【5】
信号弾はその名の通り合図を送るための銃弾である。通常の銃を改良し、これまでの太鼓や笛などにかわり、戦場の合図となっている。今のところ、煙か一発の花火しか打ち上げられないが、音は戦場であまり聞こえないので、かなりわかりやすくなった。
その合図が上がった。森の中であるが、高いところに上がったのでベレンガリウスも確認できた。馬首を返し、剣を抜いた。一番近くにいたロワリエ兵を切り捨てる。
身軽な格好のベレンガリウスともう一人、フアニートの手にかかって追ってきたロワリエ兵は全員地に伏した。
「インファンテ伯爵!」
森の中のロワリエ軍を突破し、森の前面で戦っているインファンテ伯爵に声をかける。彼は「うぉっ。殿下!」と驚きの声をあげた。まあ、あれだけの敵兵の中を突っ込んできて怪我すらしていなかったら驚くか。
「アミルが敵将を捕らえたようだ。一気にたたみかける」
「……了解です」
自分の主であるクリストバルが手間取った相手を、たった一時間程度で負かしてしまいそうなベレンガリウスに、インファンテ伯爵は複雑そうだった。
ベレンガリウスは再び後方にさがる。新たな指示が届かない上に、自分たちの指揮官が敵につかまったなどと言う話が広がる。軍人たちの間に不安が広がりきったころ、ベレンガリウスは提案した。
「私も行こうか。敵の指揮官に会いたい」
「……」
ベレンガリウスの身辺警護をしていた軍人は何か言いたそうだったが、結局何も言わなかった。いさめてもこの人は飛び出していく人だ、とわかっているのである。
剣を抜き、ベレンガリウスは乱戦の中を突っ切って行った。どうでもないが、この第二王子は戦場を突っ切って行くことが多い。もちろん、その方が速いからだ。
「アミル!」
「はい! って、殿下!?」
アミルカルがすぐそばまで来ていたベレンガリウスに驚きの声を上げる。ベレンガリウスは馬をとめると、血の付いた剣をふって刃のしずくをふりおとした。
「で、敵の指揮官ってのは?」
「あいつです」
とアミルカルはフェランディス軍に捕らえられている男を示した。なかなか見目の良い青年である。ロワリエ軍が掲げていた旗印で何となくわかっていたが、やはり王族……というか、王の親類だった。
「ラパラ公爵セザールだね。ロワリエ王の妹の夫だ」
「……」
ラパラ公爵は答えなかった。ベレンガリウスはニヤッと笑い、叫んだ。
「ロワリエ軍よ! ラパラ公爵はフェランディス軍が捕らえた! ただちに剣をおさめよ!」
ベレンガリウスの言葉には、威厳があった。アミルカルが率いていたフェランディス軍はもともとベレンガリウスの配下なので、心得たとばかりにすぐさま剣を引く。それを見た他のフェランディス軍も剣、ないしは銃を降ろしたが、ロワリエ軍は戸惑っている。
それを見たベレンガリウスはラパラ公爵の背中を膝で蹴った。ラパラ公爵はうっと息を詰まらせ、それから命じた。
「全軍……引け」
ベレンガリウスの威圧感ある命令に比べるとかなり見劣りした。とらわれているのを差し引いても、威厳が無さすぎる。
「名乗らずに失礼した。私は、フェランディス王国第二王子、ベレンガリウス。あなたとこの戦の停戦を結びたく思う」
提案していながら、高圧的な物言いだった。ラパラ公爵は怒りに震えながらもうなずくことしかできなかった。
△
ベレンガリウスがラパラ公爵を連れてきたのは、フェランディスの本陣となっている天幕だった。簡易的に椅子とテーブルが置かれ、テーブルを挟んでベレンガリウスとラパラ公爵は向かい合っていた。
「さて。ラパラ公爵。お前がロワリエ王の命令を実行しただけであるとわかってはいるが、フェランディスの国土を侵した罪は重いぞ」
ラパラ公爵は小さく舌打ちした。ばっちり聞こえていたが、ベレンガリウスは無視した。基本的にベレンガリウスは、性格が悪かった。
「まず、不可侵条約。国土を奪うなどとは言わない。国境線を元に戻せ。そして、賠償金。私たちがこの戦で受けた損害分は必ず支払ってもらう」
「……甘いことですね。停戦条約と言えば、賠償金をふんだくるものでしょう」
「お望みならそうして差し上げてもいいけど」
ベレンガリウスは秀麗な顔にニコリと笑みを浮かべた。その笑みがうすら寒さを覚えさせる。
「私たちとしてはねぇ。このままロワリエ王国を占領してもいいわけだよ」
「そ、そんなことができるはずがない!」
「できないかどうか、やってみるか?」
「……」
自信満々なベレンガリウスの言葉に、ラパラ公爵は沈黙で返した。こいつ、つくづく外交に向かないな。
「ま、できるかどうかはともかく、負けたんだからこっちの言うことを聞いてくれればいいんだよ」
勝手に条約など結べばラパラ公爵はロワリエ王の怒りを買うかもしれないが、ベレンガリウスが知ったことではない。
