第12話「微かな裂け目と交錯する報告」
203×年7月9日 22:40、台北市・外交部地階の監視室は薄暗く、警備用のモニターが青白い光を放っていた。
劉宗憲は、モニター前で腕を組み、複数の画面を凝視していた。その横では、公安局から派遣された相棒、杜凱文が淡々と通信ログの解析に目を通している。
「この断片的な通信、送信元は中山区内の一般的なISP経由……だが、ルーティング履歴に細工されてる」
「つまり、足跡を消す気だったってことか」
「いや、これは――逆に、見せたい情報をこちらに流してる可能性がある」
カイウェンの声は低いが冷静だった。宗憲はモニター越しに夜の中正紀念堂前広場の様子を見つめながら、背筋に嫌な汗が滲むのを感じていた。
「なあカイウェン、お前が来てから妙に警戒してるが、公安局はここまでの危機を予測してたのか?」
「答えられない。ただ、上は”境界線”が破られた可能性を考慮してる」
その“境界線”という言葉に、宗憲の胸がわずかにざわついた。
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同時刻、信義区・台北101の裏手にある廃ビルの一角。影子の一員、代號・白燕は窓辺で静かに煙草に火をつけた。
「動きが鈍いな、劉宗憲――あの男の父親は、もっと早かった」
背後の闇の中から別の声が漏れる。「あの神社跡の件は?」
白燕は、吐いた煙を空中にくゆらせながら答えた。「奴らはまだ、場所の本質を知らない。だが……近い」
「計画は予定通り?」
「いや、修正が必要だ。台北の反応が想定以上に早い。女の方……許曉蕾も動き出した」
モニターの画面には、外交部ビル内の通信網の一部が拡大表示され、そこに“開封済ログ:KW_通信記録07-09-22:23”の文字が赤く点滅していた。
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203×年7月9日 23:18、外交部・地下廊下。
林海翔は小型の光ファイバーカメラを片手に、壁の配電口を調べていた。横には原住民族出身のセキュリティ技師・高山琉伊が屈んで作業している。
「やっぱり……この配線、1週間前に改修されたはずなのに、記録と一致しない」
「偽装だな。しかも本格的な……中からなら盗聴・映像送信もできる」
高山は、アミ族の血を引く眼差しを鋭く光らせた。彼の家族は長年、南投県で先住民の権利回復活動に関わっていた。その彼が、国家機関で働くようになった背景には、宗憲の父・劉明哲のかつての支援があった。
「劉さんの遺志は……俺たちが繋ぐよ」
「……ああ」
林は頷いた後、ふと視線を上げた。「……ん? 誰かいるか?」
静寂が戻った廊下に、微かな影が走った気がした。
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203×年7月10日 01:06、台北市・とあるカフェの裏室。
許曉蕾はノートパソコンを前に、複数の通信チャンネルを同時に走らせていた。そのうちの一つに表示されたログが目を引いた。
「KW_通信記録……“火種は台北に撒かれた”?」
ざわり、と心が波立つ。この文言は、かつて劉明哲が最後に残した記録にも登場していた。
曉蕾は震える指で音声ファイルを再生する。そこには、低く押し殺した声があった。
「この記録が見られているなら……“鐘の音”を探せ。“火種”はすでに――」
そこで音声は切れた。
曉蕾は立ち上がり、背後の壁に貼られた資料群に目をやる。台湾全土の地図に赤いピンがいくつも刺されており、その一つ――大稻埕の近くにマーカーが引かれていた。
「“鐘の音”……まさか」
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203×年7月10日 午前8:25、外交部・記者室。
報道官が打ち合わせ用の資料を机に置き、宗憲とカイウェン、林、そして琉伊に向けて言った。
「本日11時、限定記者会見を開きます。内外向けの声明草案は決定済みですが……裏を取っておきたい。外交部周辺の警備も強化します」
宗憲は、一瞬目を閉じて深呼吸した。
「……今夜、どこかで仕掛けてくる」
「どういう根拠だ?」とカイウェンが訊く。
宗憲は静かに言った。「あいつらは“反応”を試してる。阿里山じゃない。台北で、“終わらせよう”としてる。俺たちの情報網の底を見ているんだ」
林が口を開く。「一つ気になる点がある。昨日、神社跡のホテルで見かけた人物が、警備記録にも防犯カメラにも映っていなかった」
琉伊が補足する。「物理的に映っていなかったのか、誰かが映像を操作しているのか……どちらにせよ、敵は我々の一歩先を行っている可能性がある」
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同日 午前9:02、影子の隠れ拠点。
白燕が冷たい紅茶のグラスを置き、端末に映った会話ログを読み上げた。
「“警備記録にも映っていない”。……ふふ、やはり気づいたか」
「進行は?」と部下の影が問う。
「順調だ。第2段階――“交錯の刻”は、間もなく」
彼の目は、冷徹な光で輝いていた。