3 外の世界には変な人がいっぱい?
「ここはどこだろう……」
外套のフードを深く被り、地図を片手に左右を見渡す。
あの後簡単なテストを行い、ギリギリな点数だったが何とか王立魔法学園に通うことが決まったアイリス。色々順番が違うことにアイリスは困惑したが、正式に入学が決まり、ランスロットから学園までの地図を渡されたのだった。
地図によると王立魔法学園はこの国の王都にあるようで、霊山から王都まで幸い距離が離れていないことが判明した。
ランスロットによると、三十分ほど歩けば着くとのことだったが、もうすでに二週間が経過していた。
時間だけ経過するならまだいい。しかし、歩き続ければ歩き続けるほど街並みや景色が変わっていき、方向すらわからなくなっていた。
そして現在はどこか分からないが大通りの中にいる。
山から出たアイリスは最初に町で馬が歩いていること、つまり馬車に驚いていたが、それもようやく見慣れたころだった。
「きゃー! ひったくりよ!」
どこからか聞こえてきた女性の大きな声に驚き、声のした方角を見る。
(ひったくり……?)
脳内の記憶という名の本のページをパラパラとめくる
【ひったくり】
お金などの貴重品が入ったカバンなどを持って歩いている人に近づき、すれ違いざまに強引に奪い取ることである。
(つまり……泥棒!)
アイリスは走り出そうとするがすぐにぴたりと止まる。
(目立っちゃ駄目。でも……)
アイリスはフードをぎゅっと握る。
女性の悲痛な声は今も聞こえる。
(ここで見て見ぬふりをするのはきっと後悔する)
アイリスは走り出す。
そして前を見ると一人の男性が荷物を小脇に抱えて走っていた。その様子を見るとアイリスは大きく息を吸う。
まわりから「お嬢ちゃん危ないぞ!」という声や悲鳴が聞こえる。どうやらひったくり犯は片手に凶器のナイフも持っているらしい。
(落ち着いて)
淡々と前に向かって歩くアイリス。そこに隙は微塵もなかった。
「どけえええ!」
前から走ってきた男はゆっくり歩いてくるアイリスに気が付いたのかぶんぶんとナイフを振り回す。
しかし男はアイリスの隙の無さに気が付いていなかった。
何かを打ち付けた音と「は?」という男の声。
周りが静まり返り、まるで時間が止まったかのようになった場所で男が一人地面に仰向けで倒れ、近くには持っていたであろうナイフが転がっていた。
アイリスが男のナイフを避け、足を引っかけてから背負い投げをしたのだった。そしてすぐさま男をうつぶせにして腕をひねり上げる。
「いててててて!」
男の悲痛な声が響く。
「観念してください! えっと、こういう時はお縄に……なんて言うんだっけ?」
昔本で悪者を取り押さえたときにヒーローが言っていた言葉があったはずだった。しかし全く思い出せず、「うーん」と考える。
「てめえ! 放しやがれ!」
ジタバタと暴れだす男。
「ちょっと! おとなしく……うわ!」
男女の力の差。
いくら抑え込んだとしても男が本気になって暴れれば女であるアイリスは抑え込むのが難しい。手を払われて反動で後ろに倒れこんでしまう。その衝撃に備えてぎゅっと目を瞑った。
「危なっかしいお嬢さんだな」
そんな低い声とともに背中を支えられる感覚の後、男の「がはっ」という声が聞こえる。
(いたく……ない)
ゆっくり目を開けるとそこには黒い髪にグレーの瞳を持つ男がアイリスの視界を覆った。
(あれ? この人どこかで……)
なんとなくだがどこかで出会ったことがあるような気がするアイリス。しかしすぐ我に返り先ほどのひったくり犯を確認する。逃げられてしまえば再度被害が発生するだろう。
しかしアイリスを助けた男が片手でしっかりアイリスを支え、もう片方の手で腕をまとめあげて男を地面に押し付け抑え込んでいた。
「すごい……って、えっとすみません!」
ついひとり言が漏れてしまったが、今の状況に気付いて急いで支えてくれていた男の手から離れて立ち上がる。
「怪我は?」
「ありません」
「ならよかった」
男は視線を抑えている男に向けたままアイリスへ淡々と話す。それでもなぜかその言葉の中に温かみを感じるのだった。
「彼女にまで手をあげようとするなんて命知らずだな、お前」
アイリスに話しかけた声よりも低い声音で男は抑え込んでいる男に話しかける。
そして時折ミシミシと何かがきしむような音と男の苦しむ音が響く。
さすがに死んでしまうのではないかと思ったアイリスは抑え込んでいる男を止めようとした。
「あの! さすがにそれ以上は……!」
アイリスが声をかけた直後バタバタと走ってくる足音が聞こえ、振り向くと武器と防具をつけた人が数人現れた。
(この人たちは多分衛兵の人たちだ……!)
