飽和する異和
窓から射し込む朝日が僕の顔にかかる
赤なのか白なのか曖昧な癖に主張だけは嫌に過激。まるで僕
無理矢理に意識を覚醒させられる不快さ
無理に意識して起きなければならない不自由さ
なににも変え難い二つを咀嚼しながら起き上がる
半分くらいの僕がいつもと変わらない朝を再生しようとしているのを感じる。もう半分の僕はまだ布団の中だ。そのせいだろうか、ドアを開けてすぐのところの階段でいつもけつまづきそうになる。危うく大惨事だ。
けれど、この「いつも」のおかげで僕の意識は完全に覚醒する。やはりもう半分の僕もいつも通りの朝を再生しようとしているようだ。
洗面台で顔を洗う。季節柄か水がえらく冷たい。手の先が赤くじんじんしている。
ふと、顔を挙げると自分の顔が鏡に映った。まだ水滴が頬を滑っている。泡も生え際の所にまだ付いていた。
でも彼の目には入ってはいない。彼の目には唯、自分の「瞳」だけが映っていた。
瞳
「赤」でも「橙」でも「黄」でも「緑」でも「青」でも「藍」でも「紫」でも、ましてや「黒」でもない
「瞳」
透き通っていて、そして透き通っていた
色を表すのに透明というのは適切なのだろうか、と彼はよく考える
ガラスを見て、水溜まりをみて、雨粒を見て、びいどろを見て、おはじきを見て、クラゲを見て、脱皮した蛇の皮を見て、空を見上げて、海を見つけて、
「光」を見て、「瞳」を見て。
考えていた
透明というのは色なのだろうか、と。
そしてその度にこう思った
完全に透明なモノなんてあるはずがない、きっとどこか濁っているはずだ、きっとなにかがあるはずだ、何にも変えられな「ナニ」かが。そうでなければ、そうでなければ、
そうでなければ?
そうでなければなんだと言うのだ
馬鹿馬鹿しい思考を中断して、顔に残っていた泡を落とす
いつもそこで中断される思考を思って少し嫌な気分になる
洗面台の形に沿って、螺旋状に落ちていく泡と水
なにか大切なものが落ちていくような感覚がして、でもなにが大事なのかはよく分からなかった
あれだけ冷たかった水もいつの間にかもう無くなっていた
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焦げ目のついたトースト、少し固すぎる黄身の目玉焼き、焼きすぎて割れたソーセージ、それに重い色をした珈琲が加わる
いかにも前時代的な食事の代名詞、嫌いになれない僕の朝の一つだ
トーストを頬張りながらテレビをつける。この伝達手段も今ではかなり古臭いものとなってしまった。あれだけあったチャンネルも今は国営放送の一つしかない
小綺麗に整ったスーツに身を包んだアナウンサーとキャスターが画面に現れた地図を指さす、天気予報のコーナーのようだ
「......えー、そうですね。都市部は昨日に引き続き晴れ模様が続きますが、まだ風が冷たいので......」
昨日?昨日に引き続きだって?
冗談にしてはあまりにもきまってるじゃないか!
昨日どころか一昨日だって、その前だって「晴れ」に決まってるし、明日だって明後日だって「晴れ」続けるに決まってる。勿論、それからもずっとだ
トーストが僕の手の中で潰れていた、それを見て衝動的な怒りが通り過ぎたのに気づく
少しだけ申し訳ない気持ちになった
馬鹿なキャスターの話は続く
「......そうですね、雲は多くないですね。その代わりルクス光度があまり強くありません、日中でも最高で2を超えることはないので光を結ぶ時はくれぐれも慎重に行い強すぎる混合色、特色、尖......」
テレビを消す
僕にはどうでもいい情報、けれど情報は僕のような者や黒字にも等並みに訪れる。なんの嫌がらせだろうか
少しシワのついたパンを口に押し込む、目玉焼きもソーセージもめちゃくちゃに口に突っ込んだ。顎が外れそうだ。
よく噛んで、何度も噛んで、一緒くたの一つの塊になった所で珈琲を流し込む。ひどく重たい珈琲
柔らかい小麦粉の香りも
弾力のある黄身と白身も
ソーセージ特有の風味も
病的に苦い珈琲で全て押し流されてしまった、全て押し流してしまった。黒で、黒が塗りつぶして。
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家を出てから学校に着くまでの記憶が朧気
