【3】
フェランディスが国境を接するハインツェル帝国から、花祭りの招待状が届いた。国王宛てだ。ベレンガリウスは一瞬イバンの巨躯が花祭りに参加している様子を思い浮かべ、違和感に笑い出しそうになった。
「貴様が行け」
「私ですか。王命であれば、謹んでお受けいたしますが、何ゆえ私なのですか」
ベレンガリウスが問うと、イバンはじろっと不遜な第二王子を睨んだ。
「クリストバルは負傷の身。サルバドールは帰ってこぬ。貴様が行くしかなかろう」
「なるほど。貴族を代理に立てる、と言うことはしないのですね」
「各国の王族が集まってくるのだぞ! わが国だけ貴族を差し向ければ、侮られるわ!」
結局、イバンの頭の中はそれなのである。ベレンガリウスは命令を拝命し、執務室に戻った。そして入ってきた瞬間目の前にあったローテーブルを蹴り飛ばした。
「くそっ。お前の妙な自尊心に付き合ってる場合じゃないっつーの! この忙しい時期に帝国送りとか、自分が行けや!」
そう叫んでベレンガリウスは両手に持った絵画を粉砕した。額縁まで真っ二つになり、それをヒセラが冷めた目で見ていた。
だが、一度キレれば冷静になるベレンガリウスだ。すぐに執務室にいたヒセラたちに指示を出しはじめた。
「帝国の花祭りに行くことになった。ひと月ほど留守にする。先に提出できるものはすべて出せ! できるだけ事務処理を終えてから行くぞ」
「は、はい!」
ディエゴが悲鳴を上げて手配しに行く。相変わらず不憫な男だ。ヒセラがリノと一緒にベレンガリウスが砕いた絵画を片づけながら尋ねた。
「いつ出発ですか」
「十日後だ。アミルとヒセラを連れて行く。ヒセラ、あとでアミルに伝えておいてくれ」
「承知しました」
「僕はお留守番ですね」
リノが微笑んでうなずいた。こいつ、ベレンガリウスの怒りを見ても全く動じない。ディエゴの小心さと比べると天と地ほどの差だ。足して割ればちょうどいいくらいなのに、とたまに思う。
十日後の出発までの間に、できるだけ仕事を片付け手引書を作っておかなければならない。ああ、面倒くさい。残っているイバンがやればいいのに。
苛立っているのが表情に出ていたのだろう。ヒセラがはちみつをたらした紅茶を出してきた。糖分をとれ、と言うことか。そう言えば、苛立つベレンガリウスに、エフラインも『カルシウムが足りない』だの『甘いものを食べろ』だのと言っていたのを思い出した。
「十日後か……フアンが帰ってくるか、微妙なところだな」
先日、クリストバルが目を覚ましたと言う情報がベレンガリウスにもたらされたので、そろそろデラロサ城塞に置いてきた不安が残っている第三部隊をひきつれて引き上げてくるはずだ。ベレンガリウスは自分のあとを託すのに、この従兄を最も信頼している。
「帰ってこなければ、僕がお伝えします。どちらにしろ、殿下がご不在の間にお戻りになられるでしょう」
「そうだね」
何となく、リノと話しているとほっこりしてくる。純朴そうな笑顔を浮かべてとどめを刺しにくるような少年だが、やや天然なだけであって、彼自身に悪気はない。
「それにしても、殿下が国外外交とは、珍しいですわね」
ヒセラが言った。ベレンガリウスは全く外交を行わないわけではない。しかし、担当するのは主に内政であり、国内を出ない。その双肩に国政がかかっているためだ。
なので、フェランディスを訪れた外交官の相手はするが、自ら外交官になることはなかったのである。諸外国に赴くのは、基本的に第一王子のクリストバルだった。と言っても、この第一王子に外交が向いているとは思っていない。実際、先方を怒らせて帰ってくることの方が多かった。そのしわ寄せはベレンガリウスに来るので、やっぱり自分が行けばよかった、と思うこともある。
最近では第三王子のサルバドールが外交官の役割を担うようになった。十八歳の彼は、クリストバルのように武勇に優れるわけでも、ベレンガリウスのように知略に優れるわけでもないが、温厚な性格で頭もよいので外交官にはうってつけである。現在、東の国に行っており、もうしばらく帰ってこない。サルバドールがいれば、ベレンガリウスが帝国に赴くことはなかっただろう。
「まあ仕方がないよ。たまには不在にして、私がいないときの弊害を見つけるのもよい」
「弊害しかない気がしますが」
「殿下が自分で何でもできちゃうから、後回しになってるんですよね」
ほら、やっぱりとどめを刺しに来たのはリノだった。事実だから反論できないけど。ヒセラが入れた紅茶を飲みながらベレンガリウスは苦笑を浮かべた。
「一人の技能に頼り過ぎなんだよ、もともと。行政改革が必要なんだ。私が生きているうちにやってしまいたいんだけどねぇ」
正確には、宮殿にいられる間に。今、ベレンガリウスはイバンの後継ぎの一人として見られ、宮殿に住まいがある。これを追い出されれば、行政改革などできなくなってしまう。かといって、この御仁に王になる気などさらさらないのだ。
