第1話「これが例のアレなのか?」
俺は小さい頃から魔法使いに憧れていた。魔法使いはフィクションなのだから憧れようもないと思う奴もいるかも知れないが、それでも俺は魔法使いになりたかった。現実世界のルールだの社会だのは、俺の溢れる天才的創造力の前には狭すぎた。なので俺はいつか魔法使いになれると思っていたし、なった方が良い、なるべきだと思っていた。
この夢は誰にも言わなかった。馬鹿にされるのが怖いのではなく、他人に理解されるためのものではないからだ。正直に言うと少し恥ずかしかったのもある。
俺は高校に入学してから、3ヶ月程で不登校になった。特に嫌な事があった訳ではないが、毎日漠然とルールに従い生きていくことに不安があった。不安と言うよりも疑問だった。
俺は別に会話が苦手とかそう言う訳でもなかった。人並みに話せたはずだ。ただこれも、大して価値観も合わない、僅か3年で別れる人間たちと、表向きの親密さを演出していくことに違和感を覚えた。俺はだんだんと、生きることが面倒になっていった。
母親は心配したが、父親はまだ理解してくれた。少し時間が必要なのだろうと休ませてくれた。家庭環境が悪い訳でもなかったが、すごく良い訳でもなく、普通だった。
俺には2歳上の、高3の姉がいた。姉は俺と違って現実主義で、この現実が好きな様子だった。姉は頭が良く、生きるのが上手かった。姉は情熱的でもあって、何事も手を抜かずに全力だった。
反対に俺は省エネ主義で、面倒事にとにかく関わりたくなかった。俺はこの世界が嫌いと言う訳ではなかったが、好きでもなかった。俺は一度冷静に、中立的な場所から物事を考えたかった。
姉は俺が一生、無職引きこもり童貞オタニート廃人になってはいけないと、時々外に連れ出そうとした。姉は何故か格闘技も異様に強く、昔姉が電車で痴漢された時、相手のおっさんを殴ってブチのめしたことがある。その時はゲラゲラ笑った。落ち着いて考えてみると姉の異様さはやっぱり絶対におかしい。
俺が入った高校は、底辺でもなく上位でもなかった。俺の他にも色々やからしたヤバい奴らのニュースがあったり、入学時いたはずの奴が突然どこかに消えたりして、そう言うのは面白かった。
俺は寝る前に、人生のあれこれを考えるのが日課だった。俺は生きると言う行為を、無条件に肯定したくなかったのかも知れない。何故かは自分でもよくわからなかったが、何となく認めたくなかった。多感な十代だ。そう言う時もあるだろう。
俺はゲームも漫画もアニメもゲーム配信も普通に好きだった。中学までは友達ともよくマルチで遊んだ。俺はゲームの中では魔法使いになれた。どんな発明もできた。でもそれはゲーム、非現実の中だけであって、現実には魔法陣も出せない。ログインボーナスもない。毎日家と学校の往復。
俺は心の奥底では、魔法使いになる夢を諦めるのが嫌だった。俺は自分自身も家族も友達も学校もこの世界も嫌いではない。でも夢も諦めたくなかった。俺はどうしても魔法使いになりたかった。なれると信じていた。
俺が引きこもってから数ヶ月したある日、姉の高校卒業後の進路が決まった。姉は頭も良いので、上京して名門大に進むと言うことになったらしい。姉は喜んでいた。親父も母親も喜んでいた。
姉は自分はいずれ家を出るから、それまでに一度、一緒に外に出ないかと提案してきた。俺の生活は変わらず毎日アニメとゲーム、夜には高尚な哲学思想を考える…だった。ゲームはフレンド募集板で気の合うフレンドを見つけ、彼らと遊んでいたからそれが楽しかった。
俺は姉の姿を見て、俺の人生もまだ終わっていないのかも知れないと思った。同じ学年への復学は無理だが、1年学年を下げて復学する道もあると学校に提案され、悪くはないと考え始めていた。俺は姉の励ましを受け入れ、外に出ることにした。俺は久しぶりに生きていることが楽しくなった。俺と姉は夜に外に出た。
姉は俺よりかはお喋りだった。かと言ってただうるさい訳ではなかった。俺は姉の少し後ろを歩きながら、姉と人生について話した。俺もまた学校に行こうと思っていると明かすと、姉は笑ってその方が良いと答えた。
数日前にネットで知り合ったフレンドが、実は中学時代の後輩だったと言う連絡があり、そいつも俺と同じ学校への進学が決まったと言われた。その後輩は俺と同じジャンルのゲームや異世界系が好きで、しかも変なことには頭の回転が異様に早く、いつも会話が弾む仲だった。それも嬉しかった。その話もした。
「まるまるさぁ、ご飯奢ってあげようか?」
「やめろ。俺をその呼び方で呼ぶな。」
姉は俺をマルマルと呼ぶ。本名の丸井真留斗を略すとマルマルになる。俺が産まれた時、丸々としていて可愛いからと祖母が名付けた。こんな安直過ぎる名付け方あるか?一体どうなっているんだ?
