#2 陸上部入部
「三枝!部活はもう決めたか?」
クラスメートとも慣れ親しんで来たこの頃。この学校の方針である、全生徒部活動に入る規則。がやたら耳に入って来る。
「決めてるんだけど、まだ、届け出してないんだよ」
葵の下敷きの間に挟み込まれている、一枚の入部届けの紙。
「どれどれ?」
始業式以来、出席番号も近いし席も近いため、このクラスで一番仲の良くなった、清水洋之はその紙を覗き込んだ。
「陸上部〜?」
意外そうに語尾を伸ばしながら、葵の顔と見比べていた。
「んだよ?」
「文化部かと思ったんだけどな」
「オレがか?そんな柄じゃないよ。前の学校でも陸上部だったんだ。やっば、気心の知れている部活が良いかと思ってね」
下敷きをトントンと鳴らしながら答える。
「で、どう?この学校の陸上部は?」
その問いに、
「うちの陸上部は、何てったって、マネージャーが最高だぜ!」
「は?」
「部活自体は、結構ハードにやつてるみたいだけど、マネージャーのあの笑顔のためなら、どんな苦難でも乗り越えてみせるとみんな必死にやってるよ。オレも、間近で見た時は、感激したよなあ」
そこで遠い目をしてみせる清水の顔は全く間が抜けていた。
「あのな。マネージャーったって、男だろ?んなもん、嬉しくも何ともないじゃないか!」
肘ヅエを付いて、呆れ顔で清水を見た。
「外から来た者には解らないかも知れないけど、小学校からこの学校にいるオレ達にしてみれば、嬉しいもんなんだよこれが!」
所詮、他所者?何だか府に落ちない気もしたが、話を合わせてみる。
「へえ?で?」
「この学校の理事長の子供なんだけど、小学校の時に100メートルで高校生レベルの記録を出したんだよ、でも心臓が悪いらしくって、その記録一回だけを残し、今じゃマネージャーとして陸上部に所属。まさに、伝説の風のランナーと言われているよ」
伝説の風のランナー?
「でも、あの人には、都筑さんって言うれっきとした彼氏がいるから、誰も言い寄ったりはしないんだけどね。うん。お似含いだし」
これには参った。彼氏って一体?
「せいぜい頑張れよ。毎年マネージャー目当てに入る奴ら多いらしいけど、練習はきついらしいから!」
一方的にそんな事言われても、さっぱり解らない。
「へえ…で、そのマネージャーってなんて人なの?」
別段気にする事もなかったのだが、葵は問いかけてみた。
「柳瀬瑞樹、三年生だよ」
「柳瀬瑞樹?」
どこかで聞いた事のあるような。ふと頭を過ぎる、その名前に心当たりがあるのだが思い出せない。
「確か、弟かいるんだよな…憐のクラスに……兄貴とは違って物静かな奴だけど、違う魅力があるからって密かに人気があるぜ。そうそう、陸上部員のはずだから、お近づきのしるしに、いっそその入部届け渡したら?まだ休み時聞あるし丁度良いんでない?」
一体どう言う学校なんだ?葵の反応はいたって拒否を示しているのに、清水は葵の腕を引っ張って、隣のクラスへと引き連れて行ったのである。
「ほらあそこ!」
そう言いながら、後ろの開いたドアから一人の青年を指す。
「あの、窓際の机に一人で座ってる!」
遠目で見る限りでは良く解らないが、黒髪を後ろに一つに束ねた青年が一人席についている。
こんな休み時間に独り黙々と読書に勤しんでいる辺り、真面目な奴なんだろうなと解る。
「ちょっと悪いんだけど、柳瀬瀕君呼んでくれないか?」
行動に移すのが早いのか、清水は近くにいる青年に声を掛けている。
一瞬、ざわめきが起きる、何なんだこのざわめきは?それに一斉に視線が自分に注がれている事に気付き、葵は身じろぐしかできなかった。
「はい。柳瀬だけど?」
こちらに向かって来るその姿を見て、葵は驚きの余り、目を見開いた。
まさかこんな所で、再会するなんて…
あの時の記憶はまだ残っていた。
