49 真実は意外と足元に転がっています
「それでこの状況なのね」
教室でアイリスの様子を見ながら苦笑するエレナ。アイリスの机には教科書とノート。アイリスはひたすら手を動かして暗記しないといけない単語を何回も何回も紙に書いている。そしてぶつぶつと暗記単語を唱えながら表情は般若のようになっている。
「ちょっと根を詰めすぎじゃないかしら」
「いえ、このくらいはやらないと……」
エレナはアイリスを心配しているが、アイリスは危機感でいっぱいだった。
(私は特にしっかりやらないと…………何より……初めて勉強する内容が大半だし……)
編入するにあたり霊山で軽く形式的なテストを行い、ギリギリだが合格点を取って編入が決定したアイリス。入学して気がついたことは編入テストの内容は基礎科目の一部だったようで、この学園ではたくさんの科目を学ばなければならない。
生まれてから霊山に籠り、カールから教えてもらった勉強内容はほぼ基礎科目だけだった。
つまり、この学園に入って勉強している殆どの科目が初見なのだ。今まで様々な科目をしっかり勉強してきた人とは当然ながら差が開いてしまう。それをアイリスはしっかり自覚していた。
「アイリスちゃん…………そうだ、これあげる!」
エレナは机にポトリと手のひらサイズの紙の束を置く。
「これって……」
「単語帳よ!」
エレナは単語帳を手に取って紙に古語の暗記内容の問題を書き、裏に答えを書く。
「こうやって問題を反復すればきっと覚えられるわよ」
「おお…………!」
エレナから再度単語帳を受け取り、興味深く紙をペラペラと捲るアイリス。
「ありがとうございます!」
「いいのよ! 頑張っている人を見ると応援したくなるし、何より私もパワーをもらえるから」
「パワー?」
アイリスは勉強をしているだけだ。何もエレナの力にはなっていないとアイリスは考える。
「そうよ。前向きに頑張る人を見ると私も頑張らなきゃって思うから!」
エレナは無理しない程度に頑張れと笑顔で言って席へ戻っていく。それをアイリスは眩しそうに見つめてからまた教科書に目を向けた。
(エレナさんは私を前向きに頑張っているって思ってくれているけれど、今までやっていなかった皺寄せが今きているだけだから半分自業自得なような気もするんだよね……)
アイリスは冷静に考えるが、世間では冷静に分析した上で前へ進んでいくことを『前向き』と呼ぶことにエレナは気づいていたが、アイリス本人は気がついていないのだった。
学園の講義が終わった後も教室で一人勉強をしているアイリス。
(うーん…………全然わからない…………)
手元の内容がちっとも頭の中に入っていかない。入る気配すらなかった。
「うーん………………」
分からなすぎて最終的には唸り声まで上げてしまう始末。自分のおでこを机に預け、どうしようかと考えるほど手詰まりになってしまうのだった。
「どうした」
「うわっ!」
唐突な声に驚いて顔をあげるとそこにはゼンがいた。
「ど、どうした」
「ごめんなさい! 少し驚いちゃって」
いきなり声をかけられてアイリスは驚いたが、ゼンもまた驚かれたことに驚いていたのでアイリスは焦って謝る。
そこでふと思い立った。
「ゼン様は」
「……………………」
何か言いたい様子のゼンに気が付き、アイリスは慌てて咳払いをする。
「じゃなかった。ゼンはテストの勉強をどうやってやっているのですか?」
「勉強か? それは…………」
ゼンはアイリスの机の上に広がっている参考書やノートを見る。
「着いてこい」
ゼンに着いて行った先は大きな天井の高い建物のドア。
「ここは?」
「なるほど。お前は編入生だからまだ来たことがないのか」
ゼンは迷わずドアに手をかけ、建物の中に入っていく。
(入っていいのかな…………?)
見知らぬ建物に気圧されていたが、ゼンはアイリスのいる後ろを振り返り、無言で見てきたので慌ててドアに手をかけた。
「うわあ!」
なるべく煩くしないように声の大きさは抑えて。でもこの感激を自分の中にしまうことはできなかった。
「ここは学園の図書館だ」
清潔な空間の中にたくさんの書棚が置いてある。蔵書数は想像できない。ワンフロアでも相当の面積があるというのに五階建で、建物の一階の真ん中から上層階が見渡せる造りになっている。
「参考書も豊富だ。ここなら勉強に集中できるだろう」
「はい! ありがとうございます!」
アイリスはお上りさんのように上を見上げては目をキラキラと輝かしている。
「そういえば」
少し我に返ったアイリスはゼンを見る。
「アラン様は一緒じゃないのですか?」
「なに?」
ゼンは少し声を低くする。それに怯んだアイリスは自分の言おうとしたことをしっかり伝えようと補足を入れる。
「ゼンはアラン様と一緒にいることが多いような気がしたので、一人でいるのが珍しいなって思っただけです」
「それは「それは俺たち腐れ縁だからだよ!」こちらに寄るな」
アイリスたちの後ろから現れたのは、今噂をしていたアラン。ゼンは鬱陶しそうに距離を取る。
(やっぱり一緒だった……)
「つまり仲良し……なのですね!」
「「違う」」
「!!」
図書館だから静かに、しかしはっきりとした返事が響きわたる。
「こいつとはただの腐れ縁だ」
「あ、ひどーい! まあ実際そうなんだけれども」
「えっと、アラン様はどうしてここに?」
明らかにゼンの機嫌が悪くなっていたので取り敢えず話題を変える。
「こいつ風紀委員の打ち合わせの時、打ち合わせの三十分前にはいつも打ち合わせの部屋にいるんだよ。でも珍しくいなかったから何事かと思ったけど…………まさか図書館デートだったとは」
