病院
帰ってきた竜平くんと一緒に食卓につくと、不思議と食べ物が喉を通った。
竜平くんには不思議な力があるのかもと一瞬馬鹿なことを考えて、いかに自分が弱っていたかを自覚する。
誰かと一緒にいないと食欲がわかないなんて、どんなメンヘラよ。
なんとなく声に出すのは恥ずかしかったので、心の中でそっとありがとう、と呟いておいた。
一方、私の心境など知るよしもない竜平くんは、私が食べ終わるのを待ってからシャワーを浴びに行き、昨日の夜と同じように五分もしないうちに戻ってきた。
これは男女の性差なのか、それとも竜平くんが早いのか。異性と付き合った経験の無い私には分からない。
私は竜平くんの身支度から少し遅れて、最低限の化粧を終わらせた。
ていうか竜平くん、お風呂関連の挙動早すぎでしょ。
病院までは電車ではなくバスで向かう。
バス停まで歩くだけなのに、ずっと車道側をキープしていた竜平くんに私は軽く感動を覚えた。
「竜平くん、ワタシと付き合う前からそういうエスコートとかできたの?」
「あ? なわけねーだろ」
竜平くんは、私の何気ない質問をさらっと否定する。
「じゃあ付き合ってるうちに出来るようになったんだ」
「そ。お互いにな」
「ふぅん……」
お互いにってことは、ワタシも何か付き合ってるうちに出来るようになったことがあるってことだよね。
なんとなく竜平くんから言いたくなさそうなオーラが漂ってきてるから、聞かないでおこう。
バスに揺られること数駅。
病院前に到着したので、お金を払い、運転手さんにお礼を添えてから降りる。
私の後を追うように降りてきた竜平くんがちょっとにやけていたので、どうしたのと訊ねたのだけど適当にはぐらかされてしまった。
思い出し笑いか何かだろうか。
病院に入り、受付で問診票と体温計を受け取って、熱を測りながら必要事項を書き込んでいく。
症状についてどう書くべきか悩む私に、竜平くんから「昨日から記憶に違和感があるとか、そんなんで良いんじゃね」と助言が下った。
確かに、平行世界から来た確信がほしい、なんて間違っても書けないからそれが一番近いかもしれない。
ピピッと音を立てた体温計に表示されている数字が平熱なのも救いだと思った。
熱でもあったらそのせいにされて真剣に診てもらえない可能性が……あれ、逆に平常心で可笑しな事言ってると思われた方がやばい?
「い、異常者扱いされたらどうしよう」
「ばか。そうならないために俺がついてきたんだろ」
「竜平くん……」
むすっと唇を尖らせてそっぽを向いた竜平くんに、胸がじんわりと温かくなる。
なんて優しい子なんだろう、竜平くん。
竜平くんにとっての私は曲がりなりにも彼女と同一人物に当たるわけだから、大事にしてくれるのが普通なのかもしれないけど。
でも、普通の彼氏は彼女が変な事を言い出したら距離を置いたり怒ったりしそうだなと思ったし、何より竜平くんの献身ぶりは本当に温かくて、頭が下がる思いだ。
「ありがとう、竜平くん」
「んだよ、急にしおらしくなりやがって」
「言いたくなったから言わせて。ありがとう」
耳を赤くしている竜平くんに今朝言えなかった分もお礼を言って、受付に問診票と体温計を提出しに向かった。
「あの、これで大丈夫ですか?」
「……はい、大丈夫です。順番までしばらくお待ちください」
言われるがまま、竜平くんの元へUターンし、再度隣へと腰を下ろす。
「た、ただいま」
竜平くんの耳はまだ赤くて、少し照れ臭そうにしているけど私まで恥ずかしがったら収拾がつかない。
「……おかえり。つか、自分から言い出してドモってんじゃねーよ」
「ご、ごめん……。私、肩肘張りすぎだよねぇ」
「茶でも飲んで落ち着け」
「うん、そうしようかな……」
鞄から財布を出そうとすると、竜平くんの手によってそれを遮られた。
「いーよ、奢る」
「え、でも」
「いいから」
「じゃあ……」
私が竜平くんの厚意に甘えて小さいペットボトルのお茶を注文すると、満足そうに頷いた竜平くんは自動販売機へと向かっていった。
本当に、竜平くんは見た目によらず尽くすタイプなんだなと沁沁しながら宙を眺める。
竜平くんが好きなのはこの世界のワタシで、私ではないと分かっているから尚更申し訳ない気持ちにさせられる。
私が好きなのは佐藤先輩だから、重ねて申し訳ない。
