【2】
結構あれな会話をしています。ご注意ください。
「やあ、こんにちは。バルラガン伯爵」
ベレンガリウスに声をかけられた男性はびくっとした。三十代も半ばであるが、実年齢よりも若く見える男である。国王の近侍の一人であるバルラガン伯爵。彼はイバンのような武人ではなく文官である。しかし、イバンにとって都合の良いことしか言わないので気に入られていた。そんな男である。
「こ、れはベレンガリウス殿下……まさかこちらにいらっしゃるとは思わず」
「うん。ちょっと用事があってね」
しれっと言葉を返すベレンガリウスだ。
ここはベレンガリウスの執務室ではない。宰相の執務室だった。宰相のエフライン・マルケス公爵だ。五十をいくらか超えた年齢の彼は、イバンの学友でもあった。しかし、現在はベレンガリウスに協力してくれている。不思議な話である。
「エフラインに用があるんだろう? 私のことは気にせず、済ませてしまうといい」
ニコリと笑い、ベレンガリウスは言った。その笑みが裏があるように見えるから、バルラガン伯爵も真っ青である。実際、裏があるのだが。
「で、では……お言葉に甘えて」
バルラガン伯爵は宰相のエフラインに報告を始める。ベレンガリウスは優雅にティーカップを傾けて紅茶をすすった。ことり、とカップがソーサーに戻される。
「時にバルラガン伯爵。私もあなたに話があるんだ」
報告が終わったころを見計らって、ベレンガリウスは伯爵に声をかけた。「はあ」と間の抜けた返事をする彼に、ベレンガリウスは微笑みかける。
「実は、ここにいたのはあなたと話をするためでね」
本来なら、ベレンガリウスは自分の執務室でこなすべき政務が多数ある。だが、ここでバルラガン伯爵を待ち続け一時間半ほど過ごしているので、執政官たちは非難轟轟だろう。何でもベレンガリウスに頼り過ぎなのである。この体制を変えなければなぁと思いつつ、何とかなっているのでどうもしていない。ベレンガリウスが死んだり、いなくなったりした場合が大変だが、自分がいなくなった後のことなど知らん、という第二王子であった。
「なんでございましょうか」
国王側の人間であり、ベレンガリウスとは半ば敵対していると言っていいバルラガン伯爵だが、一応ベレンガリウスも王族なので、丁寧に接しざるを得ないのだ。
「伯爵。ここ五年ほど、領地からの税収が滞っているな。そう……あなたが爵位を継いだころからだ」
そこでぎくりと動揺を出すほど、バルラガン伯爵もわかりやすくはなかった。ベレンガリウスは微笑んだまま、親切心を装って尋ねる。
滞っていると言っても、まったくないわけではない。ただ、六年前以前に比べると、明らかに半減しているのだ。そして、それ以降はその状態を維持。
五年前は冷害が起きて国全体で食物等の生産量が落ちていた。だが、翌年にはある程度持ち直している。なのに、バルラガン伯爵領だけはその時の値を維持している。
冷害が起こった時、水害も発生した。冷たい雨が降り、作物がすべて枯れてしまったのだ。そして、灌漑を壊した。畑も田んぼも復旧していないのだろう。農民たちだけでは、復旧は難しい。
それだけではない。少なくとも五年前よりは収穫率は上がっているはずで、それでも税収が上がっていないと言うことは、誰かさんの懐にその差額分が入っている可能性が高かった。
だが、ベレンガリウスは直接ここを突くようなまねはしなかった。
「バルラガン伯爵領はもともと豊かな土地だ。復旧工事がうまく行っていないのなら、手を貸すが」
と、やはり親切心を装う腹黒い第二王子である。バルラガン伯爵は「いえっ」と声を裏返して首を左右に振った。
「い、いえ! 殿下の御手を煩わせるほどでは……!」
と答えると言うことは、やはり復旧に着手していなかったのか。馬鹿じゃないのか、こいつ、とは口に出さない。
「遠慮することはない。こっちのつごうだが、税収が元に戻ってもらわなければこちらが困るのだからな」
「い、いえいえいえいえ! 我等のみで何とかなりますので、はい!」
バルラガン伯爵は協力を拒否し続ける。ベレンガリウスは「そうか」と微笑むとほっとした様子を見せたバルラガン伯爵の胸ぐらをつかんだ。顔を引き寄せ、内緒話のようにささやいた。
「今から五年以内に結果を見せろ。冷害後すぐに着手していれば、今頃元に戻っていたはずの税収だ。いいか。成果が見えなくば、私はお前を社会的に抹殺する」
秀麗な顔の表情を消し、低い声で脅しをかけるベレンガリウスはたいそう恐ろしかった。この第二王子が恐れられるのは、短気であることとこの冷静に怒るときの恐ろしさだ。特に後者。キレただけならばこの御仁は人にあたる、と言うことをしないのだ。
「いいか。拒否は認めない。私が怒っている理由が、わからないお前ではないだろう?」
バルラガン伯爵が震えた。なんとなれば、先日、十歳のアドラシオン王女に夜這いをかけたのはこの男だった。第二王子ベレンガリウスの情報収集能力を侮ってもらっては困る。
ベレンガリウスはそのエメラルドの瞳を細めた。吐き捨てるように言う。
「私に出来ないと思っているのか? 何なら今すぐにやってやってもいいんだぞ」
そうなれば、お前は三日後には王都にいられなくなるだろうな、とベレンガリウスは酷薄に笑って見せた。バルラガン伯爵の顔色が蒼白を通り越して土気色になる。
「ぎょ、御意にございます……」
「よろしい」
ベレンガリウスは言質をとったとたんにバルラガン伯爵を解放した。座り直し、伯爵に言う。
「私は確かに怒っているが、お前は結構優秀だと思っている。お前なら五年でやってのけるだろうと思ったからこそ言っているんだ。頑張れよ」
秀麗な顔に華麗な笑みを乗せ、ベレンガリウスはとどめを刺した。バルラガン伯爵がふらふらと宰相室を出て行く。忘れているかもしれないが、ここは宰相室である。ベレンガリウスの執務室ではない。
「甘いですな、殿下」
宰相のエフラインが苦笑を浮かべながら言った。場所を貸してくれた彼に、ベレンガリウスは笑って「どこがだよ」と返した。
「容赦なく脅したと言うのに」
「五年も猶予をお与えになった。陛下なら、その場で切り捨てておいででしょう」
イバンの学友でもあったエフラインは、国王の苛烈な性格も知っていた。ベレンガリウスは肩をすくめる。
「表ざたにしたくはないからな。それに、バルラガン伯爵がなかなか優秀であるのは事実だ。彼なら復興もやり遂げるだろう。できる人物にはふさわしい仕事をやってもらわねば」
ベレンガリウスは毎年の予算を概算で出してもいるが、本当に、資金と言うものは大切なのである。このたびも出征があったが、それでいくらの支出があったのか、考えたくもない。いや、ベレンガリウスがやらなければ誰もやらないからやるけど!
