を同時に受けた時に見えるものだが、色環におけるその中間である緑色になると単一光としての緑色と区別がつかないから、脳が勝手に作り出した色なのだという。

 次いで、『プラシーボ効果』とは、薬としての有効成分を持たない偽薬(プラシーボ)の服用で、症状の改善が見られる効果である。これは生体が本来有する自然治癒力を基に、本人の治癒への期待や自己暗示の効果が複合して発揮される反応だという。

 そして、『アンビギュアス・シリンダー錯視』とは、一つの物体が実物と鏡では見え方が違う状態のことを言う。例を言えば、実物は円に見えるのに鏡では四角に見える物体だろう。その仕掛け(タネ)は単純で、その物体の上面が変則的な形をしているから見る方向によって形が違って見えるだけであり、鏡では見る方向が変わるから形も変わって見える、ということである。人は、普通は上面は地面に水平になっている、と無意識に思い込んでいるので、それを利用したものらしい。

 つまり、鏡に映っているものは確かに本物かもしれないが、現実で見える状態とは違うかもしれないのである。

 ちなみに、鏡に映さなくても見る方向を変えるだけで形が変わるものを『変身立体』という。

 ともあれ。

 このことから、ものの見方は自由に変えられる上、見せ掛け(ガワ)と中身が全く違うものの可能性もある。悪く見える状態が実はできる限りの最善手かもしれないし、逆に、良く見える状態でも最悪の事態かもしれないのである。

「自分よりも明らかに上位の存在を騙る者程、実物は他者から奪ったものばかりで着飾った薄っぺらい空洞なものでしてね。人間だけでなく、低級霊や魑魅魍魎でも同じこと。神仏を名乗りそれらしい姿形(ナリ)でそれらしいことを言うだけで悦に浸る者はいます。借り物ですらない奪ったものを自分のものとして着飾っていれば、楽に敬われて良い気分になれるんですからね」

 彼女は続ける。

「自分らしく考えて『自分』として接すれば自分本体への扱いになるから、また違ってくるのに。得たはずのものは全部奪った借り物以下に奪われて、自分本体には何も残らないのに。……むしろ、増えるとすれば、実力からはズレた『確実に自分の手に負えない重荷』ばかりになるのにね。そして自分だけが自滅すればマシな方で、人間なら大抵は周りに面倒を押し付けるか隠し通すかで被害を拡大させる道連れ一択」

「『ズレ(づれ)』だけに」

「編集君」

「おっと、私としたことが」

 再び両手が少し挙がる。

 いつものことである。この掛け合いには、つい抑え切れない声が、それを吐き出そうと口が、自然と反応する。相手も本当に怒っているわけではないようなので、余計にその『つい』が続いてしまうのである。

「……まぁいいです。ああ、ついでに余談をしましょうか」

 そう言って、彼女は自身のコーヒーとは別に傍に置いていた手付かずの水を、おもむろに目の前に差し出してきた。

 何の変哲も無いように見える、コップ一杯の透明な液体である。

「さて。水には非常に高い溶解能力がある、ということは知っていますね。コーヒーやお茶だけでなく、それは振動すらも波として吸収してしまうもの。そして電気をも通し、人間の念も例外ではない。この性能から、水は『情報記憶媒体』と言ってもいいでしょう。ここからすると。生きた人間が電気信号で考え動くように、空気中の水分の中の電気がその場で直に接して伝わる『人間の念』という情報を記憶してその場に作用すると考えれば、以前その場にいた人間の念を蓄積し、濃くする程に(のち)にその場にいる人間の脳をフィルターとして五感を媒介に、現実的な現象として反映するということも可能かもしれません。そして、水に念が溶け込みやすいのは、科学でも実質証明されていることです。有名なのは、『雪の結晶を作る時に特定の言葉ばかりを浴びせたらどうなるか』という実験でしょう。結果としては感謝の言葉を与え続ければ綺麗な結晶ができ、罵倒の言葉を与え続ければ壊れた結晶ができたといいます。つまり、置かれた環境次第で出来が違ってくるのです。そして――――人間の身体の七十%は水であり、つまりそれ程の影響を人間も受けるということになります」