竜平くんに優しくしてもらっていながら、頭のどこかで「佐藤先輩からこんな風に特別扱いされたら幸せすぎて溶けちゃうな」なんて考えているんだから、本当に私の業は深いなぁ。
こっちの世界の佐藤先輩は、もうすぐ深雪と結婚するのに……。
二つの世界が頭のなかでごちゃごちゃと入り組んでいるせいで、私の悩みは複雑化してしまったらしい。
ほんの一昨日まで、佐藤先輩ともっと親しくなるにはどうすれば良いんだろう、なんて悩みとも呼べないような簡単な悩みだったのに……。
「お待たせェ」
「おかえり、ありがとう」
隣にどっかり腰を下ろした竜平くんからお茶のミニボトルを受け取ってお礼を言うと、竜平くんはこのくらいなんでもないとばかりに手をヒラヒラさせた。
それだけのやりとりなのに、胸がほんのり温かくなるのを自覚する。
やっぱり、竜平くんは優しい。
「中原柚子さん、三番診察室へお入り下さい」
和んでいるところに名前を呼ばれ、ハッとする。
緊張しまくりの私とは対照的に、竜平くんは「お、やっとか」なんて言いながら立ち上がった。
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「特に異常は見当たりませんね」
「そうですか」
「詳しい検査の結果は後日改めてお伝えさせていただきますが、恐らくそちらも問題はないでしょう」
先生の言葉に、私はホッと息をついた。
主に竜平くんが無理を言って色々と検査をしてもらった結果、外科的に見て私はどこもおかしくしていないらしい。
「もしかするとストレスなどが原因かもしれませんので、あまり気になられるようでしたらそちらで検査を受けてみるのも一つの手かなと思います」
「ストレス、ですか?」
「ええ。真面目な方なんかは特に、ご自身や周りも気付かないうちにストレスをためているかもしれませんから。……その、あくまでも可能性の話ですが」
先生が苦笑いをしたので竜平くんの顔を見ると、目に見えて不機嫌そうだった。
「あ、えっと……ありがとうございました。本当に親身になって下さって……」
「い、いえ」
「ありがとうございました」
私が頭を下げると、竜平くんも難しい顔のまま先生に頭を下げる。
……ん?
もしかするとこれは不機嫌な顔じゃなくて考え事をしてる顔?
竜平くん、顔が怖いから真顔なだけで結構迫力があるんだよね。
私も実際に初対面で殺されることを覚悟したくらいだし。
なんて考え事をしながら診察室を出て、受付でお金を払い外に出ると、もう軽くお昼を過ぎていた。
病院を出たのにずっと怖い顔……もとい、考え事をしている竜平くんを下から見上げていると、結構なラグがあってようやく目が合った。
「おわッ! ……何見てんだよ」
あからさまに動揺している竜平くんがあんまり可笑いから、私の複雑化した悩みも影を潜めてしまったらしい。
頭に異常がないと分かってから、私はやっぱり平行世界から来たんだという確証が強くなったおかげもあるけど、今は自分の事より竜平くんの心配をする余裕がある。
「もしかして竜平くん、自分の事責めてる?」
「……」
黙り込んだ竜平くんに苦笑いを返して、私は病院前のバス停ベンチに腰を下ろした。
「それって、私が平行世界から来たって言ってるのを信じてないってこと?」
「……そういうわけじゃ、ねぇけど」
竜平くんの気持ちは、控え目にだけど分かるつもりだ。
私だって、『もしかしたら今まで佐藤先輩と深雪が付き合い始めたこととかを受け入れたくなくて自己防衛のために脳が記憶を改竄していたのかもしれない』って、考えなかった訳じゃない。
だけど、竜平くんのお陰でそれはあり得ないなと結論付けることができた。
こんなに優しくて出来た彼氏がいるのに他の男の人に目移りして記憶を改竄とか……当事者の視点に立ってみて「ないな」と鼻で笑える。
「竜平くんは浮気とかしたの?」
「は?」
「竜平くんは一昨日までのワタシに、裏切るようなことした?」
「ねェよ、絶対。これからもねェ。誓ってもいい」
竜平くんの返事を聞く限り、私の考えは間違ってないだろう。
「だったら、ワタシが竜平くん相手にストレスを溜めることはないと思うよ。自分で言うのもなんだけど、かなり我儘な内弁慶でしょ、ワタシ」
「……さんきゅ」
気が晴れたのか、私の隣に座った竜平くんはちょっとにやけていた。
年相応な感じで可愛かったから、お昼ご飯は私が奢ってあげよう。