柚子の日常
初めての投稿作品ですので、至らない点などあるかと存じます。
絹ごし豆腐メンタルなため、優しく教えていただけると幸いです。
万一不愉快になられた方がおられましたら、申し訳ございません。
好きなものをこれでもかと詰め込んでいるので、こんな男いねーよ! と思われる可能性しか感じません……
ストックが切れるまでは毎日更新する予定です。
季節は春。
会社近くにある可愛い喫茶店で、私は特別仲が良い同僚の谷口深雪とケーキを食べていた。
去年の新入社員研修の時に意気投合した私と深雪は、予定が合うと決まって何処かでお喋りしながら甘いものとお茶を嗜んでいる。
話題はその日によりけりで、何気ない世間話から真剣な恋ばなまでどんな話にも花を咲かせた。
「聞いてよ深雪、佐藤先輩が今月付けで別部署になっちゃうんだって」
私が深い溜め息と共に言葉を吐き出すと、同僚の深雪は一瞬ぎょっとして、それから訝しげに「エイプリルフール?」と訊ねてきた。
そういえば世間ではそんなものもやっていた気がする。
嘘だったらどれだけ良いかと思いながら、私は力なく首を振った。
「なんか、佐藤先輩は出世株らしくって、経験積ませるための移動らしいの」
今日の話題は世間話に聞こえるかもしれないけど、私の中では真剣な恋ばなにあたる。
私が入社当時から片想いしていた先輩が、キャリアアップのため移動になったのだ。
佐藤先輩とは、各部署のお局様からナチュラル宝塚、リアル少女漫画との賛辞を一身に受ける我が会社のアイドルである。
爽やかで明るくて、目に見える男らしさはないけれど、物腰が柔らかくて紳士的な人だ。
とても素敵で、入社以来ずっと憧れている。
佐藤先輩から仕事を教わった時なんて、毎日がキラキラしてたなぁ。
憧れているだけで告白する勇気はないんだけど……それでもやっぱり、別の部署に移動して接点が持てなくなるのはショックが大きい。
「そんなに気を落とさないで、柚子。部署が変わっても、きっと何か接点はあるよ」
私の事を優しく慰めてくれる深雪は、社内でも癒し系で性格の良い子だと男女問わず評判である。
ふっくら丸みを帯びている彼女は、昨今の『可愛い子は皆痩せている』という風潮を軽く一蹴してしまえる魅力の持ち主だ。
よく食べ、よく働き、よく笑い、人の話には黙って耳を傾ける。
そんな深雪は上司から娘のように可愛がられ、先輩からは妹のように可愛がられ、同僚からの信頼も厚い。
とにかく、深雪には癒される。
キラキラした目で出された食事を見つめ、幸せいっぱいの表情で咀嚼したあと、「おいしい」と可愛い声で呟く彼女を食事に誘う人間は私を含め後を絶たない。
「そうかなぁ」
「そうだよ。私が佐藤先輩なら、部署が変わっても毎日話しかけたいくらい柚子は可愛いよ」
「深雪……」
キリッとした表情を作って拳を握る深雪は同性の私から見ても可愛い。
そんな深雪に可愛いと言ってもらえると、私も捨てたもんじゃないのかなと少しは前向きになれた。
そういえば、深雪からマイナスな事とか聞いたことないかもしれない。
もしかしたらそれも可愛さの一つ?
私も見習わなくちゃ。
友達の素敵なところはどんどん真似していくスタイルの私だよ。
「ありがとう、深雪。頑張って私からも先輩に話し掛けてみるよ」
「うん、応援してるね!」
その後も一頻りお茶とお菓子を楽しんで、外が薄暗くなってきたからそろそろお開きにしよう、とお会計を済ませて外に出た。
真冬の頃よりはいくらか日が長くなって気温も落ち着いてきたとはいえ、夕暮れはやっぱり少し冷え込むなぁ。
ストールだけではもの足りないくらいには風が冷たい。
昼間は少し汗ばむくらい暖かかったのに。
私は一度ストールを取り、脇に抱えていた薄手の上着にきちんと袖を通したところで深雪が今日のお昼に合わせた服装であることを思い出した。
「深雪、結構薄着だよね。 寒くない?」
「うーん、たぶん平気。電車に乗っちゃえば大丈夫」
私の問いかけに、深雪は苦笑いを返す。
どうやらそこそこ寒いらしい。
ほんと、今朝から午後にかけてはお昼寝したくなるほど良い気温だったのにね。
「これ使いなよ。明日返してくれれば良いから」
「えっ、いやいやいやいやいや! 柚子が風邪引いちゃうよ!」
私が大判のストールを差し出すと、深雪はあわあわしながら高速で手のひらを左右に振ってきた。
ちょっとウケる。そんなに慌てて遠慮しなくても、このくらいで風邪なんか引かないのに。
「風邪引きそうなのは深雪でしょ。見てるだけで寒いから」
「大丈夫だよ、私にはミートテックがあるもん。脂肪を燃焼して内側から発熱するんだよ、もうすっごい温かいの!」
「ぶはっ……、ちょっと面白かったけど、ダメ。誤魔化されません」
「うう、本当に借りて良いの? 柚子寒くないの?」
心配そうに私の顔色をうかがう深雪のふくよかな頬っぺたを両手で潰すように包み込むと、深雪から「柚子の手、あったかいんだね!」と感動された。
「でしょ? だから平気」
「じゃあ、ありがたく……あれっ? 柚子のストール良い匂いがする。なんだろ、柔軟剤?」
私のストールを羽織ってすぐにすんすんと鼻を鳴らしはじめた深雪に、私何か特別なことしたっけなぁと思考を巡らせる。
ていうか、自分じゃあんまり気付かないよね、匂いって。
あれ、匂いといえば一昨日くらいに佐藤先輩がそんなことを……。
「あ、それたぶんアロマキャンドルだ」
「ひえー、女子力!」
キラキラした目を向けてくる深雪に、少し後ろめたい気持ちになった。
純粋な女子力じゃなくて、下心満載の女子力だから。
「実はこの間、佐藤先輩が『近付いたときに良い香りのする女の子って、男としてはちょっと憧れますよね』って主任と恥ずかしそうに談笑してるの聞いちゃって」
苦笑いしながら正直に話すと、深雪は感心したように息を飲む。
「それは……、とてつもない破壊力だね」
「そうなの……! ってごめんね、寒いのに引き留めて」
そろそろ本当に解散しようと話を区切ると、深雪も姿勢を正した。
「いやいや、ストールありがとう」
「いいよ、また明日ね」
「うん、また明日」
この近隣に住んでいる深雪とは違い、私は駅へと向かわなくてはならない。
必然的に帰りが反対方向なので、お互いに振り返り手を振りながら別れた。
深雪と別れた後は、いつも少し寂しくなる。
こんなとき彼氏が家で待っていてくれたら、どんなに幸せだろうか。
もし佐藤先輩と付き合ったら……。
私はほんの少し思考を巡らせて、不可抗力により緩む頬を手で覆い隠した。