 彼女は続ける。

「さて。そこで一つ、話をしましょう。この水に、私が念を込めました。貴方はこれを飲めますか? ただし、念は良いものかもしれませんし、悪いものかもしれません。良い念だったら飲まなかった場合、貴方を切り捨てます。悪い念だったら飲んだ場合、貴方を切り捨てます。さあ、どうしますか?」

 長い前振りに、唐突な質問。

 編集者は少し思案して、はっきりと答えた。

「飲みません」

「正解です」

 ぱちぱち。

 間髪を容れず。別に何とも思っていないような声色で、これ見よがしにわざとらしく、明らかに感情を込めていないような軽い拍手をされた。それは普通で当然のことを受け流すような、最初から結果がわかっていたような反応だった。

「良い念であれ悪い念であれ、飲んだところで、切り捨てているところでした。先程私にああ説明された以上。飲むとなれば、盲目的に私を信じているか、私を疑うけれどもそれよりも信じる気持ちの方が強いか、私に気に入られたい故の媚びからか、というところが妥当でしょう。となれば。盲目ならば、貴方は信頼できません。すべてを私に任されるのならば、他にも貴方の代わりはいます。最終的には信じるけれどもわずかでも疑うのならば、その意識を水に向けて注いだことでその疑いの念も込めてしまい、飲めば身体に意識に取り込んで、後々信頼関係に無意識下でその『疑い』が割り込んで、邪魔になります。媚び故は論外。媚びのために大丈夫ではない危険なものまで『大丈夫だ』と差し出すのならば、理解している分盲目よりも悪質です。どこに信頼できる要素があるでしょう」

 彼女は平然と言って、水を自分の元へと下げた。

「ちなみに、飲まない理由を聞いても? 正直に」

「良い念だとしても、うかつに軽々と言われるまま飲めば、貴女からの信頼は損なわれると思いまして。『危険』の可能性がわずかでもあると事前にわかっているのなら、そこでどうしても必要なリターンでも無い限り、わざわざそれに手を出すことはしません」

 正直な返答。そして、少しの意趣返し。

「それと。そもそも、悪い念ならば入れないでしょう。極力表に出たがらない貴女が大事な信頼できる取引相手を失ったとしたら、痛手を被るのは自分なんですから」

 さすがに少々尊大な物言いだったか。と、反省したところで、相手はただ口元に笑みを浮かべただけだった。

「大正解です。自立心のある人で良かった。だから信頼していますよ。……これからも、よろしくお願いしますね」

 相変わらず落ち着いた佇まいを崩さず、彼女は頭を下げた。それは柔らかく頼むようでいて、有無を言わせないような圧が感じられるものだった。

「……こちらこそ、よろしくお願いします」

 呑み込まれないように、こちらも同じく頭を下げてやり過ごす。相手の動く気配の後に頭を上げれば、彼女は何事も無くコーヒーに口を付けるところだった。


 それから、しばしの雑談。

 そして、さらにいくらか経ち、そろそろお(いとま)の時間だ、と引き下がる。

 帰り道。

 道中、ふとした考えが脳裏をよぎった。

 そういえば、出されたコーヒーはなんて種類だろうか。非常に美味しく、喉を通れば心地良く身体が暖まって、ほっと安心できるような気持ちになれた。延々と飲み続けることができる程に、また飲みたいと思えるような味だった。

 ――――――『味』だった?

 心地に付属した記憶が、虚空を満たした鍵が、『味』だった。

 また近い内に訪ねよう、と脳内で次の打ち合わせの約束を取り付ける算段をする。それはまるで、懐柔されるような、惹き付けられるような感覚で――――――。

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