6 紳士なつきまとい
(どうしよう……本に書いてあった付きまといだ……)
元気よく家から出たアイリスだが、寝起きですっかり頭から抜け落ちていた『恋人ごっこ』を思い出す。
「おはよう……ございます……なんでここに?」
「ちょうど朝の散歩をしていたら偶然君がここに」
「左様でございますか」
うすら寒い笑みを浮かべているフリード。深く追求しない方がいいと感じた為、とりあえず目の前の人間を放置してモニカに頼まれたお手伝いを実行することにする。
「で? 何をしに行くんだ?」
フリードを華麗に無視して足を動かし始めると慌てたようにフリードが声を上げた。
「何って、今日はこの町の収穫祭なんですよ。泊めてもらったモニカさんのお礼も兼ねて手伝うことにしたんです」
「へえ。どこへ?」
「まず三番通りに向かって今日使う野菜を受け取りに行きます。それではさようなら」
さくっと律儀に現状を説明してからモニカからもらった地図に目を落とし、左へ進む。
「アイリス」
「……………………」
引き止められそうなので黙って足を進める。
「アイリスさーん」
「……………………………………」
(なんかついてきた!)
足音がしていることからどうやら後ろから着いてきているらしい。
「あの、だから今忙し「本当にこっちでいいの?」え?」
振り返ると真後ろで上からアイリスの手元の地図を見下ろしていた。
「こっち、三番通りと反対方向だけど」
「…………………………」
「アイリス?」
「あ、朝の散歩をするために遠回りして行こうかと……」
「…………ははっ」
フリードはアイリスの苦し紛れの言葉が面白かったのか楽しそうに笑った。それにムッとするアイリス。
「悪い悪い。もしよければ三番通りまで朝の散歩に行きませんか?」
フリードは冗談交じりな口調でアイリスに手を差し伸べる。もう既に迷っていたことがばれたこと、そして何より楽しそうなフリードにアイリスは観念して自身の手をのせたのだった。
それからというものの、一緒に歩きながらもフリードの話はアイリスにとって興味深く、面白いものでもあった。
「フリードは本当にここの人じゃないのですか?」
「ああ。少し下調べしただけさ」
アイリスがキョロキョロ周りを見渡している中、一つ一つ丁寧に、そして簡潔な説明に加え、都市クレアの歴史まで踏まえた説明に退屈することはなかった。
「下調べのレベルがおかしい……」
「そんなことはな……いや、ここでもっとアピールしておけば俺のイメージアップに……」
「今のひと言で台無しだと思います」
余計な一言を聞いてしまいばっさり冷静な対応をしたアイリス。それでも最初の警戒心はどこへやら。フリードにエスコートされながら三番通りにたどり着いた。
「メモに書いてあるお店はあそこのようだな」
「あ、本当ですね。フリード、ありがとうございます!」
「いえいえ」
気づかないうちにきちんとたどり着いたお店に感激し、フリードに感謝を感じながら店内に入っていくのだった。
「すみませんー! モニカさんの代わりにお野菜の引き取りに来ましたー!」
店内に誰もいなかったため、アイリスは大きな声をあげた。
「誰もいないのかな?」
時間を改めようと店をとりあえず出ようとしたらバタバタと店の奥から人の走る音が聞こえてきた。
「モニカの代わりだって!?」
店の奥から走ってきたのはモニカと同じ年齢くらいの女性だった。そしてなぜかとても驚いている様子だ。
一方アイリスは女性の勢いに驚き、思わず後ずさってしまうが、後ろから何かにぶつかる。そしてすぐ肩に手を優しく置かれる感覚がした。
「フリード……すみません…………あの、これを……」
ぶつかってしまったフリードに謝りながらもすごい剣幕の女性にメモを渡す。するとアイリスが少しおびえていたことが分かったのだろう。我に返った女性は少し申し訳なさそうにメモを受け取った。
「驚かせて悪かったわね。ちょっと待っていてね。あ、籠いいかしら」
アイリスは籠も渡すとメモも持って女性は店の奥へ行った。
「大丈夫か?」
フリードは心配そうにアイリスを見る。どうやらアイリスを追って店内まで入ってきたようだった。
「はい、大丈夫です。……少し驚いただけで」
今まで山から出たことのないアイリスにとっていきなり自分に向かって大きな声をあげられたことがなかったため、とても驚いてしまったのだった。
(でもランスロットさんもすごかったな…………ただオーバーリアクションだっただけかもしれないけど……)
アイリスを勧誘しに霊山まで来た王立魔法学園の教師ランスロット。ランスロットも少し声が大きかったなと思い出しながら同時に当初の目的『王立魔法学園へ行く』ことを再度思い出す。
(お手伝い終わったらちゃんと学園に向かわないとな……)
そんなことを思いながら女性が戻ってくるのを待っていると、奥から女性が戻ってきた。
「お待たせ! これがメモに書いてあった野菜よ」
「うわあ! いっぱいです!」
袋の中には昨日モニカが言っていた色とりどりの野菜たちがぎゅっと入っていた。
「それで、モニカの代わりにここに来た経緯の話を聞かせてほしいのだけど」
「え?」
真剣な声でアイリスに話しかけてきた女性に戸惑いながら自分がモニカを助けたこと、家に泊めてもらったこと、そしてそのお礼も兼ねて収穫祭を手伝うことになったことを話した。
「あのモニカが……他人をもう一度……」
心底驚いたといった様子の女性。
「あの?」
「ああ、ごめんね。実はここだけの話、モニカには夫と息子がいたんだ」
(あれ? でも……)
昨日のモニカの話だと夫と子どもは一時的にいないという印象を受けたアイリスだが、どうやら違うらしい。
