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ジゴクノコトバ

作者: ススムスズキ


「ヤスノリ君、明日臨時で来てくれよ」


ああ……

店長からの電話。

明日はバイトだ。

憂鬱だ。

ヤスノリ、ピーンチ。


彼は頭をかきむしり狼狽した。こんな時、人は眠りながら考えるのが普通だが、この男の場合はその様な器用な人間ではない。どれだけ不器用かというと、ついこの間まで、自分の名前を「イエヤス」と認識していたほどだ。


嗚呼、どうしよう。明日の支度をしたらめっちゃ疲れてしまう。起きてカバンに店の制服を入れるのはとんでもない労力だ。だがしなければバイトは出来ない。いっその事、ホームレスにでもなってしまおうか。それとも、銀河皇帝にでもなって世界を滅ぼそうか。いやそんな事は普通の人間では到底あり得ない。銀河皇帝になるのは、自分を夜の闇に包んで一瞬でシワクチャじいさんになる能力がないといけない。ホームレスだって、ホームレス税を払わなきゃいけないと、嘘つき男爵と呼ばれている友人から聞いた。


その様な熟考の末、彼はある決断をした。


仮眠だ。今から8時間後に起きて支度をしよう。


その様な事を思いついた後、8時間のかりそめの眠りにつくべく布団に身を包んだ。




1時間後。


眠ると眠らないの切り替わりの瞬間を感じ、ビクッと痙攣した。ああ、これが世に言うレム睡眠というものか。心地いい。ああ、心地いい。ああ、心地……


「ヤスノリくん……朝の…………」


眠りの扉が開く直前で、彼の脳裏をよぎったのは、どこかで聞いたことのある言葉だった。


「朝の…涼しい……」




はっ!


布団から上半身を跳ね上げた寝ぼけ山寝ぼけ之助の、幽かな過去の記憶。


朝の、涼しい……?


どこかで聞いたフレーズ。

懐かしいフレーズ。


枕の圧力で跳ねた頭髪をぼりぼり掻き、考えつつしばらくぼやけた視界を見つめていた。しかし、これといった答えもなかったので、再び身を倒した。


それからどれだけ時が経っただろうか。正解は1時間。当たった方はどれぐらいいるだろうか。


「ヤスノリ、朝の……涼しい…………を」


飛び起きた!


またあの言葉だ。


何だ……何かの曲だろうか。いや、小説か。


スマホを開き、音楽のプレイリストを親指でスクロールさせながら見る。本棚やCDラックも注意深く凝視して、1つ1つのタイトルやフレーズをざっと脳内スクロールする。しかしどこにも思い出せる要素はない。


三たび眠る。

そうして彼はレム睡眠の扉を開き、本格的な眠りの世界へと旅立った。




懐かしい部屋。

広い部屋。

何十もの木の机と椅子が五目状に並んでいる。

机の横に色とりどりのランドセルがかかっている。

机の数だけ子供が座り、僕はその中の1人だ。


黒板をバックに20代後半ぐらいの女性が語りかける。

何だ。

オーニシ先生じゃないか。

学校じゃないか。


下敷きをうちわにして自分を扇ぐ者。フェイスタオルで汗を拭く者。脱力して腕を垂らす者。横から暑い日差しが差し込み、セミの声が静かに響く教室で、彼らは先生の話を聞いていた。


「えー、これから夏休みに入ります。夏休み、楽しみなひとー」

オーニシ先生は挙手を促したが、手を上げたのは5〜6人ぐらいだった。

「何だァ楽しくないの?楽しくないのかー?」

小学校時代の記憶だ。先生は淡々と話を続ける。


「だから、宿題は、朝の涼しいうちにやるのが一番です」


そうか!

これだ。

夏休み前に先生に言われる定番のセリフだ。

少しづつ思い出してきた。

この後の出来事は……まだちょっと思い出せない。


しかし、この言葉はいつ聞いてもハラワタが煮えくり返る。何が朝の涼しいうちにだ。女の先生だからって何でも許されると思うなよ。




学期末で早い放課後。

ランドセルを背負い帰宅準備。


「ヤスノリくん」

後ろからの突然の声に振り向く。


立っていたのは、クラスで1、2を争う美少女、アヤカ。

肩まで長い黒髪にはつやがあり、チョコレートの様な大きく丸い瞳。男子たちの憧れの的で、密かにファンクラブまで作られているほどのアイドル的存在。


しかしヤスノリは、クラスではコヨミという少女が好きだった。

ツインテール(前髪以外の髪を両サイドに集めてゴムなどで束ねた髪型)に、ヨウカンを思わせる垂れ目。これが本物のコヨミだ。アヤカのほうは、みんな美少女美少女いうが、中途半端に老けてる印象しかない。なので、この万人向け美少女に呼ばれても、特にどうということはなく、いきなりで驚いたとしか思わなかった。しかし、その瞬間、何か嫌な予感がした。これから起こる出来事に本能が震えるようだ。


「な、何?」

振り向いた設定小学生の青年は噛んだ。


「ヤスノリくん……」

「…………」


額から汗が滴り落ちる。

瞳孔が開く。

両手が震えている。


俺はこの後の地獄の言葉を知っている。

ああ、

やめろ、

お願いだ、

やめてくれ。




「宿題は、朝の涼しいうちにやろうね」




あー!

これだ!

これだよ!

地獄の言葉!