どんなに色裾せようとあの白い肌に、黒目がちの瞳。まさしく彼の者であった。
遠くを望むその瞳の先に一体何を見ていたのだろうか?あの時の感覚が今でも一つ一つ思い出す事ができる。
そんな固まっている葵の様子に清水は気付く事もなく、
「陸上部に入部希望の奴がいたから連れて来たんだ。ほれ、三枝!」
肘で突く清水に気付いて葵は手に持っていた入部届けを手渡そうとした時、
「入部?ふ一ん。君も、瑞樹目当てなの?」
とんでもない言葉が耳に飛び込んで来た。
「え?」
度胆を抜かれた葵は、慌てて何かを話そうとするのだが、言葉が出てこない。代わりに、
「ああ、こいつ。前の学校で陸上部だったんだって。全員部活制だから、陸上部に決めたんだってよ」
「そう……何やってたの?」
まだ、疑いの目は有るものの、さっきまでの感情を押し殺した言い方は薄らいだ。
「オレ、ハイジャンプをやってたんだ。背はハイジャンプやるには低い方だけど、そこそこ飛べる方だとは思うよ」
アピールする必要性が有るだろうと、ちょっと付け足してみた。
「分かったよ。それじゃ放課後、ボクのクラスに来てくれるかな?一緒に部室を案内してあげるよ」
幽かだが、一隅微笑んだのが葵の目に焼き付いた。笑った?そう思うと、胸がズキンと締め付けられるような妙な気持ちに陥る。
そこで、休み時間の終了のベルが鳴り、二人は自分のクラスに戻ることなった。
その後の授業は、葵の落ち着かない意識の中で足早に時間を刻んで行ったのである。
「あの……名前、何て言うの?」
放課後、賑やかな部活動が始まる中、葵と柳瀬は渡り廊下を歩いていた。
「柳瀬聖樹」
物静かなのか、自分から話し掛ける事をしないのか、沈黙したまま黙々と歩いているのが耐え切れず、その間をうめる為に、葵は問いかけたのである。
「オレ、三枝葵。柳瀬君は、陸上で何の種目をやっているの?」
ちらりと横を伺ってみる。
「聖樹でいいよ。瑞樹と間違わられるの嫌だから……100メートルだよ」
簡潔な答えで、味気ないなとは思ったものの、一つ引っ掛かる事があった。でもこの時はそのまま受け流してしまった。
「じゃあ、オレの事も葵と呼んでもらったほうが良いんだけど?名宇って何だか嘘寒いんだよね」
その言葉に、少し考えているようでは有ったが、
「分かった」
一言言うと、そのまま部室まで一言も交わさずに黙々と歩いたのである。
部室は、使われなくなった校舎を部室用に改築したシンプルなつくりの教室であった。
「今日から新しく入った、三枝葵君だよ」
部室に通されると、周りの部員に聞こえるかのように、軽く聖樹のロから紹介を得た。
「あっ、忍!これ、入部届けね」
手前に有るロッカーの裏に足を運んだ聖樹は、ポケットに入れていた入部届けを、その忍という部員に手渡した。
「!?」
その瞬間、葵は頭を殴られた気分に陥った。
「葵、この人が部長の都筑忍さんだよ」
葵より頭一つ半大きい体格のその者は、思い出したくもない、始業式に胸ぐらを掴まれそうになったあの男ではないか。
「君は……」
一瞬、大きく目を見開いて驚いた様子の忍は近くに有る椅子にドカッと腰を下ろした。
「あの時は、失礼致しました」
深々と頭を下げる葵。
「いやいや、取込み中だったから、気にしなくて良いよ。こちらも悪かったな」
片足を組み、その上に肘を付きながら、不適に笑うその姿が無気味で、ちょっと苦笑いしてしまった。
「何?知り合い?」
聖樹は葵と忍を見比べながら問う。
「まあ、ちょっとしたな。で、種目は?」
本題に入ろうとする忍。
「ハイジャンプです」
「おっと、参ったな。ライバル登場か?」
ニヤニヤ笑いながら忍は葵を見上げる。
「え?」
解らずに素頓狂な声をあげる葵に、
「忍もハイジャンプなんだよ。これからは共に競い合わないといけないね」
