8 落ち着くことも大切です
「いい子じゃないか。彼」
「そうですね……」
(言えない……脅されているなんて……フリードは妙に人当たりがいいからこんなことに……)
フリードに対するモニカの評価は高いようだ。ひったくりの件もあるが、アイリスと一緒に手伝ったことも理由だろう。
「おや、嬉しくないのかい?」
「いえ……おほほほ」
「なんだい、その笑いは」
だいぶ引き攣った笑顔で誤魔化すアイリス。
(そういえば、恋人ごっこは暇つぶしって言っていたけど、実際恋人ってどういうことをするんだろう)
ずっと霊山にこもっていたアイリスは恋愛なんかしたことがなかった。ただよくカールから送られてくる本の中に稀に恋愛もののお話が紛れていて、それを読んだ程度の知識だった。
(恋ってよくわからなかったんだよね……王子様とハッピーエンドのお話があればお互いが死ぬ話があったり、はたまた女の人が男の人の頬を引っ叩くこともあったり……とりあえず引っ叩けばいいのかな?)
本での知識しかしらないアイリスは「うーん」と唸る。
「それで? デートのひとつでもしたのかい?」
「デート…………デートってなんですか?」
「そんなことも知らないのかい? そうだね……一緒にお出かけとか」
「お出かけ……一緒にお出かけしました! お手伝いでさっき!」
相手はどうであれ未知の『デート』ということができたような気がして少し嬉しくなる。
「それはデートとは言わないよ」
やれやれといった様子のモニカ。しかし実際本当にこのクレアで出会ったばかりで、暇つぶしの意味不明ごっこに付き合わされていてこんなことになっているだけなのだ。
(でも悪い人ではないんだよね……そもそも嫌だなって思うこと、全然されていないし)
思い返せば一緒に目的地へ行っただけでなく、荷物を持ってくれたりむしろ親切なくらいだ。
「暇つぶし……か……」
「アイリス?」
「いえ。少し薪持ってきますね」
話について行けそうになかったアイリスはその場を離れ、戦線離脱に成功する。そして外にある薪を取るためにドアを開けると怯えた男の声が聞こえた。
「ひいいいいい! お助けを……!」
「ぎゃあああああ!」
悲鳴の声が聞こえた瞬間、路地から二人の男が飛び出してどこかへ走り去って行った。
「走るの速いな…………あれ? あの人たちどこかで……」
腕を組んで考える。
「知り合いか?」
「うわあ!」
アイリスは考え事をしながら二人の男が飛び出してきた路地裏に行こうと足を踏み出した途端、いきなり背後から聞き慣れた低い声に驚いた。
「悪い悪い。で、さっきのやつらは知り合いなのか?」
「え? あ。そういえば……なんか前の町から見かけたような……? そういえば少し後ろを歩いていた気がしましたが悪意は感じなかったですし、たまにお腹が空いたなって思っていたら無言でしたけどりんごをもらいました! いい人たちだったのかな?」
「典型的に食べ物でつられていたのか………」
頭を抑えるフリード。それを不思議そうに見るアイリス。
「はあ……それを、本物のつきまといって言うんだよ」
キョトンとしているアイリスの頭にフリードが複数回軽く手刀をいれる。
「いたたた!」
「今は害がなくてもいずれ行き過ぎたら害になることだってあるんだ。食べ物だって何かが含まれている場合もある。今回悪意がない分類だったからまだよかったが気をつけたほうがいい」
「はい……」
頭頂部を摩りながらもしゅんとするアイリス。確かに不用心だったが、相手から敵意がなかった為、つい放置をしてしまったのだった。
フリードの最もな意見にしゅんとするアイリス。
「まあ、あそこまで脅せば問題ないだろう」
「え?」
フリードは小声でぼそっと何かを言っていたが、何も聞こえなかったのだった。聞き返しても作ったような笑顔を浮かべられるだけだ。
話が進まなくなってしまったので、アイリスは話題を変えた。
「そういえば忘れ物はちゃんと取れましたか?」
「ん? ああ、もちろん」
「…………」
フリードの胡散臭い笑顔から色々察し、とりあえず全く違う話題に変えようと思うアイリス。
「えっと……私これからモニカさんの炊き出しのお手伝いをしようと思っているんですけど、フリードはどうしますか?」
「ああ、俺は」
「大変だ、大変だー!!」
アイリスとフリードは声の方を見る。
「……どうやらそれどころじゃなくなったみたいだな」
男が一人こちらに慌てた様子で走ってきた。
「あんたら! 悪い事は言わない! 早く家に帰った方がいい!」
「え?」
あまりの勢いに驚いて一歩下がると、隣にいたフリードがアイリスを庇うように少し前に立った。
「わ、悪い! 驚かせて! でもそれどころじゃないんだ!」
アイリスが驚いた様子に気がつくと申し訳なさそうにした男だったが、本当に慌てており、緊急事態らしい。
「なんだい、騒々しい!」
外の様子に気が付いたのかモニカが家から出てきた。
