第15話「記された未来、封じられた声」
203×年7月11日 午後8時。台北市南部・信義区。旧国家資料保管施設跡地
夜の台北に、湿った風が吹き抜けた。高層ビルの合間にひっそりと佇む、古びたコンクリート建造物。ここが、劉 宗憲の父――劉 明哲が最後に記録を残したとされる場所だった。
「ここが例の……“第零資料庫”と繋がってるっていう建物か?」
林 海翔は施設の入り口前で足を止め、ポケットから薄型のスキャナを取り出して構えた。
「正確には“記録の中継所”だ。父の残したメモには、ここで未来が“封じられた”と書かれていた。」
宗憲は、手にしていた古びたメモ帳をそっと閉じた。
《鐘が鳴ったとき、道は開く。真実は“記された未来”の中にある。》
父の筆跡。その言葉の意味を、彼はまだ理解できていなかった。ただ一つ確かなのは、ここに“何かがある”ということ。
「ドアはロックされてる。けど電源は……切れてないな。おかしいな、こんな施設もう何年も使われてないはずなのに。」
林が端末で接続を試みると、電磁パルスを思わせる軽い衝撃が辺りに広がり、施設の入り口横のプレートが淡く光り始めた。
プレートには、こう記されていた。
「記録は未来を写す鏡である。干渉するな。」
次の瞬間だった。
──ゴォォォン。
低く、重々しい“鐘の音”が、地の底から湧き上がるように響き渡った。林も宗憲も、思わず顔を見合わせた。
「まさか……音声認証……?」
「いや、これは“条件反射”。もともとここは、超法規的な記録の保管庫として一時期、設計段階で放棄された施設なんだ。」
宗憲の脳裏に、ある記憶が蘇った。
――幼い頃、父に連れられて来たこの場所。セキュリティの厳重さ。無言で歩く父の背中。その表情には、何か深い“葛藤”のようなものが滲んでいた。
扉が、ゆっくりと開いた。
内部は予想に反し、廃墟ではなかった。清潔に保たれたコンクリ床、整然と並ぶ金属製の記録棚、そして中央に設置された半球型の記録端末装置。
「動いてる……誰かがメンテしてる?」
林が呆然と呟いた。宗憲は一歩ずつ歩を進め、中央の記録端末に近づいた。端末は、自動的に起動した。
──アクセス者認証:Liu Zongxian/劉宗憲。
──保留記録:MF-203X-7-14。
──ファイル名:『境界線の向こうへ』。
宗憲の動きが止まった。
「MF……7月14日? “明後日”の日付の記録?」
林も画面を覗き込んだ。「誰かが“未来の記録”を、この端末に?」
宗憲は深呼吸をし、再生を実行した。
映し出されたのは、灰色の空と瓦礫の中で混乱する市民たち、黒煙を上げる中山南路、外交部庁舎が燃えている光景だった。
「なにこれ……これは“予測映像”?」
「……違う。これは“記録”だ。撮影メタデータが実在してる。存在しないカメラのIDで。」
「どういうことだ?」
宗憲は震える声で答えた。「父が……“未来を書き換える装置”を、この中に残していたのかもしれない。」
⸻
その頃、同日午後9時20分。台北市内 某所
蕭 語恩は、監視チームからの報告を受け、別ルートから宗憲たちの元へ向かっていた。
「……“鐘の音”が鳴った、ですって?それは……」
思わず小声で呟いた。彼女は過去に公安内部で扱っていた特機文書、“音響コードによる起動機構”のことを思い出していた。
(本当に起動したの? あの“封じられた装置”が?)
胸騒ぎを覚えながら、彼女は端末を開き、新たに入った報告に目を通した。
件名:中央保安局 影子部門 通信傍受ログ
内容:一部通信障害エリアが“外部”から破られ、再送信されている模様
備考:複数の中継点で“上書き”信号を検出。タイミングは午後8時45分
(誰かが……“記録”を復元しようとしてる?)
彼女は誰にも言っていないが、密かに感じていた違和感が確信に変わる。公安の中にいる“影子”のスパイとは別に、もう一つの“存在”が動いている。
もう一人の裏切り者――。
⸻
203×年7月11日 午後9時45分。記録保管施設内
宗憲は、映像が終了したあともしばらく無言だった。
「父は、この映像を残して何がしたかったんだ……?ただ未来を“見せた”かったのか?」
林が肩をすくめる。「それだけじゃないだろ。何か、選択肢を残したはずだ。“未来を記録する”ってことは、“改変できる”ってことだ。」
宗憲の目が、記録端末の奥にあるもう一つのスロットに向く。そこには、破棄されたようなカートリッジ型デバイスが静かに置かれていた。
そこに刻まれていたのは、
『副写録:Y04』
「Y……父のコード名……“陽明”か。」
宗憲がそのデバイスを取り上げた瞬間、施設の照明が一斉に消えた。
暗闇の中で、低く鈍い起動音が響く。
「誰かが来たな……!」林が身構える。
奥の通路から、かすかに足音が近づいてくる。
「身を隠せ、宗憲!」
二人は記録棚の陰へと滑り込んだ。
通路の向こうから姿を現したのは、仮面をかぶった人物だった。
その男は、何も言わずに端末へと近づくと、手にしていた携帯型装置を取り出し、接続を試みた。
──接続中止。アクセス権限 不明。
男が舌打ちをした瞬間、林が飛び出して叫んだ。
「そこまでだ!公安だ!」
一瞬の沈黙のあと、男は一歩だけ宗憲のほうに顔を向けた。仮面の奥から、かすかに声が漏れる。
「お前が、劉 明哲の……」
その言葉の続きを聞く前に、施設全体が異音とともに停電した。緊急警報が作動し、非常灯が赤く瞬いた。
林が叫ぶ。「罠だ!出るぞ宗憲!」
宗憲は記録端末からY04のデバイスを抱え、林とともに非常口から飛び出した。
背後で仮面の男が何かを言おうとした瞬間、施設の一部が爆発音とともに崩れた。
夜の街に、赤い警報と記録の断片が舞い上がる。
⸻
203×年7月11日 午後10時45分。車内にて
宗憲は震える手でY04デバイスを見つめながら呟いた。
「俺たちが……未来を変えられるとしたら、次はどう動く?」
林が前を見たまま言った。
「この戦いは、もう“過去の清算”じゃない。“未来の選択”そのものだ。」
ふと、宗憲のスマートフォンに新しいメッセージが届いた。
──送信者:不明
──内容:
「火種は台北に撒かれた。境界は近い。“もう一人”はお前の近くにいる。」
宗憲は顔をしかめ、林と目を合わせた。
静かに、未来へ向けた反撃の鐘が鳴り始めていた。