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第1話 お飾り令嬢

新作です!

「ヴァイオレット。どこへ何をしに行くつもりですか?」


 伯爵——王族を除いた中では公爵、侯爵に次ぐ三番目の爵位——の地位にあるクラーク家の玄関に、氷のような冷たい声が響いた。


(タイミングの悪いっ……)


 ヴァイオレットは思わず顔をしかめてしまった。

 靴を履き終える間になんとか笑顔を作って振り向いた。


 声の主は予想通り、義母であるオリヴィア・クラークだった。

 ヴァイオレットは努めて静かな口調で答えた。


「我が家の発展に貢献するため、経営の本を購入しに行こうと思っております」

「そう。いい心がけですね。ただ——」


 オリヴィアはスッと目を細め、ヴァイオレットを見下ろしながら小馬鹿にするように鼻で笑った。


「賢者は行動を重視し、愚者は本を読んだり人の話を聞いただけで理解した気になって満足します。現に私は、常に行動してきたからこそ今の地位についています。お前はただでさえ私たちよりも劣っているのですから、なおさら行動をしなければなりません。せいぜい私の足を引っ張らない程度の知識と経験は身につけなさい。もっとも、お前の能力ではその程度が限界でしょうけど。間違っても私と肩を並べられるとは思わないことです」

「……肝に銘じておきます。それでは行って参ります」


 ヴァイオレットが言い終わらないうちに、オリヴィアは背を向けて歩き始めていた。

 嫌味を言いたいだけなのだ。彼女はいつも。


 張り合って難癖をつけられても敵わない。

 ヴァイオレットはため息を呑み込んで玄関を出た。


「……その劣等種を養子として迎え入れるしかなかったのはあんたの問題じゃん」


 義母の前ではこらえた文句を小声で毒づいてみる。

 ヴァイオレットは、クラーク家の当主であるサイラスと妻のオリヴィアがなかなか子宝に恵まれなかったため、六歳のころに養子として引き取られた。


 生家の爵位は伯爵よりも一つ低い子爵だ。クラーク家が自分たちと同等以上の血筋を持つ子供を引き入れられなかったのは、他ならぬオリヴィアの手腕が原因だとヴァイオレットは見ていた。

 彼女は当主である夫のサイラスを差し置いて、クラーク家を実質的に取り仕切っているのだ。


 人を見下すような温かみのない視線は、その経歴にふさわしいと言えるだろう。

 人並みに情けを持っている女性であったなら、この男性社会において貴族家の覇権(はけん)を握れるはずがない。


(なーにが常に行動してきたからこそ今の地位についています、だ。偉そうに……って、ダメだダメだ。ああいうのは気にしないようにしないと)


「はぁー……」


 ため息とともに負の感情を吐き出す。

 首を振って意識を切り替え、日傘を差して歩き出した。


 しかし、家の外に出て日光を浴びたからといって心を休められるわけではなかった。


「あっ、お飾り令嬢だっ!」


 通りを少し歩くと、そんな無邪気な声が聞こえてきた。


「こら、そんなことを言っちゃいけません! ——申し訳ありませんっ、ヴァイオレット様」

「いえ」


 幼い息子の失言を慌てて謝罪する母親に対し、ヴァイオレットは曖昧な返事をした。

 これくらいは日常茶飯事だ。

 ——許しを得たと思い込んだ母親が、頭を下げたまま密かに軽蔑するような半笑いを浮かべるのも含めて。


(平常心よ。仕方のないことだから)


 自分にそう言い聞かせ、さざめく心を落ち着かせる。


 お飾り令嬢。

 それは、ヴァイオレットにつけられた不名誉なあだ名だった。


 養子として引き取られてから程なくして、オリヴィアが身籠った。女の子だった。

 クラーク夫妻は自分たちと同じ水色の髪の毛と瞳を持つその少女をルーシーと名づけ、手塩にかけて育てた。


 一方で、ヴァイオレットのことは冷遇した。

 自分など引き取らなければ良かったと両親が口にしているのは何度も聞いたし、直接(ののし)られたことも一度や二度ではない。打たれたことも何度もあった。

 その度にどうして自分がこんな扱いを受けなければならないのか、とやるせない怒りに襲われた。


 仕打ちはそれだけでは済まなかった。

 ヴァイオレットはクラーク家の経営に携わっているが、サイラスとオリヴィアはそれを隠しており、手柄は全て義妹であるルーシーのものとして扱った。


 泣き寝入りをするしかなかった。当主夫妻に発言力で勝てるわけもないのだから。

 クラーク夫妻の印象操作で、最初からヴァイオレットの印象は良くなかった。そんな中で彼女が自らの功績を主張したところで、最悪「優秀な義妹の功績を奪おうとしている」とさらに反感を買うだけだ。


 そのため、平民たちは彼女のことを「養子とはいえ一応は長子だから次期当主の座に座れているだけのお飾り」だと誤解して忌み嫌っている。

 一部例外もいるが、先程の女性などは典型だ。


(でも、それは仕方のないことだ。彼女らに貴族の実情なんて知る由もないもの)


 悪意を向けられるたび、自分にそう言い聞かせていた。そうしなければやっていられなかった。

 平民すれば、ヴァイオレットは税金を搾取(さくしゅ)するだけで仕事もせずに怠惰(たいだ)な生活を送っているわがまま令嬢だ。蔑み、恨んでしかるべきだろう。

 その気持ちがわかるから、どんな態度を取られようとも見逃していた。


 だが、頭で理解したからといって必ずしも感情的にも受け入れられるわけではない。

 心ない言葉や侮蔑(ぶべつ)の視線は見えない刃となって徐々に、しかし確実に彼女の心を切り刻んでいた。


「っ……!」


 すれ違う人から悪意を含んだ視線を向けられている気がして、たまらず傘で顔を隠して下を向いた。

 いつしか見知らぬ人が行き交う場所が怖くなっていた。もしかしたら、実家以上に。


 屋台が立ち並んで往来も多い表通りの手前で、人通りの少ない路地裏に入る。少し足を進めただけで、先程まで目と鼻の先に広がっていた喧騒(けんそう)は見る影も無くなっていた。

 寒気すらも覚えるその薄暗い空間で、安堵したようにホッと一息吐いた。

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