衛兵については知識として知ってはいたが、アイリスは初めて本物を見るのだった。
(あの防具重そう……)
状況を忘れて場違いなことを考えてしまうアイリス。
町の人たちがアイリスたちを囲む中、衛兵が数人入ってくる。
「ひったくり犯はこいつだよ」
今まで見物していたおばさんが焦ったように衛兵に言う。衛兵はすぐに状況を察したのか男を連れて行く。
「大丈夫かい?」
気づけば心配そうにおばさんがアイリスに声をかける。
「それにしてもひったくり相手に大したもんだ!」
「いえ、私だけでは……!」
ふと隣から視線を感じ、自分を助けてくれた男を見るアイリス。男はアイリスをただただ見つめている。
「?」
視線の意味がわからないアイリス。顔に何かついているだろうかと思うが何かが違う気がした。
そこではっとする。こんなことをしている場合じゃないのだ。王立魔法学園がある王都へ行かないといけないのだ。しかしここを去る前にやることがある。
「あの、助けていただいてありがとうございました!」
「あっ……」
何か引き止める声が聞こえた気がしたがアイリスは走りだす。
「大丈夫ですか?」
心配そうに婦人に駆け寄り、しゃがみこんでいる婦人と同じく地面に膝をつける。そしてひったくり犯から取り戻した荷物を渡すと、それを婦人は笑顔で受け取った。
「大丈夫よ。ありがとうね」
「いえ。それに私だけじゃなくてあの人も……え?」
先ほどアイリスを助けた男が隣にいて突然アイリスの手を掴む。そして座っていたアイリスを立ち上がらせたと思えばいきなり走り出した。
「え? え? え?」
何が何だかわからないまま引っ張られるまま走るアイリス。
手を引かれて走りに走り、ようやく立ち止まった場所は大きな公園の中だった。そして繋がれている手に誘導されるように近くのベンチに腰掛けた。
「悪いな。大丈夫か?」
「はい。えっと?」
ずっと山にいたアイリスにとって、この程度の距離を走ることに何ら問題はなかった。それよりもこの状況が理解できていなかった。
(まるで衛兵の人たちから逃げるかのように……)
戸惑いながら男を見上げるとすぐに目が合った。
「俺はフリード・ファーディナンド。フリードでいい」
「アイリス・セレスティアです……あの、なんでこんなところまで走ってきたんですか? ふ、フリード様」
「フリードでいいよ」
それからなぜか敬語も使わなくていいと言われたが、おそらくアイリスより年上に見える。また、敬語の方が慣れていた為、敬語は外せないと言ったら、「じゃあおいおい外してね。でも名前は呼び捨てで」と言い切られてしまい、とりあえず頷いてしまったのだった。
「フリードさ……ま……じゃない。えっとフリードはどうしてここまで走ってきたのですか?」
自然に出てきた敬称にフリードは眉を寄せていたので、慌てて敬称を外したアイリス。
「それは……」
「それは?」
もったいぶっているフリードにアイリスは何か深刻な理由があると思い、じっくり言葉を待った。
「衛兵の事情聴取が長いからに決まってるだろう」
「……………………………………………………はい?」
どんな深刻な問題かと思ったがどうやら全く的外れだったらしい。
(こんなことならこの人の手を振り払ってちゃんと事情聴取に応じるべきだったな……衛兵の人たち困っていないかな)
アイリスは衛兵の仕事の心配をしたが、あの場にはたくさんの人たちがいた。事情はその人たちから聞けば問題ないだろうと思いなおすことにした。しかし一つ疑問が浮かんだ。
「じゃあ、なんで私まで連れてきたのですか?」
衛兵の話の長さが嫌なら自分だけがそそくさと退散すればいい。アイリスの手を引いて走ればどうしてもその分目立ってしまうのにそれでもアイリスを連れて走ったのだ。
「それは君にお願いがあったからだ」
「お願い?」
「そう」
「!」
フリードは横並びに座っているアイリスの右手に左手で触れ、ゆっくりと指を絡ませた。丁寧に、宝物にでも触れるかのように。
「俺の恋人になってくれないか」
「………………………………………………………………………………はい?」
フリードが何を言っているのかアイリスには理解できない。すべてが唐突すぎる。
(恋人って……本に書いてあって読んだ知識だけど、好きな人が『告白』をして付き合って恋人になるんじゃなかったの? そもそも私この人のこと名前しか知らないし……さっき会ったばっかりだし……)
いきなりそんなことを言われて混乱するアイリス。それでもフリードへの問いかけの答えは当然ながら決まっていた。
「お断りします」
「……ダメ?」
フリードはアイリスに顔を近づけ目線を合わせて懇願するように問う。
「……ダメです! そもそもなんでいきなりそんなことを……そういうことは好きな人に言ってください」
(あれ? 瞳が光った?)
一瞬フリードの瞳が光ったように感じたが、疑問を口に出せる雰囲気ではなく、フリードは爆弾発言を投下していく。
「アイリスが好きって言ったら?」
「冗談は他所で豪語してきてください!」
取って付けたようにさらりと言う言葉にはどうにも真意が見えなかった。
(どうしよう……変な人だ……酔っ払いとか? とにかくここを離れないと……)
されたままでいた手を慌てて離そうとすると、案外すぐに離れた。本当に優しく触れていたようなだけであった。そして勢いよくベンチから立ち上がる。
「それでは私はこれで!」
そもそも王立魔法学園に行く最中なのだ。こんなところで変人に構って油を売っているわけにはいかない。
「さっきひったくり取り押さえるの手伝ったのに……?」
「へ?」
いきなりひったくりの時のことを話にだされ、戸惑うアイリス。
「君が倒れそうなところを助けたよな……?」
「………………」
とても嫌な予感が頭を過ったアイリス。さっさとこの場から去ろうと思い、思考を放棄して走り出そうとすると手を掴まれた。
「助けたわけだから……お礼が必要だよな……?」
ダラダラと冷や汗をかき、顔が真っ青になるのだった。
それからというものの、ほぼ強制的に頷くことになってしまったアイリス。しかし自分はこの町の住民ではないこと、そして目的地があってそこに向かっている最中と説明すると、それならこの町にいる間だけということになった。そしてアイリス自身これ以上変な事態にならないよう適当に返事をして一目散に逃げるように走ったのだった。
(どうしよう……本当に変なことになったな……早くこの町から出よう)
もう既に暗くなり始めていたが、この町から出られれば万事解決な為、足を進めた。
「あれ? あんたは……」
声をかけられ後ろを振り返ると婦人が一人立っていた。
「あ」
その婦人は昼間に助けた婦人だった。