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緩やかな懐柔

 


 翌朝。

 いつも通りスマホのアラームで目が覚めると、私は布団の誘惑を振り切ってリビングへ向かった。


 そういえば、今日は病院へ行くんだったっけ。

 寝ぼけた頭でぼんやり今日やることを思い浮かべながら、電気ケトルのスイッチを入れようとしたところでそれが熱を持っていることに気がついた。


 あれ、もう沸いてる。

 いったい誰が……?


 リビングを見渡すと、綺麗に畳まれた一組の布団と、脱ぎ散らかした男物のパジャマが残っている。



 ああ、そうだ。

 私、平行世界に来てたんだっけ。



 思い出すと同時に、言い表しようのない不安が私を襲った。

 これはきっと、帰り方が分からないことへの不安と、一日経っても事態が好転しなかったことへの不安だろう。


 朝から物凄く嫌な気分。

 そういえば、竜平くんは何処に行ったんだろう?


 トイレにも浴室にも見当たらない。

 キッチンにはベーコンエッグとトーストが一人ぶん用意されているというのに。


 もしかして、これ私の分?


 確信が持てないものを無断で食べるのは竜平くんに申し訳無かったので、先に洗顔と歯磨きを済ませる。


 竜平くん、走りにでも行ってるのかな。


 なんとなくベランダへ視線を移すと、そこには洗濯物が干されていた。


 ああ、竜平くんが干してくれたんだ。

 本当にできた人だなぁ、年下なのに私よりしっかりしてる。

 私のシャツもシワひとつなく干されて――。


「……ん!?」


 慌ててベランダに出て、干されている洗濯物の中に私の下着がないかどうかを確認する。

 もしあったら恥ずかしすぎて無理!

 お願い、触ってませんように……!


 私の願いが時空を越えて竜平くんに届いたのか、竜平くんが先回りのプロなのか。

 干してある洗濯物の中に私の下着はなかった。


「え、じゃあ洗濯機の中ってこと?」


 竜平くんが帰ってくる前に干してしまわねば、と急いで洗濯機の元へ駆けつけると、洗濯機に付箋が貼られていることに気が付いた。

 さっき顔を洗ったときにはちっとも目に入らなかったから、いかに私が寝ぼけていたかを自覚して恥ずかしくなる。

 良かった、竜平くんが出掛けてて。


 付箋には雑な字で『オレが走りに行ってる間に見えないとこに干せ。終わったら電話して』と電話番号が記載されている。


 ……うーん。

 竜平くん、気遣いのプロだね。

 本当に良くできた子だ。二つ下だなんて思えない。


 私はありがたく洗濯機の中から下着の入ったネットを取り出すと、再びベランダに出て、外からも中からも見えないようにそれらを干した。

 予め干す場所を残しておいてくれたあたり、同棲したての頃にこの手の問題は経験済みなのかもしれない。

 私のことだから、たぶん……いや、かなりの高確率で恥ずかしがったことだろう。




 ▽▼▽▼▽▼




 私は電話を掛ける前にパジャマから着替えて、付箋に書いてある番号を携帯に登録した。

 竜平くんの苗字……なんだったっけ。

 あ、そうだ、坂口だ。


 登録してからメッセージアプリで検索をかけてみると、すぐに竜平くんを見つけることができた。

 よし、電話を掛けたら友達申請しておこう。


『……もしもし』


 通話の文字をタップして数秒待つと、すぐに発信音が途切れて竜平くんの声が聞こえてきた。


「もしもし、おはよう。柚子です」


『おー。オハヨォ』


 受話器の向こうからは、風のノイズと小さな息遣いが聞こえる。

 きっと今も走っている最中なんだろう。


『干し終わったァ?』


「無事干し終わりました。お気遣い痛み入ります……」


 電話越しだから見えないのは分かってるんだけど、なんとなく竜平くんの気遣いに敬意を表したくて物凄く深いお辞儀をしておいた。


『ハッ! 俺のこと、少しは見直しただろ』


「うん、昨日から見直しっぱなしだよ」


『飯は? 食った?』


「んーん、まだ。なんとなく一人で食べる気にならなくて」


『フーン』


 それから数秒の間があって、私の竜平くんのイメージからは程遠い、戸惑いと遠慮が透けて見える声色で『俺と一緒なら食えんの?』と聞かれた。


 たったそれだけなのに、なんだか妙に落ち着かない気持ちになる。


 どう返事をしようか困ったけれど、多分竜平くんが目の前にいてくれたら昨日のように私を安心させてくれるような気がしたので、小さな声で「うん」と答えた。


『は? なに? 聞こえねーよ』


 意地悪ではなく本当に聞こえなかった様子の竜平くんに「帰ってきて」と言う時には、さっきの変な恥ずかしさと擽ったさは消えていた。

 さっきの変な恥ずかしさは、何だったんだろう。

 今まであんな風にドキドキしたことなんて、私、ないんだけど。


 今日病院で検査してもらうのは、頭だけに限らない方が良いかもしれない。


『……すぐ帰る』


「うん、分かっ……え、あれ。切れちゃった」


 もしかして余計な心配させちゃったかな。

 だとしたら申し訳ないな。


 ……ていうか、今更だけど竜平くんの掠れた声にドキッとした自分がいたぞ。

 電話越しだと耳元にダイレクトに声が届くから、そのせいかもしれない。

 そういえば年が近い男の人と電話したのって竜平くんが初めてかも?


 落ち着かない気持ちはきっと平行世界にいるからで、竜平くんに照れてしまうのは私の経験不足によるものだって頭では分かっているんだけど、慣れない。

 慣れないので、早くこれが解消されるように、帰り方が分かればいいな。


 あと、早く病院の検査で異常無しってわかりますように。

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