プロローグ
田辺黒鉄は殺人鬼だ。9人くらい殺したが、世間からは一般人と認識されている。目撃者を作らず、死体を発見できないよう処理をすれば、そもそも事件にならないからだ。彼の殺した人々は、年間でけっこう存在する行方不明者の一人として数えられていた。その「行方不明者」には、人間では田辺しか知らないことだが、指が一本なくなっているという共通点があった。その指は田辺の自宅にある筆箱にしまわれていて、なぜ死体から指を切り取ったかというと、可哀そうだからだ。行方不明者が行方不明になろうとなるまいと、社会は気にすることなく回る。人間の一人など、たとえ悲しむそぶりは見せても、代替のきく小さな安い部品でしかないからだ。社会が民を殺さないのは人気取りでしかない。殺して金に換えてもいい状況になれば――例えば戦争が始まれば、爆弾として気軽にポイポイ使うようになるものだ。そんな死んでも生きてもどうでもいい一個人という扱いがどことなく気に入らなくて、せめて殺した田辺自身くらいはその個が個であった存在を認めようと考えた結果だった。
さて、田辺が人を殺すのは、特別強靭な主義主張があるとかではなく、少々おかしくなってしまったからだった。
彼はブラック企業に勤めていた。社員を洗脳して「応援」という形で自主的な残業をさせて残業時間と残業代を削る会社だった。それを取り締まるべき労基は、下請けに過大なノルマを押し付けて利益を吸い上げ問題になれば尻尾切りすることで自身だけは余裕のあるホワイトを気取っている大きな企業と癒着した政権によって予算を削られ、法と手段を制限され、人事まで掌握され、大きな企業が満足する程度にはお飾りだった。おかげで違法に社員をこき使って吸い上げた利益よりも、発覚した時の罰金のほうが遥かに安いというありさまで、利益効率至上主義の商業ではブラックが蔓延するのは必然であった。だって違法なことをしたほうが儲かる制度なんだもの。
ある日、田辺は三日間徹夜させられた。倒れると疲労をポンととる怪しい薬で無理やり回復させられた。余談ではあるが、カフェインは疲労の感覚を麻痺させるだけで回復させる機能はないので、カフェインに頼ると後で疲労が利子を付けて返ってくる。二日目までは正気を保っていられたが、三日目になると職場の先輩はトイレの換気口に入り込もうともがいて倒れたり(もちろん倒れても救急車は呼ばれなかった、会社の問題は軽い方が良いからだ)上司がすでに終わっている仕事についてなんども怒鳴って確認してきたり(上司は失敗してもしなくても理不尽かつ不機嫌に部下にあたりちらすが、彼の給料は安く、彼もまた上の人間から搾取されて歪んだ被害者でもあるのだ)して、大変に限界だった。
そのとき田辺は思った。この上司の歪みは二度と戻らない。戻らないなら殺すしかない。人を不幸にする人間を殺そう。
最初の4人の標的は歪んでしまったブラック企業の上司や役員ら。田辺が務めていた会社ではない、まったく無関係の会社だ。田辺の会社の上司は殺されなかった。なぜなら、足がつくからだ。苦しみは平等なのだから、私怨を優先して殺人を少ない数で終わらせる意味はない。救われる人間の数は同じなのだから、殺しても捕まりにくい歪んだ人間から殺すべきだ。
次の3人は死にたがっているブラック企業の従業員だった。(3人とも殺されるときには、かえって納得したような、殺人を受け入れるような顔をしていた)。
最後の2人は、正義っぽい理由に沿って殺人をしている自分自身が気に入らず、何の理由もなく殺した。
これで、田辺黒鉄はまったく悪の殺人鬼になった。そして9人目からの帰り道、夜間の狭い住宅街で法定速度を超過していたトラックにはねられて死んだ。殺人のために上下黒い服を着ていたせいで、視認されずに容易にはねられた(死にたくないなら夜間に黒い服を着るのはやめよう)。余談だが、トラックの運転手もまたブラックなノルマを課されて急いでいる途中だったのだ。遅れれば会社から延々いびられて昇進のチャンスを削られるのであった。