寝取られた訳ではないが、苦しい
――キィイイイイ!!
「危ない!!」
甲高いタイヤのスリップ音、危険を知らせる叫び声。ネット小説でよく見かけるあれ――それがまさか自分の身に振りかかるとは思わなかった。
俺――鳴海修吾は信号を無視した車に跳ねられ、あっけなく死んでしまった。享年16才。
恐らく即死だったのだろう。不幸中の幸いと言っていいのか分からないが、死の直前まで痛みはなかった。
さて、問題なのはここからだ。
例によって異世界に転生できればよかったのだが、残念なことに、俺の魂はまだ現実世界に留まり続けている。
俺は幽霊になってしまったらしい。物を触ろうとしてもすり抜けてしまうし、人に話しかけても無視されてしまう。
正直どうすればいいのか分からない。成仏すべきなのだろうが、その方法が見当もつかない。
この世への未練を捨てればいいのは、何となくは分かる。だがどうやればいいのだろう。
俺には1つ、この世界に心残りがある。付き合い始めたばかりの恋人を1人ぼっちにしてしまったことだ。
彼女――比嘉雪江と俺の関係を、恋人という単語以外で言い表すなら、幼馴染というのが適切だろう。俺と雪江は幼稚園の時から交流がある。
雪江は寂しがり屋で、幼い頃は誰かが傍にいないとすぐに泣き出すような子だった。
でも俺は彼女のそんなところが大好きだった。俺が声を掛けると、花のような明るい笑顔を見せてくれたから。
雪江の様子が気になる。またぐずったりしていないだろうか……。
「うぉおおお!」
いきなり身体が宙に浮いた。そして何かに導かれるように、ある一点に向かって身体が吸い寄せられていく。
気が付いたら目の前に幼馴染がいた。どうやら幽霊というのは、誰かのことを案じるとその人の元へ引き寄せられるようだ。
「うぅ……しゅうくん……」
案の定、雪江は1人部屋で涙を流していた。しばらく外に出ていないのか、彼女の髪はボサボサで肌は荒れている。
「雪江……」
雪江は俺の声に気付かない。映画なんかでは、奇跡が起こって死者の姿が見えたり、会話したりできるものだが、現実はそんなに甘くない。
すぐ近くにいるのに、何もしてあげられないのがもどかしい。幼馴染には幸せになってもらいたい。俺のいない世界でも。
「傍にいるからな……」
心の中で恋人の人生の行く末を見守ることを決意する。
いつまでこの世にいられるかは分からないが、いられるだけいよう。彼女が幸せになるまで――。
★☆★☆★☆
雪江がまた学校に通い始めるようになったのは、俺が死んでから1週間ほど経ってからだった。
だが、まだ完全には立ち直れてはいないようだ。授業中も、昼休みも彼女は1人席で俯いている。
クラスメイトも幼馴染のことを腫れ物扱いして、彼女に話しかけることはない。
復帰した直後は、仲の良い友人が声を掛けることもあったのだが、雪江は彼女達との会話を拒んだ。そのせいで、幼馴染は今、教室で孤立している。
「比嘉さん、元気だして」
そんな中でもめげずに彼女を慰めようとしている男がいた。俺と雪江の中学時代からの友人――小松学だ。
「ほっといてよ!!」
学は恋人の俺ほどではないにしろ、雪江の性格をよく知っている。彼女の拒絶の言葉が本心ではないことに気付いているようだ。
雪江は本当は嬉しいのだろう。彼女はいつも学のことを突き放すのに、その後は彼の姿をチラチラと見ている。
学がいてくれて助かった。彼がいなければ、誰も幼馴染のことを気に掛けなかったかもしれない。
「比嘉さん、気分転換に土曜日どこかに遊びに行こうよ」
「わかった……」
「お、言ったね。約束だからね」
「わかったってば……」
49日が過ぎた辺りになると、雪江は次第に学に心を開くようになった。
皆彼女を見放している中で、親身になってくれるのは学だけ。彼女からしたら、彼は唯一頼れる存在だ。
「今日は楽しかったね」
「うん……」
幼馴染が遊びに行けるようになるまで、回復したことは嬉しかった。だが、その一方で俺の内心は複雑だった。
学と雪江は2人きりで遊ぶのだ。他の友達は連れていかない。見方を変えればこれはデートと言っていい。
「きゃー! 何これ? めっちゃ可愛い!」
「え、どれどれ?」
いつの間にか幼馴染と学の遊び――デート――の回数は、俺と付き合っていた頃より多くなっていた。
それに比例して、雪江が学に笑顔を見せることも増えていった。
――――。
何だろう。まるで彼女にフラれ、他の男とイチャイチャしているところを見せつけられているような気分だ。
雪江が楽しい人生を送っている――それはいいことのはずなのに、心の中で鬱屈とした思いが蓄積していくのを感じる。
恋人の気持ちが自分から離れ、学に惹かれつつある。その状況をどう受け止めればいいのだろう……。
「比嘉さん……いや、雪江。キスしてもいいかな?」
「…………いいよ」
ああ……。もうダメだ。耐えられない。
正直に言おう。俺は幼馴染に俺だけをずっと好きでいてほしかった。
死者がそう思うのは傲慢なのかもしれない。でもだからって、こんな……。
「ありがとう学くん。なんか私吹っ切れたみたい。いつまでもウジウジしてたら、しゅうくんも安心できないもんね」
「ああ。修吾もきっと、今の雪江を見て喜んでるよ」
嘘をつくな。俺は喜んでなんかいない。
悔しいよ。雪江のファーストキスの相手がお前だなんて。俺と雪江のことをさんざん、「熱いねぇ~、お2人さん」だなんてからかってたくせに。
俺だって雪江と付き合うまで苦労したんだ。幼馴染に告白したら、関係が壊れたりしないか不安で、ずっと悩んでたんだ。
やっとの思いで雪江の彼氏になれたんだよ。なんで雪江の隣にいるのが、俺じゃなくてお前なんだよ……。
「こんなことしておいて、今さらなんだけど……雪江、俺と付き合ってくれ」
「うん、こちらこそよろしくお願いします」
2人は俺の気持ちなど無視して付き合い始めた。
時が経つに連れ、雪江と学は深い関係になっていく。
雪江の中の俺との思い出が、学との思い出で上書きされていくのが目に見えて分かった。彼女の口から俺の名前が出る回数も少なくなっていった。
そして――。
「学くん、今日ね、親が家にいないの。だから……」
「え? それって……」
最悪だ……。いくらなんでもこれはない。
そこから先の行為に察しが付かないほど、俺はガキじゃない。そしてそれを割り切れるほど大人でもない。
全く、神様は意地悪だ。こんなものを見せるくらいならとっととあの世に送ってほしかった。
寝取られた訳ではないが、苦しい……。
わかっている。俺のいない世界で、雪江が幸せになることは願ったのは俺自身。でもどうしようもなく、モヤモヤする。
ああ、そうか。俺の本当の願いは、雪江に幸せになってもらうことじゃなく、俺の手で雪江を幸せにすることだったんだ。
「…………」
急に意識が薄れていく。
俺はこれからあの世にいくのだろう。今になって成仏するということは、この世――雪江への未練が断ち切れたということなのか。
何年後になるのか分からないが、もし雪江が俺と同じ死者になったならば、学と俺、彼女はどちらを選ぶのだろう。
ははははは、そんなのどうでもいいか。雪江はもう、学の恋人なんだから。間違いなく、幼馴染は俺のことは選ばない。
最後まで読んでいただきありがとうございました。