けれど、思い出される記憶の断片が頭をよぎるだけで何を考えていたのかがわかる不思議
例えば石油エネルギーで走るバス
例えばコンクリートや木造で作られた建造物
例えばおよそ頻繁に整備されているとは思えない住宅地の庭々
そんなものが各々の位置を探し出し、あるべき場所に収まっていく。記憶のジグソーパズル。出来あがった絵は不気味な前衛絵画のようで、胸がむかつくのを感じた
そんな中で一際大きく、一際目立つ位置に居座るピースを見つける。当校中からずっと、そして今も窓の外にデカデカと見えている鬱陶しいピース
絵画の真ん中なんて馬鹿らしい比喩にとどまらず、文字通りこの国の中心に、そして世界の中心に居座っているピース
目に収まりきらない球形、半径は小さな街が丸一個すっぽり入ってしまうくらい大きかったはずだ、それがいかにも当たり前然として空に浮かんでいる。中には都市が形成されていて、丁度スノードームのようになっている、らしい。知らない。ここからでは中まで見えないのだ。球の境界面がすりガラスのように曇っているからだ。いやに排他的で閉鎖的。
その球の周り、外周に綺麗な輪が二つ通っている。土星の輪をもう一つ余分にくっつけた形だろうか、それが交叉してゆっくりと回る。円と円が接合する幻想と校舎の窓ガラス。その二重写しがなんともいえず惨めだ
そういえば、あの悪趣味な輪っかは
「二重交叉」
と言うんだったか
他にも、
「光輪」
「円環」
なんて呼んでいるやつもいた気がする。よくもまあ、こんな恥ずかしい呼び方出来たものだ
けれど、呼び方は様々あって、地域次第ではかなり呼び方は変わるらしい。事実、他の国の報道なんかを見てみると思い、思い好きな表し方をしているのが分かる
あの馬鹿でかい浮遊都市自体を指す時は「クラスタ」と呼ぶんだったか、確か集合体という意味だ。全くなにも表せていない味気の無さが腹立たしい
例えば、例えば僕が気に入ってる呼び名は、
あれ、そういえばなんだったか?
とても気に入っていて、大事にしていたはずなのに
「ほら、席に着け。授業始めるぞ」
やる気のない担任の声、思いの外考え込んでいた事にハッとする
古めかしい紙のテキストを開く
なかなか癖のつかないそのページはなにかに反抗してるみたいで悲しくなった
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何事もなく終わっていく毎日、このことからも多分に僕以外の人間が僕の半分以上を占めていることがわかる
クラスを見渡すと三々五々、めいめい蜘蛛の子散らすように帰っていく
暗い顔と丸まった背、項垂れた頭と力ない足取り、そのくらいが彼らを表す全てだった。その中の一人としてまじる僕。僕の半分以上に僕が加わっていく。なんて馬鹿馬鹿しい思考
「色覚不全者」
正確にはそう呼ばれる、僕達を区別し差別する蔑称
「光」に色覚が反応せず「色」が発現しない無価値な者
一つが不十分であるが故に全てが不全と判断された者
生まれながらにしての落伍者、それが僕達だ
生活の端々が僕に、僕達にその事実を突きつけてくる
「クラスタ」もその一つだ
「光」で結ばれた虹彩都市、この国のおよそ半数以上の人間があの球体と輪の中で暮らしている
この世界とは別の法則で成り立つ世界で
またこの永遠に続く晴れ模様もその一つだ
人為的に作られた世界の人為的天候、「光」を手に入れるための恒久的リソース、この世界を成り立たせる第一要因
格差的なシンギュラリティを得た側にいる彼等はけれど、僕達を虐げはしなかった
唯、分けただけだ
分別
熊と人間が一緒に暮らせないように、熊のような力を持つ彼等人間は僕達を傷つけることを嫌ったのだ
異常だ
気持ち悪いとさえ思う
そして、徐々にそのことに気付きづらくなってきている
そんな鈍感な自分が最も異常だ
慣れてきているのだ
あの時、世界が変革した瞬間から
あの頃は僕にもありふれた、けれど暖かい幸せがあった
思い出すだけで優しく抱きしめたくなるようなそんな幸せが
そこまで考えてかぶりを振る、過去に思いを馳せてどうする
そんな後ろ向きな行為は惨めになるだけだ
後ろ向き?惨め?
未来に明るい展望を期待するのが前向きなのか?
力強く前を向くことが立派なのか?
お前には何も無いと否定されながら、それでも歩き続けることが大切なのか?