「なっ! なっ……! 何を……!!」
ゼンは顔を赤くさせる。
「俺は断じてその様な邪な気持ちはない!」
「デート? よくわかりませんが、ゼンは勉強に最適な場所を教えてくれただけですよ」
「ふーん。へー」
アイリスは事実をそのまま伝えたが、アランはニヤニヤしながらゼンを見る。
「気持ち悪い顔をするな。今から行こうとしていた。……件の調べ物もあるしな」
「調べ物?」
珍しくゼンが疲労を表情に出しているので心配して聞いてしまうアイリス。
「ああ。……人探しだ」
「人探し……?」
「うん。アイリスちゃん知ってる? 救世主さん」
「救世主?」
アイリスは首を傾げる。
「数週間前にどこからか現れた救世主。ひったくりとか人身売買とか強盗とかから始まって、人探しと失せ物探しまでしてくれた救世主」
「親切な方なんですね」
「そうそう。逆に親切すぎて困っているんだよ。お礼をする前に姿を消しちゃったみたいで、救世主さんの居場所捜索依頼が俺らのチームに来ているんだ」
「それは……大変ですね」
アランが説明する中、ゼンは厳しい顔をしている。どうやら捜索は難航しているようだ。
「今はパッタリ姿を消しているみたいなんだ。しかも現れる場所に法則とかもなくて完全にお手上げ状態ってわけ」
「その人の外見的特徴とかはないんですか?」
「はっきり分かっていることは紫色のような瞳を持った武闘派少女」
「なんかすごいですね……髪型とかは分からないんですか?」
「うーん……それがフードを深く被っていて分からなかったみたいで……目撃情報によると、たまにフードから髪が少し見えた時があったらしく、色は赤に近い色だったり……」
「白に近い色と聞いている」
二人の説明にアイリスは必死にそんな人はいたか考える。しかし何も浮ばない。
「あの……武闘派少女っていうのは?」
「簡単に言えば背負い投げで悪い人を成敗しているみたい」
「それはすごいですね」
アイリスは感心する。
「背負い投げ……そういえば基本的に魔法を使わない接近戦を使っていたんだっけ」
アランの言葉にゼンはアイリスを見る。
「ゼン?」
「おい、アラン」
「うーん。俺も同じこと考えているかも」
「…………」
「髪色は赤でもあり、白でもある桜色」
アランはアイリスを見る。
「瞳の色の一致と徘徊期間」
ゼンもアイリスを見る。
「背負い投げの武闘派少女。こんな近くに捜索対象者がいたなんて……くくくっ……あははは! しかも本人自覚ない!」
アランはここが図書館ということを忘れて笑い出す。
「アラン」
「ぷ……くくっ……分かってるって……あー面白い」
アランは必死に笑いを止めようとしている。一方アイリスはなぜ爆笑しているのか分からない。
「えっと……」
どうしようか困っているとゼンがため息をつく。
「アイリス。すまない。俺はもうミーティングに行く。それと後で話をしなければならないことがあるかもしれない」
「…………? はい」
ゼンはドアの方へ歩き出すがアイリスの方へ振り返る。
「アイリス。その分野は三階東側の書棚を見るといい。きっと参考になるはずだ」
「ありがとうございます」
ゼンはそれだけ言うと踵を返して図書館から出ていく。アイリスは教えてもらった場所へ行こうと思うが視線を感じ顔を上げる。アランがアイリスを見ていたのだった。
(あれ? ……てっきりゼンと一緒に言ったと思ったけど…………)
疑問が顔に出ていたのだろう。それを感じ取ったらしいアランが笑って「ごめんごめん」と言う。
「いやあ、あの鬼の風紀委員長のゼンが他人に……女の子にここまでするのが珍しくて」
「え……?」
アランは少し嬉しそうに笑う。
「あいつ自分にも他人にも厳しいからさ。同性は勿論女の子の友人もいなくて」
話からするとゼンとアランは風紀委員らしい。風紀委員は学園の秩序を守らなければならない。だからこそ他人に厳しくしなければならない時もあるだろう。だから恐れられているところもあるらしい。
「君はあいつが認めた数少ない子だからさ。……これからもあいつと仲良くしてくれたら嬉しい」
静かに優しく言うアラン。
「私でよければ」
「それと俺もアランって気軽に呼んでよ。その方が嬉しい」
「は、はあ」
アイリスの返事にアランは満足したように笑う。そしてアランは何かに気が付いたように後ろを振り向いた。
「あらら……」
ゼンが機嫌悪そうにアイリスたち……正しくはアランを睨んでいる。ゼンとの関りがまだ浅いアイリスでも何が言いたいのか分かる。
(これは……早く来い……だ…………)
苦笑いするとアランもつられて笑う。アランは遠くにいるゼンへ何か返事をしようとしたのか口を開けるが「おっと」と言い口を閉じる。ここは仮にも図書館。慌てて口を閉ざしたのだった。
「後が怖いからもう行くね。……あ、そうだ」
「?」
思い出したようにアイリスを見てニヤッと笑う。
「さっきはあいつと仲良くしてやってくれって言ったけど、勿論俺とも仲良くしてくれていいからねいだだだだだ!」
いきなり痛がるアランにアイリスは目を瞬かせたが、どうやらゼンが戻ってきてアランの右耳を引っ張りそのまま図書館の外へ連行して行く。
「いたたたた!」
「静かにしろ。ここは図書館だ」
「俺の声が煩いなら今すぐ引っ張っている手を離せばすぐ静かになると思うけど!」
「黙れ。こうでもしないといつまでも彼女に纏わりつくだろう」
ギャーギャーと口論をしながら図書館を出ていく二人。
(やっぱり……仲良しなんだな……)
嵐が過ぎ去ったような静けさを感じながら教えてもらった書棚へ足を進めるのだった。