第7話 封印の下層
台北市内、午後四時三十分。ホテル華苑。
劉宗憲たちは、台北の東区にある歴史的建造物を改装した高級ホテル「華苑」のロビーに立っていた。落ち着いた内装にジャズのBGMが流れ、観光客とビジネス客が交差する空間。だが、その裏に封じられた過去が眠っているとは誰も気づかない。
「じゃ、やるか」林 海翔が低く呟いた。公安特別調査班の一員である彼は、今日から宗憲の“相棒”としての任務を命じられていた。
フロントの受付係が異様なほど愛想よく鍵を渡してくる。名簿には不自然な空欄があり、記録も曖昧だった。
(ここまで協力的すぎるな……)宗憲は違和感を覚える。
二人は防災点検の名目で地下階へと向かった。重い鉄扉を抜け、コンクリートの無骨な廊下を進む。やがて壁の一部に、修復された跡のある古い木製の扉が見えてきた。
「……これか」宗憲が父・明哲の記録を思い出しながら呟く。
扉の前に立つと、記憶がフラッシュバックする。小学生の頃、父と訪れた山道。誰もいない神社のような場所に、祠と「封じられたもの」があったという言葉。
鉄錆の匂い。湿った空気。二人は慎重に扉を開ける。
中はかつての神社跡を思わせる小部屋。コンクリで固められていたが、一部に古い供物台や割れた鏡、五寸釘の跡があった。中央の石板には、崩れかけた日本語でこう刻まれていた。
『封印破りし者、代償を支払うべし』
「これが……父が言っていた“鍵”の場所か」
その瞬間、宗憲の端末が微弱な音声を再生し始めた。父の残したデータだ。
《……この反響音……この場所に間違いない……》
データと現場の空間反響が一致した。
◆
その頃──
高層ビルの一室。影子の幹部が暗い室内に座っていた。
「KWが動いたようです。現地の“C”も反応を示しています」
「……よかろう。封印を触れさせよ。その代償が奴らを変える」
白髪の男がそう告げた。赤い眼鏡が室内灯にきらりと光る。
◆
その頃、林 海翔はホテル裏の非常通路で男と遭遇していた。公安局を名乗る男だったが、どこかがおかしい。
「台湾公安・第九課、黄と申します。今朝、接触者がいたと通報がありまして……」
「……君、名乗り順番が逆だよ」
林はすぐに見破った。公安では姓より先に所属課名を出すのが基本だった。男の瞳孔が一瞬揺れる。次の瞬間、林は拳を構えた。
だが、男は何もせずそのまま立ち去った。
(監視か、それとも威嚇か……)
◆
別の場所。影子の末端工作員が報告を終えた直後、部屋の灯りが落ちた。
「“C”は中にいる。お前の失敗は想定内だ」
そして、沈黙。
◆
一方、高は宗憲に緊急連絡を入れようとしていたが、端末が接続不良で通話不能になっていた。しかし自分のサブ端末だけは正常に作動していた。
「……なんで俺のだけ通じる……?」
その不自然さに気づいたが、言葉に出す前に地下からのノイズが全体の通信を遮断していった。
◆
宗憲と林は合流し、封印の奥の扉の前にたどり着く。
そこには見慣れぬ旧文字で書かれた警告文と、半ば破られた木製の札があった。
「これ、明らかに誰かが最近いじった痕跡がある……」林が指差す。
宗憲が息を呑む。「もしかして、父が……?」
その瞬間、背後にかすかな気配。誰かが階段の陰に立っていた。
「誰だ──!」
高が階段を駆け上がる。しかし、そこには何もなかった。
(気のせいじゃない……誰かが“見ていた”)
胸の奥に重くのしかかるような不安を抱えながら、宗憲は手帳に記す。
《第7記録:封印跡地に到達。通信妨害、第三者の気配あり。内通者の存在が濃厚。注意要》
影子の影が、すでに彼らのすぐ隣にまで迫っていることに、彼らはまだ気づいていなかった。
(つづく)