「モニカ! 大変なんだ!」
「ちょっと落ち着きな! 今お茶を淹れるから」
「いや、だからそれどころじゃ」
「家の前で騒がれたら近所迷惑になっちまうだろう。早く来な」
会話を無理やりまとめたモニカはスタスタと家に向かって歩き出してしまう。そんなモニカをパチパチと目を瞬かせて後に続く男。
「モニカさん……お強い……」
ふとアイリスの口からそんな言葉が溢れたのだった。
「ほら、これでも飲んで落ち着きな」
モニカが出したのはあたたかいお茶。それを一口飲んで落ち着く。先程まで慌てていた男もすっかり落ち着いていた。
「それで、一体どうしたんだい」
「それが三年前に襲ってきた魔法師の山賊がこっちに来ているんだ。しかも領主様たちが収穫祭で使うランタンを業者から受け取って持ち帰るところを狙われて襲われたんだ。俺は助けを呼びにここまで逃げ帰ってきて…………ふう。美味しいな」
ずずずーっと温かいお茶をもう一口飲み、息を吐く男。
「…………………………………………………………………………」
「…………………………………………………………………………」
「…………………………………………………………………………」
ゆったり説明する男にアイリス、フリード、モニカは黙り込む。
「そんな大変なこと、なんでもっとはやく言わないんだ!」
我に返ったモニカが男に叫ぶ。胸ぐらを掴みそうな勢いだ。
「いや、だから大変って…………」
男がごにょごにょ言うがモニカは聞いていなかった。
「これはもう収穫祭なんて悠長なことをやっている場合じゃないね」
モニカは焦った様子で上着を着る。
「このことを他の奴ら伝えて対応策を考えてくる。あんたたち二人は危ないから家から出ないでおくれよ」
(私は…………)
モニカの言葉にアイリスは深く深呼吸する。
自分がこれから何をするべきか方針はあっという間に決まる。あとは実行するだけ。
「待ってください」
モニカの上着の裾を握って今にも家から出そうなモニカを止め、優雅にお茶を啜っている男を見る。
「あなたは助けを呼ぶために逃げ帰ってきたんですよね?」
アイリスの問いに男は頷く。
「助けには……私が行きます」
「何言っているんだい!」
モニカは焦ったような声をあげる。
「大丈夫です」
アイリスの澄んだ声と言葉は焦っていたモニカに落ち着きを取り戻させるようなものだった。
そしてモニカの横を通り過ぎ、ドアノブに手を置く。その時アイリスがこれから何をするのかモニカは容易に察した。
「まさか山賊と戦う気なのかい!? やめときな! あいつらのせいで私の夫も……子も…………」
心配するような焦っているようなモニカにアイリスは優しい笑みを浮かべる。
「私も魔法師です。モニカさんも知っているでしょう?」
「だからってあんたが行かないといけない理由にはならない! それにあんたの魔法は治癒魔法だろう? 戦闘に向くとは到底思えない!」
モニカの言う通りだ。治癒魔法でけがを治すことができても敵を撃退することはできない。
そもそもアイリスはクレアに住んでいる人間ではない。その為アイリスが危険を冒してまで助けに行く義理も義務もない。
「だとしても行かないといけないんです。魔法師が魔法を使えない人を攻撃するなんて絶対あってはいけないこと。魔法をただの力として使うことなんて私は許せません」
人を害することに魔法を使うことにアイリスは憤りを覚えていた。
「それに、私はモニカさんに証明したいです。魔法は私利私欲で人を傷つける『力』だけじゃないということを。結果的に人を救うことだってできると思うんです……私の勝手な気持ちですが」
それは昨夜の続き。将来何になりたいか、どうしたいかなんて分からなかったけれど、カールに言われた言葉をアイリスは信じている。
落ち着いて言い聞かせるように言葉にしたアイリス。モニカは黙り込んでしまう。
「それに……誰かのために魔法を使えばきっと……誰かの記憶に残るはずだから」
ボソッと呟くアイリス。その声は誰にも届かない。
「アイリス?」
「いえ、大丈夫ですって言っただけですよ。……私はきっとクレアの領主さんたちを助けます」
「………………分かった。待っているよ。無事に帰ってこないと……許さないからね」
「はい。行ってきます」
不安やどこか悔しさを感じさせるような複雑な表情をするモニカ。
そんなモニカに笑みをこぼし、外に出ようとしたがふと後ろを向く。フリードが動いた気配を感じたからだ。
「フリード、着いてこないでくださいね」
「なぜ?」
さも当然のように一緒に行こうとしているフリードに話しかける。
「だってあなた………………魔法師でしょう?」
「へえ」
フリードはアイリスを興味深いような、それでいて試すような怪しい笑みを浮かべた。しかしそれはアイリスも同じだ。
聞いていたモニカは驚いたようにフリードを見るのだった。