俺の人生、あのメイドの「ぴょん」でだいぶ狂った件について
物語が三者視点で並行しています。
あれはたしか、何年前だったっけな。秋葉原をふらふら歩いてたんだよ。メインの通りじゃなくて、ちょっと横に入ったところ。akibaカルチャーズZONEとかコトブキヤとか、あと何故かいつも油のにおいが濃いケンタが並んでる、あの一帯。夕方だったかな、ビルの影がえらく伸びてて、「あっ俺、影の領域に入ったな」とかひとりで思ってた。
で、だ。
ふいに聞こえてきたんだよ。ちっちゃい声。「チラシってのはな、こうやって渡すんだよ」とかなんとか。見れば、メイド服の先輩と後輩っぽい子がチラシ配りの練習中。後輩ちゃん、まだ顔に幼さ残ってて、制服のリボンなんかピコピコ直してる。
そしたら先輩が急にこっち見て、「はい、実践!」みたいな感じで後輩を送り出すわけ。
そんで後輩ちゃん、やったよ。
ぴょーんって跳ねて、俺の前に来て、超ハイトーンでこう言ったんだ。
「ご主人様っ! もらってくださいぴょん!!」
うさ耳でも見えたんかと思ったね、ガチで。
思わず「えっ!?」って声出たし、顔が引きつった。でもまあ、愛想笑いみたいなの浮かべて、チラシは……受け取らなかった。いや、なんかタイミング逃したっていうか……。
で、それだけのことなんだけど──
なんか、いまだに忘れられないんだよな。なんでだろうな、ほんと。
てなわけで、チラシは受け取らなかった俺。
けどさ、目の前で「ぴょん!!」とか言われて、何も感じずにスルーできるほど、俺は仙人でも石像でもないわけで。
…なんか、ずっと引っかかってたんだよね。あの声。あの跳ね方。あの圧倒的₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎感。
で、気づいたらさ──
歩いてた。Uターンしてた。
「いや別に、もっかい顔見に行くとか、そんなんじゃなくて。な? あれだよ、チラシもらわないと失礼かなって、な?」とか言いながら。
でももう、さっきの場所にはいなかった。
さっきの後輩ちゃんも、先輩メイドも、どこ行ったのか、シュッて消えてた。
えっ、何? 俺、幻でも見てた? メイドのサービスタイム、幻覚生成まであんの?
いや違う、ちゃんといた。あの「ぴょん!!」の破壊力は、現実のものだった。
そんなことを心でごちゃごちゃ言いながら歩いてたら、ふと、目の前のガチャガチャコーナーの奥にあるカフェの看板が目に入った。
そこに──いた。
あの後輩メイドが、休憩中っぽく、店の前でスポーツドリンク飲んでた。
で、気づいたら……俺、声かけてた。
「さっきの、うさ──チラシの、うまかったね」
……何言ってんだ俺!?!?!?!?
「うまかった」って何だよ!?!?!?
なに?チラシの味知ってんの?俺!?!?!?
でも後輩ちゃん、すんごい笑って、
「ほんとですか!? えへへ、あれ、練習したんです!₍ᐢ‥ᐢ₎」って。
そのあと先輩も出てきて、「ほら見ろ、効果あったろ」ってニヤニヤしてて、なんかもう、完全に俺、餌付けされた人みたいになってた。
──で、そのあと、流れでそのカフェ入ってさ。
メニュー見たら「萌えオムライス(ケチャップでお絵かき付き)」とかあって、迷ったけど注文した。
結果、ケチャップで描かれたのは……
「₍ᐢ‥ᐢ₎ ♡ぴょんぴょん」
いや、うん。そうだよな。
お前のテーマ、それだもんな。
俺はオムライスを見つめながら、思った。
この日が後に「俺のオタク転生元年」と呼ばれるようになるとは、
このときの俺は──まだ、知らない。
チェキ、最初は「記念に1枚だけ……」ってつもりだったんだよ。
撮るとき、例の後輩ちゃんが言ったんだ。
「じゃあ……ぴょんポーズでいきましょうか₍ ᐢ. ̫ .ᐢ ₎!」
で、撮ってもらった俺の顔──
めちゃくちゃ真顔だった。
でも、家に帰ってスマホでチェキを見つめてたら……なんかこう、じんわりくるもんがあってさ。
次の週には、俺はチェキ帳を買ってた。
表紙はピンクで、キラキラ。星のシールつき。
「俺よ……どこへ行くつもりなんだ……」って思いつつ、ページを開いた。
手は自然に動いていた。
カラーペンで「初チェキ♡ 201〇/〇/〇」と書いて、ウサギのステッカー貼って、「ぴょんポーズ最強!!」ってデカ文字入れてた。
ああもう、完全に戻れねぇ。
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【後輩視点】
通りの影が、じわりと長くなりはじめていた。
先輩がふいに足を止める。
その視線の先に、ひとりの人影があった。
「チラシってのはな、こうやって渡すんだよ」
そう言って、先輩は制服のリボンを指先で整えながら、少しだけいたずらっぽく笑った。
私は頷く。
制服の裾を整え、踵をそっと地面に合わせる。
タイミングを見計らって、一歩踏み出した。
胸の奥で、小さく息が跳ねる。
彼がこちらを見るのがわかった。
その瞬間、私は小さく身を沈め、ぴょん、と跳ねてみせた。
「ご主人様っ……もらってください、ぴょん……」
声の語尾に、耳のようなものが揺れた気がした。
その一言に、ありったけの勇気を込めた。
けれど、彼の手は動かなかった。
ほんの少し、困ったように笑って。
それだけで、彼は通り過ぎた。