姉には詩音と言うちゃんとした名前があるにも関わらず。
でもタダ飯が食えるなんてなんて省エネなんだろうと、これも嬉しかった。
俺達は時々会話をしながらファミレスへ向かっていた。たわいもない話。俺の反応が薄いので姉がほとんど一方的に話している。俺は飯が食えればそれで良いと、大人しく聞いていた。
途中、俺は背後に今までにないような緊張感と恐怖感を覚えた。俺たちは比較的明るい道を歩いており、他にも歩行者や車の往来はある。何も問題ない道のはずなのに、何か今すぐここから逃げなくてはいけない状況にいると直感した。考える暇もなかった。俺は恐怖を感じた。
――間違いない、誰かにつけられている。
その足音は次第に近づいてきており、俺はすぐに逃げなきゃまずいと思った。目の前にはコンビニがあり、にぎわいもある。俺は姉に、一度コンビニに入ろうと声をかけようとした瞬間――、
背後の何者かが一瞬でこちらに走ってくるのがわかった。強い足音が近づいてくる。俺は叫んだ。
「姉貴逃げろ!!!」
その声が姉に届いたかどうかはわからなかった。俺はすぐさま振り向き、後ろの何者かを止めなきゃいけないと思う一心だった。俺は姉の前で手を広げ、何とか姉貴を守りたかった。
――その瞬間、俺は本当に時間がゆっくりになった。俺はそいつを見て、3つのことに気がついた。
1つはそいつが昔、姉に痴漢をした容疑者のおっさんだったと言うことだ。当時姉が事件に巻き込まれたとき、家族と一緒に姉を迎えに行ったとき、一瞬だが顔を見た。そいつだった。
2つ目は、このおっさんがナイフを持っていたことだった。そいつの尾行に気がついたとき、怖くて振り向くことはできなかった。凶器は持っていないだろう、と勝手に思い込んでしまっていた。だが振り向くと、おっさんの両手には…包丁が握り締められていた。
そして3つ目は、俺は刺されたと言うことだった。凄まじい衝撃と腹の痛みと同時に、おっさんのスピードで、俺はそのまま後ろに倒れた。
姉がどうなったかもわからない。俺はただ、自分が痛みのあまり意識を保つことができなくなっていることだけわかった。
そして、視界が真っ暗になった。俺が昔、親知らずの抜歯のときに全身麻酔にかけられたときよりも不快で、全てが終わっていく感覚だった。
俺は目が覚めると、眩しい光が視界一杯に入ってきた。何が起きたのか理解したかった。刺されたはずの腹を見ようと顔を向けようとするが、何故が痛みが一切なく、いやむしろ心地良いまであった。俺はいよいよ幽霊か何かになってしまったのかとも思い、怖くなり、下を見るのをやめた。頭の後ろや背中には硬い感覚があり、どうやら今地面に寝ていることはわかった。俺はふと斜めを見てみると――
まさか信じられない…、世界にいた。
それが確かなら、果てしない大地と空の向こう、高さ何百メートルあるかもわからない巨大な白い塔が、雲の上まで突き抜けている。
「これってまさか、例のアレかよ。」