競い合うったって、この体格の違いを見れば一目瞭然ではないかと周りの者達は密かに笑っていた。しかし、
「部長!お互いに頑張りましょう!」
葵は正直負けず嫌いであった。その言葉に、楽しいやつだなと言わんばかりで、
「楽しみにしてるぜ!ルーキー」
立ち上がりながら、忍は葵の肩に手を乗せて一発ポンと叩く。
「さて、時間も少なくならない内に、着替えた者はさっさと校庭に出て準備しろ!」
部長らしい威厳の有る態度で、一、二年生達を急がせる。
「今日は、見学して行くと良い。あ……そう言えば、瑞樹のやつまだ来てないのか?あいつ…」
その時ハッとした。
柳瀬瑞樹の名前が誰を意味するのか。この時思い出したのである。あの時の、ド派手な金髪が目の前を通り過ぎたからであった。
「あっこら!瑞樹!何をしてたんだ!授業はとっくに終わっているだろう。終わったらさっさと部室に来い!」
瑞樹に駆け寄ると忍は直ぐさま説教を垂れはじめる。
「ごめんごめん。寝過ごしちゃった」
愛想笑いなのか何なのか?瑞樹はニコニコと笑っている。
「笑うな!ったく……あ、新入部員が入ったんだ。名簿作り替えておいてくれよな」
「新入部員?…君はあの時の!また会えたね!」
駆け寄って、葵の手を握ると上下にブンブン振る。そんな葵は、やっぱり…と言う表情でげんなりしていた。
「瑞樹の知り合いなの?」
面白く無さげに、聖樹は横で見ている。
「助けてもらったんだよ。なっ!」
惜し気も無く元気に笑っているこの瑞樹の表情を見ていると、勢いに乗せられると言うか、
「そうなんですかね?」
葵は肯定するしか無かった。その様子に一瞬細い目をした聖樹は、
「早いとこ着替えないと」
スッと後ろを振リ向き、裏のロッカーへと消えて行った。
「さて、オレも行くかな。瑞樹、三枝のロッカーあてがっておけよ!まだ開いてるロッカー有ると思うから」
言い残すとさっさと部室を後にする忍であった。
「ほ一い。さてと、聖樹!ロッカーだけど確か、聖樹の隣が空いてたよな?」
すかさず裏に回る瑞樹。そしてその後を着いて行く葵。
「空いてるよ」
葵は思わず、着替え中の聖樹を見て、目を逸らせてしまった。
「んじゃ、ここ使ってくれるかな?一年生同士だし、気が合うだろう?」
葵の方を見て気を利かせたかのような素振りの瑞樹だったので、
「そうですね。そうさせて頂きま……」
「瑞樹の隣の方が良いんじゃ無い?お知り合いなんだし!」
突如遮るかのように、言い放つ聖樹。何でこんな態度を取るのか解らない葵は絶句した。
「聖樹?オレのロッカールームの隣は詰まってるの。いちいちお前の言い分通してロッカー替えなんて出来ないだろ?」
「……」
いきなり黙り込む聖樹を無視したかのように、
「さてと、じゃあここは葵君、キミが使ってね」
「あ…はい」
まるで、兄弟の権力争いのような感じが一気に吹き飛んでしまったかのようだ。
「分かったよ。じゃあ、よろしく」
すかさず、そう言うと聖樹は部室を後にした。残された葵と瑞樹はその後ろ姿を見送っていた。
「これで良かったんですか?何だか心落ち着かないんですけど……オレ、嫌われてるのでは…」
ロッカーに荷物を入れながら落ち込んだかのように肩を落としながら葵は問いかける。
「いつもの事だよ。気にしないでくれないかい?ああやって、つっかかってくるだけまだ良い方だから……大体、板ばさみになるのだけはごめんだって、あれ程言っているのにな……」
「え?何ですって?」
最後の方が聞き取れなくて、問い返した。
「ううん。何でも無いよ……」
兄弟だからなのか?あの遠い目をする所はそっくりだ。と、ふと葵はその時思った。
放課後の部活は日が短くなって来た今日も続く。葵が入部して早一ヶ月が経とうとしていた。