聞いちゃった!

聞いてしまった!

俺はもう終わりだ!

もう先生が言ったろ!

何もかも地獄に落ちる!

あーーーーーーーーーー!


急に悲しくなって、顔を伏せて教室から走り出した。


おのれ。

これがクラスのアイドルの正体だったのだ。貴様の言う通りになどなるものか。誰が朝の涼しいうちに勉強などするものか。この老け顔アイドルめ。二度と俺にそんな残酷な命令をするな。走りながら腕で隠した顔は、もう涙と汗でぐちゃぐちゃだった。ボイスレコーダーを持っていればよかった。そうすれば、今のセリフを録音して、みんなに聞かせて、貴様を地獄へ落とせるのに。死なば諸共だ。


彼にとって、その勉強法は微妙に面倒くさいものだった。彼は何となく二度寝をしてしまう。それだけではない。彼の苦手教科は算数。それにつけて今年の夏休みの宿題は、算数のドリルが少しだけ多めなのだ。その事があって、朝の勉強は彼の心を深く傷つけるのだ。


「おい、どうしたんだよヤスノリ」

走り続ける彼を呼び止めたのはシンタローとソウジのサッカー好きコンビだった。


「宿題は朝の涼しいうちにやれよ?な?」


あーーーーーーーーーー!

聞いてしまった。

またもや聞いてしまった。

自分は一体何者なのだ。

設定小学生の幼くなった脳髄に、なおさら残酷に響き渡る「朝の涼しいうちに宿題をやれよ」の言葉。


俺はこの後の展開を知っている。完全に思い出したぞ。


そう思った頃には、彼らはバリケードのように立ちはだかっていた。

クラスの半分ぐらいだろうか。そそくさと帰って行った者以外の全員がジリジリと寄ってくる。そうだ、この記憶だ。ゾンビ映画のような吐き気を覚える光景。


「ヤスノリ」

「宿題は、朝の涼しいうちにやれよ」

「私たちはちゃんとやるわよね」

「あたりめえじゃん」

「朝のうちに宿題やろうよ、ヤスノリ」

「ヤスノリ」

「ヤスノリ」

「宿題」

「やろうよ、宿題をよ」

「ヤスノリ」


彼らは歩みを止めることなく、少しづつ歩み寄る。


おい……嘘だろ?

嘘つき男爵、うんこマン、岩石女、ゴミクズ……

俺たち、友達だろ……

みんな、どうしたんだ?

ああ、やめろ。

やめてくれ。


次の瞬間、彼にとって最大の地獄がやって来た。


「ヤスノリくん、朝の涼しいうちに宿題やろうね?」


徒党の中にコヨミがいた。

可愛いコヨミ。ツインテールにヨウカンの瞳。これが本物のコヨミ。その本物が、事もあろうに朝の宿題の話をする。これが地獄でなくて何であろうか。空から女神にカラスの糞を落とされたようだ。俺にとっての本物の美少女コヨミが、奴らに洗脳されてしまった悲しみと悔しさ。


彼らの下卑た視線を避けながら、つかもうとする無数の腕を振り払う。

もがき、あがき、何とか四つん這いになりながらも這いずって逃げだした。


殺される。

このままでは殺される。

宿題の朝に殺される。

ついでに昼や夕方や夜にもにも殺されてしまう。

俺は誰だ。

正解はヤスノリでした。

パンパカパーン。

誰か助けてくれ。

俺はヤスノリ。

本物のヤスノリなんだ!

誰が宿題などするか!

貴様らの政治的陰謀には乗らないぞ。

二度寝させろ。

ネットサーフィンもさせろ。

ゴロゴロしてお菓子も食いたいんだ。

俺は勉強したくない。

俺は宿題をやりたくない。

早く逃げさせろ。

俺を逃げさせろ。

パンパカパンパンパンパカパンパン

パンパカパンパンパンパカパンパン

パンパカパンパンパンパカパンパンパーン。

あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!




覚めた。

思い切り布団から跳ね飛び、パジャマから皮膚まで汗まみれだった。

小学生時代の嫌な記憶が、そのまま夢に出てきた。


早いうちに支度をしろという事か。

予知夢ってやつだ。


彼がカバンに手を伸ばした次の瞬間。


その向こうのデッドスペースに、何かが浮かび上がる。


見覚えのある顔。

二人の、可愛らしい子供の顔。顔立ちの整った黒髪の少女と、ツインテールのつぶらな少女。子供の目で見た老け顔アイドルも、大人フィルターのかかった今の目で見ると美少女だ。なるほど、この顔にみんな騙されていたのか。あ、けっこう俺、この状況で余裕あるじゃん。それに初恋の女も、相変わらず麗しい。顔とか姿がどうというよりは、本能的に麗しいよ。俺のために来てくれたんだろうか。




アヤカ、

コヨミ。


「ヤスノリくん、私のこと、いつもみんなの前で「老け顔」って呼んでたよね。いいあだ名付けてくれてありがとね」

「私が生理で悩んでたのを、どこから聞いたか知らないけど……その日から私の事「タンポン」って呼んでたし……」


そして、引きかけた汗が、再び全身を包んだ。




「ヤスノリくん、宿題は、朝の涼しいうちにやろうね」




イエヤスの姿をみた者は、その後誰もいない。

ただ、念願叶ってバイトに行かずに済んだ事は確かである。




終わり

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