「殿下が優秀であられるのは周知の事実です。帝国では問題に悩まされることなどないでしょう。ごゆるりと花祭りを満喫なさいませ」
ヒセラの言葉にベレンガリウスは乾いた笑い声をあげた。
「ははは。自国より他国の方がくつろげるってのも変な話だよね」
ベレンガリウスはそう言って紅茶を飲みほし、休憩は終わりとばかりに猛然と仕事を開始した。
△
ベレンガリウスとヒセラ、アミルカルの三人がハインツェル帝国へ出立する前日、滑り込みセーフでフアニートが戻ってきた。軍装をといてベレンガリウスの執務室を訪れた彼に、ベレンガリウスは忙しく歩き回りながら言った。
「ああ、お帰り、フアン。ぎりぎり間に合ったな」
「ああ……ただいま。というか、帝国に行くって本当なのか」
「本当だ。あとのことはフアンに任せていくから」
「まじか。やめてくれ」
ベレンガリウスの代理とか、苦労しかしない気がするのだろう。事実、その通りだが。
だが、フアニート一人に全権を預けてしまうようなベレンガリウスではない。ディエゴたち執政官にもいくらかの権限を与えて帝国に旅立つつもりだ。
「むしろ、俺も帝国について行きたい」
「駄目だ。フアンは留守番。五日後にはサルバドールたちが帰ってくる予定だから、ちゃんと報告受けといてよね」
「了解……ベガ、マジ容赦ない」
執務机に手をついてうなだれるフアニートだが、ベレンガリウスは血も涙もなく邪魔なこの従兄を蹴り飛ばした。
「手伝わないなら邪魔すんな」
明日に出発を控え、ベレンガリウスは忙しいのだ。帝国に行く準備はヒセラとリノに丸投げしている状態である。
「わかったわかった、手伝うから……とりあえず、デラロサ城塞の現状報告書ね」
「はい、そこに置いといて。あとで目を通す」
「了解。俺、こっちの山手伝うからな。つーかこれ、お前いなくなって国政が回るのか?」
「それは知らん。できるだけ早く帰ってくるつもりではあるけど」
そう言って腰かけたベレンガリウスはマグカップを手に取った。中にはコーヒーが入っている。何かと世話を焼いてくれるヒセラがいないのでセルフである。と言っても、ベレンガリウスは基本的に自分の世話は自分でできるタイプの王族だった。軍に身を置いていると、そう言うこともできるようになる。
「どうやって帝国に行くんだ? 陸路?」
「いや、海路だ。ロワリエとことを構えたばかりだぞ。さすがにロワリエの国境に近づくほど命知らずじゃないさ」
フェランディスから帝国に向かおうとすると、どうしてもロワリエとの国境に近づくことになる。つい数週間前までベレンガリウスはロワリエ軍と戦っていた。その国の国境に近づくなど、さすがにそこまでベレンガリウスはくそ度胸ではない。
幸いと言うか、フェランディスは大きな半島になっているから船で帝国へ向かうことも可能だった。風向きにもよるが、三日もあれば着くだろう。さすがに航行経験はないので正確なところがわからないのだが。
「船酔いには気をつけろよ」
「その辺は乗ってみないことにはわからないね」
ベレンガリウスは書類をそろえて決裁済みの箱に入れた。とりあえずひと段落ついたので背もたれにだらんと寄りかかる。そんなベレンガリウスに、フアニートは笑いかけた。
「お前も忙しいな」
「そう思うなら代わってくれ」
「そう思うから代わりたくないんだよ」
ははは、と朗らかに笑うフアニートをどつきたくなったベレンガリウスは近くにあったペンを投げつけた。フアニートの額に直撃する。
「ちょ、いてぇよ」
「それくらい避けろよ」
軽口の応酬である。それくらい気心が知れていると言うことでもある。
ベレンガリウスと言う王子は短気であると知られているが、基本的に人にあたることはない。主に物にあたる。そのため、部屋に置かれている調度品は壊れても懐が痛まない程度の金額のもので済ませている。そのため低く見られがちであるが、ベレンガリウスの調度品等に対する出費はかなりのものである。本人の私財から出ているので誰も文句は言わないが。ちなみに、帝国行きが決まった時に破壊した絵画はベレンガリウスが戯れにかいたものなので、むしろ額縁の方が高い。
一方で、フアニートには時々暴力を振るう。といってもせいぜい取っ組み合いの喧嘩をするくらいである。要するに子供レベルであるのだ。
とりあえず、二人は仲が良いのである。だから、仕事を押し付けられる。
「とにかく、私がいない間頼んだからな」
できるだけ急いで帰ってくるから! とベレンガリウス。どうやっても帝国行きは取り消せないので、フアニートはうなずくしかないのだが。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
やっと帝国に行きます。あの人とか、あの人が出てきます。