「そっちにとっては破格だと思うけど。何をためらう。うちの軍資金を出してもらうだけだ。それと、不可侵条約」
ごり押しである。交渉と言うよりは脅迫である。その押しの強さに押し負けたか、ラパラ公爵は震える手で署名した。実を言うとベレンガリウスも『ロワリエ軍を追い払ってこい』と言われただけで、条約を結べとは言われていない。だが、ここで口約束ではなく文面での約束をしなければ再び攻め込まれた時のこちらの言い分が必要である。
「はい、ありがとう」
証拠としてベレンガリウスも自分の名を署名する。それから紙を巻いて懐に収めた。ラパラ公爵に向かって笑みを見せる。
「それじゃ、あなたはさくっと軍をまとめ上げてロワリエに引き上げてくれる? 国境線あたりをうろついてもらっても構わないけど、こちらも、城塞に軍を置いていることを忘れるな」
最後に脅しをかけて、ベレンガリウスはラパラ公爵を解放した。見送るときに手を振ってやると、ラパラ公爵はびくっとした。たぶん、彼はベレンガリウスと同年代なのだが、この第二王子と比べるとやや見劣りした。
「殿下。ロワリエを占領できるって、本気ですか」
こちらも軍をまとめ上げ、デラロサ城塞に戻ろうとしていたベレンガリウスたちである。戦闘中は離れていたが、ベレンガリウス、フアニート、アミルカル、インファンテ伯爵の四人の指揮官は並んで馬をかけさせていた。質問はインファンテ伯爵からとばされた。
「ああ、半分はね。永久には無理だよ」
占領するにはフェランディスから兵を派遣することになるが、その時、問題になるのは郷愁だ。ホームシックである。そうなると、絶対的な支配は期待できない。軍人たちが上の指示を聞かなくなるからだ。
一時的に王都を支配することは可能だ。そう言う意味で、占領できる、と言うことなのである。
「というか、短気なベガの割には、辛抱強くラパラ公爵の相手をしていたな」
さらっと失礼なのはフアニートである。馬上じゃなかったら蹴っ飛ばしていた。
「外交は頭に血が上った方が負けだ」
ベレンガリウスは短気であるが、それは身内に対して発揮されることが多かった。というか、むしろ対外関係であると、ことさら冷静にふるまう。相手が自分の掌の上にいるうちは、カッとなる必要がないのだ。
「なるほど」
今のところ、ベレンガリウスは軍事権以外のほとんど全権を掌握している。これで何故国王にかなわないのか不明であるが、ひとえにベレンガリウスのやる気が問題である気もした。
△
ベレンガリウスが一方的な条約をロワリエに突きつけてから二日後。やっとのことで五万の第一騎士団が到着した。その中に一人、第三騎士団、つまり、ベレンガリウスの指揮下の急使がいた。
「殿下!」
その少年は笑みを浮かべて駆け寄ってきた。濃い金髪にヘイゼルのくりっとした瞳をした、かわいらしい系の少年である。ベレンガリウスの従者であり、第三騎士団の騎士でもあった。
リノ・マルティン。十六歳。マルティン男爵の三男坊で、彼の父親マルティン男爵はイバン王に長男、第一王子に次男、第二王子に三男を仕えさせる食わせ物であるが、リノ自身に罪はない。結構いい性格をした少年なのだが、それはベレンガリウスも腹の中が真黒であるので人のことは言えない。
そのベレンガリウスが、リノに呼びかけられてびくっとした。かなり豪胆な第二王子であるが、この少年が急使として来るのだ。良くないことが起こったのだろうと想像力を働かせたのである。
「殿下。ご無事で何よりです」
ニコリと笑みを浮かべ、リノは完璧な礼をとった。一瞬の動揺から立ち直ったベレンガリウスは「ああ」とうなずいた。
「それで、どうかした? リノが来るってことは、何か緊急の用事?」
「ええ。殿下、宰相閣下がお呼びです」
「エフラインが? 何故?」
大体のことは、宰相のエフラインと執政官のディエゴが片づけてくれるはずだ。内政関係について、国王イバンに期待はしていない。
「なんかですね、陛下がギジェン侯爵を罷免しようとしているらしく」
「な……っ!」
ベレンガリウスは絶句した。顔が思いっきり引きつっている。
ギジェン侯爵は宮廷で財務監査を担っている人物である。清廉なまじめな人で、おそらく、イバンに抗議したのだろうと思われた。
何だこれは。ベレンガリウスが数日王都を外しただけでこのざまとは。
「……っ! のっ!」
ベレンガリウスは息を詰まらせて叫んだ。さすがに、王を罵倒する言葉を公衆の面前で吐き出すようなことはできなかった。この不遜な第二王子も、まだ命が惜しかったので。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第1章が完結しました。次の第2章は……ながいです。ほんとに長いです。
全体では5章くらいの予定です。