51 誘惑の魔力
アイリスは後ろからかけられた声に振り向く。
「ギルバート様」
チーム戦後、学園の建物の上で出会ったギルバート。彼とは廊下等偶然出会う度によく挨拶をしている。
「勉強か。熱心だな」
「いえ。……そういうギルバート様もこちらには勉強しに来たのですか?」
ギルバートの腕には何冊かの本が積まれている。
「気になるのか」
「いえ! はい! うん? いえ! すみません!」
「…………」
あまり人の選んだ本をじろじろ見ることは失礼だと感じ、アイリスは慌てて頭を下げる。
「気にしなくていい」
本当に気にしていない様子だったので、アイリスは少し安心する。一方ギルバートは何か考えている様子を見せた後、持っていた本を机の上に広げた。
「……異界世界史?」
本のタイトルをそのまま読み上げるアイリスには頷く。
「この世界は三つの世界から成り立っていることは知っているか」
ギルバートの質問に対してアイリスは頷く。
昔カールに教えてもらったことがある。この世界は大きく三つの異空間の世界から成り立っている。
一つは今いる人間界。もう一つは魔族のいる魔界。そして聖天族のいる天界があり、三つの世界が均衡を保つことで世界が成り立っているといわれている。
「俺は人間界しか知らないが、知らない世界のことはやはり興味が湧いてな」
「なるほど…………」
「まあ、この学園にも多少なりとも魔族はいる。そいつに直接話を聞くのも面白いと思うがな」
「え! この学園に魔族の方がいらっしゃるのですか?」
ギルバートは頷く。
「基本的にこの学園にいる限りは他人の出自を問いたださないという暗黙のルールがある。差別のない校風がこの学園の特徴だからな。つまりこの学園は種族関係なく在学することができるんだ。ただ、聖天族はいないと思うがな」
「そうなのですか?」
「ああ。それは……」
ギルバートが話そうとするとちょうど時計が目に入ったのだろう。机の上の本を片付け始める。
「悪い。この後任務だ」
「すみません。足を止めさせてしまったみたいで」
どうやらギルバートは任務の前に本を借りに来ただけだったようだ。あれこれと質問してしまったことでの時間を使わせてしまい、アイリスは申し訳なく思う。
「続きが気になるのなら今度聞きに来るといい」
「ありがとうございます」
ギルバートが怒っておらず落ち着いた様子に安心してアイリスは笑みをこぼしたのだった。
ギルバートと別れたアイリスは再度教えてもらった本を片手に席へ戻る。しかしアイリスにとって盲点だったのはここからだった。
「随分捗っているみたいだな」
椅子に座り書物を開いて熱心に読んでいる中、少し揶揄うような口調で話しかけられ顔を上げると、そこにはフリードがいた。
(なんでいるんだろう?)
フリードはいたずらっぽく笑いながらアイリスが集中していた本を指さした。
それはアイリスが今まで読んでいた絵本だ。
「…………………………………………はっ!!」
アイリスはここへ勉強しに来たのだった。それなのになぜか自分の手には絵本を持ち、目の前の机には読んでみたいと感じた本が積まれている。それは医学や薬学に関する物から歴史学やおとぎ話、絵本まで分野が様々だ。
(こんなはずじゃなかったのに…………)
指から力が抜け、パラリと絵本が机に落ちる。
「図書館には本来の目的から外れるような不思議な魔力が…………」
「アイリスが言うならあるんだろうな」
「……………………」
フリードは面白そうな表情を浮かべるが、アイリスは肩を落とす。ここへは勉強しに来たのだからだ。
せめて今からでもと参考書とノートを広げる。フリードはくすりと笑ってからアイリスの向かい側に座った。
「ううううううう」
泣く泣く静かな声で唸りながら問題を解くアイリス。それを見ながらフリードはアイリスが書棚から持ってきたであろう試験範囲外の本をパラパラとめくるのだった。
「やけに医学系の本が多いな」
声を出しても大丈夫か周りに人がいないことを改めて確認するアイリス。
