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第22話 「境界の先へ」

203×年10月。秋風が台北の街を優しく撫でる頃、かつて熱気と緊張に包まれていた総統府周辺は、今や観光客と通勤者が行き交う日常へと戻っていた。だが、その空気のどこかには、まだ見えない緊張の糸が微かに張り詰めている。


テレビ画面では、国際会議の中継が流れていた。台湾と数か国が出席する「太平洋安保・経済枠組」の記者会見。小規模ながら国際社会における台湾の“実質的地位”を着実に広げつつあるという象徴でもあった。


画面の片隅に、英語と中国語が並んで表示される。


「Republic of Taiwan – Provisional Recognition Phase」


“暫定的認可段階”という言葉が、いかにこの国の歩みが未完であるかを物語っていた。



劉宗憲リウ・ゾンシェンは、国家安全局の臨時顧問として、旧外交部の会議室に設けられた対外戦略班の窓際に座っていた。


表向きは“顧問”の肩書きであるが、その実は内外の情報操作や影子残党に対する抑止任務を担っている。完全な信頼を受けているわけではなく、むしろ彼自身が何度も“監視対象”としてリストに載っては外されていることも知っていた。


宗憲は、机の上に置かれた一通の封筒に目を落とした。差出人不明。だが封を切ると、そこには確かな“あの人”の筆跡で書かれた文字があった。


「国境の外にも、境界線の中にも、もう居場所はない。

だが、まだ終わっていない。

本当の記録は、東門の地下で眠っている。

― H」


「……林、なのか」


林海翔リン・ハイシャン。かつての公安の相棒にして、最も信じることができた人物。その姿は独立後、任務名目で海外へと旅立ち、そのまま連絡が途絶えた。生存確認もできていない。


だがこの筆跡、この紙質――林が使っていた特殊なペン先のインクにしか出ない微細な濃淡があった。これは偽物ではない。


宗憲は立ち上がった。



日が暮れかけた頃、宗憲はひとり東門駅の地下へと降りた。改札を抜けた先、人通りの少ない連絡通路に足を運ぶ。


その通路の脇に、以前から気になっていた古びた点検口があった。通路整備の際に封鎖されたままになっている。だが林と共に働いていた頃、彼が「この辺りの地下には旧日本軍の通信室があった」と言っていたのを思い出す。


「境界の中で眠っている“本当の記録”か……」


工具の代わりに、ポケットから取り出したIDカードを差し込み、周囲の反応を探る。電子認証はされていないが、扉の奥からわずかな風圧を感じた。内部にはまだ通気系統が生きている。


ゆっくりと蓋を外し、中へと降りる。


その空間は、まるで時が止まったようだった。


石造りの壁面に、かすれた日本語の標識が残る。「第二通信局」――敗戦後、封鎖されたはずの地下施設。奥へ進むと、古びた鉄製の扉に手書きで貼られた紙があった。


「記録庫 – 統治終焉日:1945年8月25日」


宗憲は手袋をはめ、扉を開いた。中には、埃をかぶった無数のフィルム、手帳、マイクロフィルム。そして一冊の分厚い記録帳が中央の台に置かれていた。


そこには、日本の統治下で記された極秘文書、戦後に蒋介石政権が秘密裏に引き継いだ台湾島の“非公開条項”が詳細に記されていた。


――その記録には、ある協定の草案が含まれていた。


「D協定:中華民国臨時政府と中華人民共和国影子機構による、

島嶼区域における政治干渉合意。

条件:協定条項は50年ごとに再評価、または廃棄可能とする。」


宗憲は愕然とした。


独立を阻んでいたのは、表向きの中国本土の政府だけではなかった。


島の統治を巡り、水面下で密かに取り交わされていたもうひとつの「協定」――その起源と存在こそが、台湾を縛る最後の鎖だったのだ。



地上に戻る頃には、夜風が肌寒くなっていた。


宗憲は携帯端末を開き、連絡を入れた。


シャオか。記録を見つけた。すぐに専門チームを集めてくれ。機密レベルは最上位。……ああ、場所は東門の地下。可能なら杜凱文ドゥ・カイウェンにも伝えてくれ」


数秒の沈黙の後、彼女の声が震えて応えた。


「……分かった。でも、その記録……渡すべき場所を間違えないで」


「分かってる。今度こそ、誤らない」



夜の台北。遠くの山の稜線に、再び一筋の光が射した。


その光の向こうにある“未来”が、どれほど危ういものであっても。宗憲はかつての言葉を胸に刻んでいた。


「境界線を超えるということは、同時に責任を背負うということだ。

でも、それでも前に進むべきなんだろうな、俺たちは」


歩き出す彼の背中に、東門駅の構内アナウンスが優しく響いた。


「ご乗車の皆さま、安全な旅を」


まるで、まだ見ぬ未来への出発を告げるようだった。


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