「ああ……なんだかイライラしてきた」
額を押さえて言うと、エフラインは苦笑した。
「心にゆとりが足りないのでは? あまり根を詰め過ぎると、胃に穴が空きますよ」
「それ、シャレになってないからな」
すでに一度ならず三度ほど胃炎で倒れたことのあるベレンガリウスである。一度など胃潰瘍にまで進行して、血を吐いたこともあった。体は弱くないはずなのだが、ストレスのせいだろうか、やっぱり。
「そう言えば殿下」
「ん?」
「社会的に抹殺すると言っていましたが、具体的にどうなさるおつもりでしょう?」
エフラインが興味津々で聞いてくるので、ベレンガリウスも口角をあげて答えた。
「何。『バルラガン伯爵は幼女趣味である。その上手を出した娘の家族に襲われ不能になった』とでも噂を流してやるさ」
「……えげつないですな。その言葉、あなた様の麗しい唇から洩れたものだとは信じたくありません」
「いや、エフラインこそ何言ってんの。そんな言葉がお前の口から出たことの方が衝撃的だよ」
要するに、この二人、結構似た者同士であるのだ。
△
「ベレンガリウス!」
中庭に面した回廊を歩いていたベレンガリウスは国王イバンの襲撃を受けた。声を出していれば「ああん?」とでも言いそうな不機嫌面で振り返った。
「なんですか、陛下」
基本的に国王はベレンガリウスを無視しているので、声をかけてくるときはろくなことはないと学んでいる。というか、必要がなければベレンガリウスも話したくない。時間の無駄だ。仕事がたまっている。
「貴様、バルラガンに何を言った!」
「何の話ですか」
本気で分からなくて尋ねたのだが、イバンは「しらばっくれるな!」と怒声を上げる。
「バルラガンが辞表を置いて領地に帰りよったわ! 貴様が何か言ったのだろう!?」
おお、思ったより早いな、とベレンガリウスは思った。話をしたのは二日前だ。二日の間に覚悟を決めて領地に戻って復旧を行うことにしたのだろう。自分の影響力もなかなかである。
「領地の話を少し下だけです。バルラガン伯爵領はここ最近、実りが良くないようなので」
「そう言うことではないわ!」
イバンの声が馬鹿でかいので、遠巻きにちらちらと見られているのがわかる。
「貴様、バルラガンにやめるよう言ったのではないか!? ギジェンの時はかばった貴様が、バルラガンを罷免するとは!」
「……はっきりさせておきますが」
ベレンガリウスはすっと目を細めて真正面からイバンを見上げた。
「バルラガン伯爵は私が罷免したわけではありません。自ら辞表を提出し、領地に去ったのです」
「同じことであろう!?」
「いいえ。まったく違います。バルラガン伯爵は自ら去りました。ギジェン侯爵は陛下の言いがかりと思い込みにより、無理やりやめさせられそうになっていたのです。まったく違います」
「貴様! 不敬罪であるぞ!」
「そうですか。では、何の罰が与えられるのでしょう? 死刑になるのなら、一思いに殺していただきたいのですが」
どこまでも不遜であった。ここは、人目が多い。ベレンガリウスを怒りに任せて殺せば、たちまち噂は広まり、イバンの名は地に落ちるだろう。さらに、内政はすでにベレンガリウスがほぼ掌握している。ここでこの不遜な王子を殺せば、フェランディスにとって大きな損害になる。
「……二度はないと思え!」
「陛下こそ、もう少し気を長くもたれてください」
背を向けてずんずん進んでいくイバンの背中にかけたベレンガリウスの言葉に、成り行きを見ていた官僚たちは思った。
お前には言われたくない、と。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ベレンガリウスはいつもキレているので怒ってもみんな、またか、ってなります。逆にいうと、本気で怒っていても気づかれないので、気づいたら相手が再起不能になってる、とかありそうです。