目の前の女性の過去形の言葉に嫌な予感がする。
「モニカの子どものメイソンは裏表のないまっすぐな子だった。ご主人のトーマスさんもね、とても温厚な人だったの。収穫祭の時は毎回三人でランタンに祈りを込めてとばしていたわ。」
幸せそうな家族の話。しかし嫌な予感が頭をよぎる。
「そして三年前、村が山賊に襲われたの。二人はその時の犠牲者。」
「そんな……」
「トーマスさんが魔法師なのは知っていて、戦ってくれていたことも知ってるの。だからトーマスさんが身を挺して守ったから今のクレアがあるといっても過言じゃない。でも帰ってこなかった。山賊の中にも……魔法師がいたから」
魔法師。それはそのままの意味で魔法を使える人間のことだ。アイリスも魔法師の一人だ。
人間には量や質は違えど各々等しく魔力を持っている。ただしその力を発現できる者は限られてくる。だからこそ発現できない普通の一般人にとって魔法士は『力を持つ者』としての認識が強く、魔法という『武力』で攻められた際、一般人はどうすることもできないという認識が強い。
「モニカの子どものメイソンは行方不明になったの。モニカが少し目を離した時に消えてしまった。そして今も帰ってこない。……あのニ人を失ってからモニカは変わってね。明るかったのにどこか暗くなって……なんでも一人で背負い込むことになってしまって」
「……知りませんでした……」
出会って一日も経っていない為当然ではある。それでもそんな過去があったのならなぜ憎んでいるはずの魔法師の一人でもある自分を泊めてくれたのだろうかとアイリスは不思議に思った。
「あなたのことも収穫祭近辺は人が多くなって治安が悪くなるから家に匿ったのだろうね。特に夜は……」
自分を守ってくれたモニカに何とも言えない気持ちになる。
あの時は魔法を使ったアイリスに怯えた様子もなく、ただ一つ「魔法をどう思っているのか」そう問われただけであった。恐らく魔法師に対して憎悪や恐怖はあるはずだ。それでもモニカはアイリスを案じて家に泊まらせた。
「いい人……ちがう……優しい人なんだな」
『いい人』と単純に枠組むことはできる。でもそんな枠だけじゃアイリスの気持ちは収まらなかった。そして自然と出てきた言葉が『優しい人』だった。
(私は……そんなモニカさんに何かできることはなんだろう……)
「私……帰りますね」
「え?」
突然のアイリスの言葉に戸惑う女性。
「早く帰ってこのお野菜たちを届けないと! 絶対収穫祭成功させたいです! きっとそれが今の私にできることだから」
「あなた……似ているわね」
「え?」
「なんでもないわ。それで隣のあなたもモニカの代わりに来たの?」
女性はフリードを見上げる。フリードは笑みを浮かべる。しかしその笑みは胡散臭い。フリードが何かを言う前にアイリスが慌てて口をはさむ。
「いえ、この人は偶然そこらへんで会った変な「いえ、俺は恋人の手伝いに来たんです」いえ、だから」
フリードがアイリスの言葉を遮る。
フリードからじーっと注がれる視線に居心地が悪くなる。分かっているだろうと言われているような視線に結局「はい……その通りです」と棒読みで言うと、女性は「あら! まあまあ!」と盛り上がってしまった。
(そういえばなんで恋人ごっこをしているんだろう。フリードにとって何かの得になるってことなのかな?)
フリードを見るとこちらを見て怪しく笑っていた。
それから持ってきた籠に入りきらなかった野菜を袋に入れた女性。アイリスは野菜が詰まった籠に手を伸ばすが、後ろから伸びてきた腕に籠と袋を奪われてしまうアイリス。ささっとすべての荷物を持ってしまったフリードは「行こうか」と言って店を出てしまうのだった。
女性はアイリスがフリードが持っている籠を奪い返そうと追いかけていく様子を見つめる。
「そういう明るくて素直なところがメイソンそっくりね」
女性は一人天を見つめながらつぶやいたのだった。
「待ってください! 荷物は私が持ちますよ」
「別にいいよ」
「まあまあそう言わずに」
ぴょんぴょんとフリードの抱えている荷物を奪おうと奮闘するものの、軽く笑われ、結局一つの軽い袋を渡されただけだった。
「むむむむむ」
「拗ねてる拗ねてる」
「拗ねていません!」
そもそもこれはアイリスが頼まれた仕事だ。ちゃんと遂行したかったのだが、フリードが渡してくれる気配はない。
「ねえフリード」
「ん?」
「どうして『恋人ごっこ』をしようって言ったのですか?」
当然の疑問をようやくフリードに言ったアイリス。今まで相手にしていなかったから考える必要もなかった。それでも同じ時間を共有していくなかでその疑問は大きく膨れ上がったのだった。
「暇つぶしさ」
「暇つぶし?」
「そう。俺はこのクレアで仲間を待っているんだ。その時間潰し」
「なんとはた迷惑な……」
はじめてフリードの事情を聞いたアイリス。今まで聞こうともしなかったのだ。当然だ。
「待っている……もしかしてはぐれたのですか?」
「まあそんなところだ。それに女避けにもなって一石二鳥だ」
「女……避け?」
アイリスは首を傾げるが、フリードは何も言わなかった。
「アイリスー! 帰ってきたのかい?」
モニカの大きな声が聞こえる。どうやらモニカの家に戻れたらしい。
「はあい! フリード、ちょっとごめんなさい!」
アイリスはモニカの家に走った。
フリードはひらひらと手を振り、パタパタと走って行ったアイリスを見送るのだった。
「それに…………やっと見つけたんだ。これ以上勝手に踏み荒らされるのは御免だしな」
目を細めたフリードはアイリスの後に続くのだった。