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胃袋を掴まれる

 


「……ンな話、簡単に信じられっかよ」


 今朝から私の身に起こった出来事と平行世界へ来てしまったのではないかという仮説を男に話したら、予想通り信じられないと言われた。


 私が話終えるまで静かに相槌をうちながら聞いてくれただけでもありがたいと思うべきだろうか。


「私だって信じたくないですけど、私に彼氏なんて居ないはずで……深雪だって、こっちの深雪より向こうの深雪の方が好きだし……佐藤先輩も……」


 そうだ、私は程良くふくよかで癒し系の深雪が好きだった。

 外見なんて気にせずに、好きなことを好きなだけやるっていう生き方が。

 それに、深雪といると安心できた。

 痩せてることイコール可愛いことじゃないって、深雪が体現してたから。


 だから、私は自分の容姿に引け目を感じずに佐藤先輩が好きだと打ち明けられたし、この気持ちを諦めずにいられたんだ。


「うう、佐藤先輩……っ」


 今になって、深雪と佐藤先輩が幸せそうに並んでいたショックが蘇ってきた。

 佐藤先輩、大好きなのに、大好きなのに。


 本気で泣きはじめた私を前に困惑していた男は、私が鼻をかみはじめた辺りからイライラしている様子を見せる。

 けど、私の涙は止まらない。


 今日だけでどれだけ怖くて心細くてショックな思いをしたことか。

 これは体験した人にしか分からないに決まってる。


 元の場所に戻りたい。

 元の世界に帰りたい。

 大好きな深雪に会って、美味しいものを食べながら話をして癒されたい。


「……っだぁああもォォ!」


 とうとう堪忍袋の緒が切れたらしい男は、自分の髪をぐしゃぐしゃかきまぜると、踞ったまま動かなくなってしまった。


「……あ、あの……」


 控えめに声をかけても無言のまま踞っている男を見て、私はハッとした。

 私、さっきからこの人に対して結構無神経なこと言ってた気がする……いや、言ってた。

 いくら私の身に覚えがないとはいえ、仮にもこっちの世界のワタシの彼氏を前に他の男の人の名前を呼びながら泣くなんて……。


 流石に申し訳なくなって再度声をかけようとしたら、男はゆっくり顔をあげて鋭い眼光を私に向けてきた。


「ご、ごめんなさ……」


「とりあえず一旦この話は置いとく。続きは飯食ってからだ。お前、泣くと腹減んだろ。オレは腹減ってっとイライラすっから。あれだ、一石二鳥ってやつ」


 怒らせてしまったんだと猛省していたのにあっさり話の腰を折られて、ちょっと気が抜けてしまった。


「お気持ちは嬉しいんですけど……今は食欲ないんで、いいです」


 お腹は減っているけど、何も食べたくない。

 ていうかこんな精神状態で食欲がある方がおかしいと思う。


「あ? ざけんなコラ、お前がリクエストしたんだから責任もって食え」


「は、はぁ? 私がリクエストしたわけじゃ……」


「何か文句あんのか、ああ?」


 怖っ。

 今更だけどこの男絶対元ヤンだわ。

 ていうかリクエストしたの私じゃないから責任とか取れるわけないし!


「だから、その……私は私であってワタシではないというか……」


 怖いけどごにょごにょ言い訳をしていたら、思いっきり舌打ちされて心臓が縮み上がった。


「ゴチャゴチャうるっせーなァ……」


 やばい、今度こそ本当に怒らせてしまった。


 私の顔にゆっくり伸びてくる男の掌が怖くて、固く目を閉じて痛みに備える。

 けれど暴力を振るわれることはなく、ただ目尻と頬を優しく撫でられただけだった。


「つべこべ言わずに食えよ。好きだろ、ふわとろのオムライス」


 ……あれ?

 もしかして今、涙を拭いてくれた……?


 ていうか、ふわとろのオムライスって私の大好物なんですけど。


「返事は!」


「た、食べます! 好きです、オムライス!」


 ときめいたような気がしたのも、この男が涙を拭いてくれたような気がしたのも、全部吹き飛んだ。

 だって怖いんだもん、この人の言動。




 ▽▼▽▼




 目の前に座る人相の悪い男の作ったオムライスは、ふわっとろの卵が乗ったデミグラスソースの絶品オムライスだった。


 ちょっとこの男を見直したのは言うまでもない。

 こっちの世界のワタシは間違いなくこの男に胃袋を掴まれている。

 知らない男とひとつ屋根の下なんて無理だと思っていたけど、ちょっとアリかもしれないと思うくらいには私も胃袋を掴まれてしまった。


「ごちそうさまでした」


「ん、お粗末サマ」


 お腹が一杯になったところで、そういえば名前をまだ聞いていなかった事に思い至った。


「……あの、本当に申し訳ないんですど、名前を教えてもらってもいいでしょうか……。その、本当に分からないので……」


 申し訳無さで平身低頭になりながら訪ねると、男はほんの少し複雑そうに顔を歪めたが、一応納得してくれたらしく口を開いた。


「坂口 竜平、歳は二十一。庭代大学の経済学部四回生。他に何聞きたい?」


「えっと、こっちの世界のワタシとはどういう関係ですか?」


「成人した男女が一緒に住んでて苗字別だったらフツー同棲中の恋人以外にねーだろ。ルームシェアとかくだらねェ現実逃避してンじゃねーぞ」


「スミマセン……。えっと、ちなみに付き合ってる期間って……」


「一年七ヶ月。同棲は再来月で一年」


 なるほど。

 こっちの世界のワタシ、佐藤先輩と出会う前にこの人と付き合ったんだ。

 それなら納得できる。

 再来月で同棲一年ってことは、同棲をはじめたのは私がここに引っ越した時ってことかな。


 付き合い始めたのは私が今の会社に内定をもらった時期と重なる。

 入社前から彼氏がいたなら、佐藤先輩に目移りなんかしないかも。


 佐藤先輩に失恋して自棄で付き合ったとか、ものすごく失礼なこと考えてた自分が恥ずかしい。


「そうなんですか……。えっと、坂口くんは今バイトとかしてるんですか?」


「は? 当たり前だろ。女にばっか金払わせられっかよ。つか、坂口くんとかキメーからやめろ。あと敬語。同じ顔と声でそォいう……他人行儀にされんの結構キツイ。せめて名前で呼べ」


「あ、ごめんなさい」


 坂口くん……もとい竜平くんは、ワタシの事が本当に好きだったらしい。


 ワタシが食べたいと言ったからオムライスを作って帰りを待っていたし、ワタシが体調を崩していると思ったから、お風呂掃除も洗濯物も代わりにやってくれて……。


 オムライスを食べるのが私だった事を申し訳なく思うくらいには、竜平くんはワタシのために尽くしてくれていた。


「べつに謝んなくていいけど、マジで信じらんねェ……。ホントに頭打ったりしてねーの?」


「してないけど、一応病院で検査はするつもりです……だよ」


「いつ」


「……明日」


「分かった。俺も付き添う」


「え、でも授業は?」


「行ったって心配でろくに頭入んねーよ……」


 小さな声でボソッと呟いた竜平くんは拗ねたような顔をしていて、思わず息を飲む。

 さっきまであんなに威圧的で怖かったのに、こんな一面もあるんだ……。

 竜平くんって、もしかして私が思ってる以上に優しくて純粋だったりするのかな。


 竜平くんの印象は、第一印象からは想像もつかないほど変わっていた。

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