──なのに、不思議と、胸があたたかくなっていた。
私の声は、きっと、ちゃんと届いていた。
そんな気がして、制服の胸元を、ひとつ握りしめた。
―――――
看板の灯りが、街の色に追いついてくる時間だった。
休憩のあいだ、店の前に出て、スポーツドリンクをひとくち飲む。
体の奥にあった熱が、すっと冷めていく。
──そのときだった。
通りの向こうから、あの人が歩いてくるのが見えた。
まっすぐではなく、少し迷って、戸惑って、けれど足は止まらなかった。
私の方へと、少しずつ近づいてくる。
喉が、ひとつ鳴った。
もう一本、違う飲み物を開けるふりをして、視線だけをそっと預ける。
彼が声をかけた。
「さっきの、うさ──チラシの、うまかったね」
──ふ、と。
喉の奥に何かがつかえて、すぐには返事ができなかった。
でも、気づけば笑っていた。
嬉しかったのだと思う。
ちゃんと、届いていたことが。
「ほんとですか? えへへ……あれ、練習したんです」
声が震えていなかったか、自分でもよくわからなかった。
ただ、彼のまなざしは、やわらかかった。
店の中から先輩が顔を出して、「ほら見ろ、効果あったろ」と小さく笑った。
私は、うん、と頷いた。
ほんとうは、その言葉を信じたくて仕方がなかったのだ。
──そして彼は、カフェに入っていった。
注文を決めるのに迷っている様子が、ガラス越しにも伝わってきた。
私は、厨房に戻る前に、
チェキの準備をするように、そっと胸の前で手を合わせた。
「今日が、特別な日になりますように」
誰にも聞こえないくらいの声で、小さく祈るように。
――――
撮影用の小さなスペースに、彼が立った。
椅子に座るようにすすめると、少しだけ戸惑ったあと、ぎこちなく腰を下ろした。
私は制服のスカートを整えて、彼の隣にしゃがみこむ。
ほんの少しだけ、肩が触れそうになる距離。
緊張が、指先から逃げ出しそうだった。
「じゃあ……ぴょんポーズで、いきますね」
そう告げると、彼は一瞬だけ目を丸くして、それから、何かを諦めたように頷いた。
たぶん、覚えていてくれたのだろう。
あの、夕方の「ぴょん!」を。
私は両手を小さく揃えて、頬の横でぴょこんと構える。
耳のつもりだった。
笑われてもいい、と思った。
──けれど。
シャッターの直前、彼は少しだけ視線を伏せて、静かな顔をした。
笑っていなかった。
でも、その表情は、なぜかあたたかかった。
シャッターの音が、乾いた音で空気を切る。
チェキが、ウィーンと唸って、白い四角が吐き出される。
現像のあいだ、ふたりとも無言だった。
けれど、不思議と、それは寂しい沈黙ではなかった。
写真が色を帯び始める。
うさぎの耳をつけたような私と、どこか遠くを見るような彼の顔。
──それは、どこにもない時間の切れ端みたいだった。
「これ、どうぞっ」
手渡したチェキが、彼の手の中で、少し震えて見えた。
それが彼のせいか、私のせいかはわからない。
でも、彼は写真をじっと見つめたまま、
「ありがとう」と、ひとこと、静かに言った。
私はただ、それを聞き逃さないように、
まるで音楽のように、その声の余韻を耳の奥にしまった。
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【先輩視点】
あいつは、飛んだ。
そう、ぴょんってやつだ。
うさ耳でも生えたんかって跳ね方だったが、まあ悪くなかった。
何より、声がちゃんと出てた。言葉に芯があった。
それで充分だ。ぴょんはぴょんでも、魂が跳ねてりゃ、それでいい。
相手は、よくわからん男だった。
ちょっと猫背で、目の奥が妙に静かで、
でもチラシを断るタイミングを一秒でも間違えたら「人生変わってた」みたいな顔してた。
で、案の定、その男──
その数十分後にもどってきた。
目が「俺、来ていいんすか?」って聞いてた。
知らんがな。行け。そういうとこだ、人生ってのは。
後輩はもう顔がゆるみっぱなしで、ポカリか何か飲んでた手を止めて、
そいつの方を見て、しばらく何も言えずに笑ってた。
……そんなん見せられたら、先輩としてはもう、何も言えんわな。
中に入っていった男の背中が、でっかく見えた。
いや、勘違いすんなよ?体格じゃない。
あれはたぶん、“踏み出した背中”のサイズだった。
で、そのあとだ。チェキ。
ぴょんポーズ。
後輩、超やる気。
男、真顔。
……おい。
ツッコミ入れそうになったけど、やめた。
たぶん、あれでいいんだよ。
照れでも、諦めでも、わからなくても、
そういう全部を持ってチェキに収まるってのが、“はじめての記念”ってやつだ。
でさ、写真が出てきたとき──
あの後輩、息、止まってたと思う。
マジで、まばたきすらしてなかった。
男が写真を受け取って、「ありがとう」って言ったとき、
あの子、ちょっと震えてた。
小指だけな。
あの震えを、俺は忘れない。
……だって俺、オムライス運びながら、ずっと見てたもん。
まったく、
秋葉って街は、いろんなもんが始まる。
いつもとはちょっと違う、軽いノリのお話を書いてみました。
「なんか好きかも」と思っていただけたら、続きを書いてみたり、似たような作品をまたこっそり投げてみたりするかもしれません。
ご感想や一言コメントなど、気軽に届けていただけたら嬉しいです。