第1話「独立、そして国交へ」
203×年7月14日午前8時、台北市。
テレビ局のスタジオでは、無数のカメラが向けられていた。
緊張した面持ちのアナウンサーが、声明文を読み上げる。
「……これより、中華民国台湾は、主権国家としての地位を正式に世界に表明いたします――」
その映像は、市内のカフェ、駅構内、大学の講堂、役所のロビーに至るまで、ありとあらゆる場所で生中継されていた。誰もが足を止め、画面に釘付けになっていた。
台北101の大型モニターにも、総統の姿が映し出される。スクリーンの前に集まる人々は静まり返り、その言葉を一語一句逃すまいとするように、呼吸を忘れていた。
一部の者は歓喜に震え、また一部の者は不安と緊張に額に汗を浮かべていた。
その瞬間、台湾は新たな歴史の頁を開いた――。
―――一週間前。
203×年7月7日、台北市 中正区 外交部本庁舎。
外は蝉が鳴いていた。だが、庁舎の中に流れる空気は重く、湿気を含んだようにぴりついていた。
モニターには中国の国営放送が流れ続け、音声はミュートされていたものの、そのテロップの一つ一つが不穏な兆候を伝えていた。
「中南海の沈黙は異常だな……」
劉宗憲は口元を引き結んだまま、背後の幕僚たちの緊張に耳を傾けていた。
台湾外交部の主席分析官として、彼の任務は明確だった。
“中国が本当に武力を使うか” その一点を見極めること。
書類の束の間に、小さな封筒が挟まれていた。それは父・劉 明哲が遺した最後の手紙だった。
一年前、急死とされたその最期に、宗憲はどこか割り切れない感情を抱えていた。
「もし、お前が“境界”に立つ時が来たら、その目を曇らせるな」――かつて父が遺した言葉が、耳の奥で反響していた。
会議室に突然、機密通信担当官の周 志豪(チョウ・ジーハオ/Zhōu Zhìháo)が駆け込んだ。
「劉主席、中国大陸南部の軍用通信波に異常があります。暗号化の変更が急に行われました。
……“第七波計画”という文言が、断片的に傍受されました」
「第七波……」宗憲の瞳が揺れた。「それは……かつて失敗に終わった、台湾上陸作戦のコードネームだったはずだ」
ざわめきが広がる中、彼の視線は別のスクリーンへと移った。
そこには、中南海で開かれた会議室の静止画像が映し出されていた。
座長席にいたのは、白髪で細身の男――中共中央対台戦略部の主任、韓 景炎(ハン・ジンイェン/Hán Jǐngyán)であった。
「あいつが動いたのか……」
声には出さなかったが、宗憲の中に冷たい汗が流れた。
韓は一度も姿を見せず、噂の中でのみ語られる存在だった。
「台湾統一」を標榜するその言葉の裏に、数々の“事故”があったことも、宗憲は分析官として知っていた。
その日の夜、宗憲は国家安全局の地下室にいた。
通信分析チームのリーダー、廖 瑋哲(リャオ・ウェイジョー/Liào Wěizhé)が数値を指差す。
「これです。IP転送ルートが上海のとあるVPNから台湾に侵入しています。どうやら“島内に協力者”がいます」
「つまり内通者か……だが、誰だ?」
宗憲は沈黙の中、思考を巡らせた。
父が残した“疑問”と、今浮上している“裏切り者の存在”。
線が繋がる気配はあるのに、核心には霧がかかっていた。
翌朝、台北市内の交差点を渡る市民の顔に、笑顔は少なかった。
空の色も重たく、テレビのニュースキャスターの声が淡々と情勢を伝えていた。
「……一部情報筋によれば、中国政府は近日中にも重大な発表を行う可能性があるとのことです」
歩道橋の上で立ち止まる宗憲は、遠くの空を見上げた。
青く見えるはずの空が、どこか白く霞んでいるように見えた。
「境界線はもう、目の前かもしれないな……」
彼の言葉は風に消えたが、その足元にはすでに、静かに揺れる“戦争の影”が忍び寄っていた。