滑稽にも程がある
「色覚不全者」には「過去」も、「未来」も、
「今」すらないというのに
ピーン、ポーン
等間隔で鳴る無機質な電子音、いつの間にか駅の改札まで来ていた
むき出しの鉄骨とただ置かれただけの自動改札機
まばらな人影とプレハブの隅から生えだした植物
こんなものまで僕に現実を突きつけるのか
目の端から侵食していくさびに鉄骨はいつまで耐えられるだろうか
酸化していく鉄の匂いは電車が来るまで滞って消えなかった
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何気のない言葉や行動が心のささくれを穏やかにする時がある
僕にはそれが夜の街を歩き回ることだった
月光を背にして落とし込まれる闇の形を見つめ続けると、いつの間にか魂の半分がなにかの輪郭をはっきりさせる様な錯覚を覚える
そこにちらつく靄のようなちらつきを見つける度「これが良くないものの形か」と落ち着く
知っていたいのだ、見えていたいのだ
この少しばかりの明瞭を清潔な情念として留めていくことが今の僕にはなんとしても必要だった
その「問題」が解けるか解けないかなんてどうでもいい
ただ指針を待ち続けること、この場ではそれが生きているということだ
死んでいる街を歩くのは、僕にそれを気づかせてくれるだけの価値があった
足元の感覚から舗装された道に出たのがわかった
クラスタに通じる真っ直ぐな大通り、僕達が住む地域で舗装されてる道はここしかない
月明かりに照らされた道は薄い絹を延ばしたようで、彼岸から此方へ渡す橋に見える。球体の反面は鈍く妖しげ光り、もう反面は街に大きくな影を落とす。星の中にある星。そこに繋がる道は、そういう意味では天の川の方が比喩が正確かもしれない
真っ白な絹に落ちる僕の影はまるで醜悪なシミだ
初めは遠く揺らぎ、次第に輪郭がはっきりと落ち込んで、また遠くに逃げ出し曖昧になる。そんなことを繰り返すうち、僕ともまた建物とも違う影が掠めた
なぜだか人影のように思った
感傷的になりすぎているのだろうか
こんな時間に、いやこんな場所には犬、猫だって珍しいのに
目を向けて、
暫くして、
ぎょっとした
1人の少女を背景として影が蠢いていた
影
誰の影か、なんて自問するのは判然としすぎていて、あまりにも馬鹿馬鹿しいことで、その為に僕は「暫く」なんていうとてつもないタイムラグを要したわけで
つまりは彼女を中心として歪んでいたのは誰のものでもない
僕の影だった
僕の影だけが拡がり、ぼやけ、曖昧になっていた。
シーツに零した珈琲の水滴のように
『.....よる.....しじん.....ね。』
彼女の口が動いたために発声しているのがわかった
そして、未だに自分の脳が十全に働いていなのを感じる。知覚するための機能がどこかに置き去りにされていた
彼女は小首を傾げて、こちらに近づいてくる。同時に僕の影が裂かれ、裂いた側から辺りに散らばりだす。あまり気持ちのいい光景じゃない。
丁度半歩先位のところまで近付いてきて、
『夜は人を詩人にさせますね。』
ともう一度、多分同じ台詞を言った。
ああ、と漸くそこで気付く。
もしかしたら彼女は僕と同じ人間じゃないのかもしれない。同じ人間と思うには彼女はあまりにも
「あまりにも白くて、白過ぎた」。
知覚を取り戻した頭が光景を正確に捉え始める
けれど、矢張り僕の知覚はこの時この場においてお呼びのお客様ではなかったようで、
言葉を言い切ると同時に、
彼女は、
糸が切れた人形のように、
ふわりと、
その場に崩れ落ちた
僕の知覚はあたりに霧散して散らばっていた影はまた輪郭をはっきりとさせはじめた
辛うじて残った僕の理性が、
「糸」じゃなくて「意図」が切れたみたいだ、なんてつまらないことを考えていた。影はしっかりと一人分
その場に残っていた
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このあたりで僕と彼女との出会いは引きである
物語で言えば丁度イントロダクション終了だ
つまらない、そして間抜けた出会いではあったがそれなりに劇的ではあったと思っている。つまらないと言い切るには中身が詰まっていたし、間が抜けていると言うくらいにはやはり中身が詰まっていた。けれど劇的でドラマチックにすぎるかと言えば「なにか」が足りないようにも思えたのも事実だ。
彼女の言葉を借りるなら、そう
『夜は人を詩人にさせますね』だ。
補完されていた夜という状況が離れてしまえば、僕達の出会いはつまらなくて間が抜けていた。劇的というのはある種完成されて閉じられた世界における非日常だ。状況が本質を覆い隠し、錯覚を覚えさせる。
錯覚
構成され、埋められるピースが変わればその場には劇的が降って湧く
そうであるならばこの僕達の出会いは、錯覚はなにを構成するためのピースとなるのだろうか
その為に見えなくなるつまらなさや間抜けさはどこに消えていくのだろうか
僕は今はっきりと知覚出来ているだろうか?
薄ら寒い思いをしながらこの辺で前書きを終えよう
精々彼女の白さに目を潰さないよう祈りながら