「私が山にいた時、時間のほぼすべてを魔法と医学に使っていたんです。医学については定期的にカールが医学の本を大量に届けてくれたんです。それでもこの図書館に来てまだまだ知らないことがいっぱいで少し楽しいです」
「そうか」
沈んでいた気持ちはどこへやら。山にこもっていた時のことを思い出して少し懐かしさを覚えるアイリス。一人の時間が多くても魔法の勉強や医学の勉強に夢中になっていたことや、カールという人間性は底辺で最悪でも、なんだかんだいい師だと感じていた。
「さて、もっと頑張らないと!」
アイリスは目の前の古語の意味を考える。
(うーん。ここの文法は……)
熟考しているとふと誰かの視線を感じた。
「あの子ね。噂の編入生」
「やっぱり可愛いな」
「この国であの髪色は見たことないな」
気が付いたら数人からの注目を集めていた。
(やっぱりこの髪目立つな……)
アイリスは自分の髪色が大嫌いだ。
さすがに学園内でフードは被らない。編入初日はフードを被らない結果アイリスの鮮やかな桜色の髪を人目にさらし、それに伴いたくさんの人からの視線が刺さり困惑していたが、今は少し慣れた。それでもあまり目立たないように人が少ない場所を選んで過ごしている。
図書館の席だって、誰もいないような角の窓側の端の席をとったのだった。
(これはもう開き直るしかないよね……)
「Cランクだよな」
「そうそう。大した力もないくせにどういう自信でこの学園にいるのかしら」
髪の話題から最近はアイリスを悪く言う言葉を多く聞くようになったアイリス。
反論せず無視しようと心に決めた時、視界が白い布で覆われたのだった。
「え?」
「アイリスが気にする必要はない」
どうやらフリードがカーテンを掴んでアイリスもろとも覆って隠してしまった。まるでこの空間にはアイリスとフリードしかいないように感じてしまう。
「大丈夫ですよ、フリード。でも気遣ってもらってありがとうございます」
「大丈夫じゃない」
「え?」
「ここ。違う」
指でポンと先ほど書いていた古語を指さす。
「この言葉には二つの意味がある。正しい意味を選んでそれを二ページ前の文法に合わせると……」
「なるほど……」
先ほどまでのおかしな古語訳がきちんと誰にでもわかるような訳に変わる。
「まだまだ頑張らないとな……!」
「もう十分頑張っていると思うけど」
「いえいえ! まだまだです」
遅れを取り戻すためには普通の人以上の努力をしなければならない。アイリスは気を引き締める。
「頑張るのはいいけれど、もっと自分のことを労わった方がいい。少し動きすぎ」
加減されている力加減で優しくおでこを指で弾かれる。
(なんか……むずむずするな……)
不思議な感覚に襲われながらも次の問題に取り組もうとしたとき外からの風が吹き、簡単にフリードの手からカーテンが離れてひらりと舞う。そして今までアイリスたちを覆っていたカーテンはもとの場所へ戻ったのだった。
「すごい風でしたね」
風で少し乱れた髪を整えようと髪に手を伸ばす。
(あ)
アイリスはそういえばと思い、見られていたであろう場所を見ると、そこにはもう誰もいなかった。
「そういえばフリードは何故図書館に? フリードも勉強しに来たのですか?」
「いや、君を探しに。教室を覗いても誰もいなかったから図書館かなと。勉強していると聞いたからな」
ルイにもう少し残ると伝えた為フリードにもそれが伝わったのだろうとアイリスは納得する。
「それで? 誰に連れてきてもらったんだ?」
フリードは何もかも見透かすように聞いてくる。そもそもアイリスが一人で図書館になんて来れるはずがない。
「ゼンに……」
「なるほどな」
納得するように頷くフリード。
(探していたって一体……)
「あ!!」
つい大きな声を上げてしまい、慌てて口元に手を当てる。
「ユーリさんのお手伝い!」
アイリスは慌てて机に置いてある本やノートを片付け始める。
「あ。そうだそうだ。すっかり忘れてた」
「すっかり忘れてしまいました……」
慌てて片付けて図書館を飛び出すアイリス。
「ゼン……ね……」
フリードも立ち上がり、走っているアイリスの後を追うのだった。