【10】
さりげなく最終話。
話を聞いてくれる人、ということで、ベレンガリウスが襲撃をかけたのはフアニートである。酒でも持って語らいに行くのかと思えば、ベレンガリウスの場合は本当に襲撃だった。宮殿の彼の部屋に乗り込み、いきなり未来の夫の襟首を締め上げた。
「聞きたいことがある」
「別に脅迫しなくても、ベガが聞くことなら何でも答えるぞ」
にやっとフアニートが笑う。無駄に腹が立ったので、ベレンガリウスは乱暴に襟をつかんでいた手を放した。
「サンティアゴの国王と会った時だ。何故、お前は兄上を助けなかった?」
フアニートはベレンガリウスの護衛としてついて行ったが、同時に、クリストバルを守る義務もあったはずだ。
「そう言う約束だったんだよ。クリスの方が先約だ」
何があってもベレンガリアを全力で護れ。フアニートは、クリストバルにそう頼まれていたらしい。
「……先約って、いつの話?」
「……さてなぁ。お前が戦場に出たくらいだから、もう十年近く前だ」
ベレンガリウスは頭を働かせる。ベレンガリウスの初陣は十七歳で、自分は今二十六歳。つまり、九年前。その時の約束がまだ生きているって、どんだけ仲がいいのか。
「前にも言っただろう? 利害の一致だ。俺はお前が好きで手に入れたかったし、クリスはお前を護りたかった。つまりはそう言うことだ」
わかるようなわからないような。
とりあえず、あの時、フアニートはクリストバルから『ベレンガリウスを護れ』と言われていたためにクリストバルを助けなかったと言うことはわかった。理由としては、まだ弱いと思うけど。
「……もしかして、殺されそうになったら助けるなって言われてた?」
「さすが。ご明察」
笑顔のフアニートを見て、ベレンガリウスはため息をついた。何となく話が読めてきた気がする。
「いくらでも聞いてやるから、まあ座れ」
とん、とフアニートがベレンガリウスを押す。ベレンガリウスは逆らわずにソファに腰かけた。
クリストバルかベレンガリウスか。フェランディス王になるのは二人に一人。これ自体は不思議な話ではないが、ただ、選択肢はもっとあったはずだと思うのだ。
問題を正すなら、ベレンガリウスとクリストバルが生まれる前にさかのぼらなければならない。
これまで何度かベレンガリウスがはき捨てているが、ベレンガリウスの実父はイバン先王ではない。その弟である先代オルティス公爵アドリアンだ。
一方のフアニートは、アドリアンの実子ではなく、彼の実父はイバン先王である。
つまり、ベレンガリウスはアドリアンと王妃エカテリーナの娘であるし、フアニートはイバン先王とオルティス前公爵夫人の子であるのだ。
もっとも、これはベレンガリウスが当時の事情を洗い流した結果、下した判断であるし、本当のところは誰にもわからない。イバン王とオルティス前公爵夫人は亡くなっているし、エカテリーナとアドリアンはすでに隠居してしまった。今更事実を確認しようなどと、ベレンガリウスも思わない。
ただ、エカテリーナがイバン先王ではなく、アドリアンを愛していたのは事実のようだ。
原因も理由も不明であるが、おそらく、ベレンガリウスの予測は間違っていない。イバン先王は自分と自分の王妃の不貞を認めなかったから、ベレンガリウスは直系王族でいられた。本来であれば傍流にあたる彼女が王位を継ぐことは、少々問題がある。
だから、ベレンガリウスはイバン王の子であるフアニートを王配として選んだ。
お前の二人目の子は、この国に繁栄をもたらす。
この予言はイバン王に授けられた予言で、公式にはベレンガリウスを示すとされる。しかし、実際にはフアニートを示す予言だ。同時にこんな予言もある。
偽りの二番目の子を失えば、国は破滅へと向かうだろう。
こちらの予言はベレンガリウスを示す。どちらの予言も効力を失っていない。二人ともまだ生きていて、二番目の子の予言が示すフアニートは女王ベレンガリアの王配となる。
裏を返せば、この予言はベレンガリウスとフアニートはこの国を繁栄させるが、二人が死ねばこの国は亡ぶとも読み取れるのだ。いつも言っているが、ベレンガリウスも死後のことまで責任は持てない。
公式にこの二番目の子の予言が示すのはベレンガリウスであるので、イバン王はベレンガリウスに第二王子位を与えた。繁栄の予言を、彼も無視できなかったのだ。女であるより男であるほうがこの繁栄の予言を『実現』しやすい。あるいは、イバン王は本当にベレンガリウスを『二番目の子』だと思っていたのかもしれない。
ベレンガリウスが第二王子位を持っていたのは、この予言のせいだ。
このことがだんだん事態をややこしくしていく。ベレンガリウスは、予言が事実だったと言わんばかりにその頭角を現していった。
ベレンガリウスは自分が女であることを隠していなかった。だから国民たちもみな第二王子が女であると知っていたし、その人が才能のある人だと言うことも知っていた。だから、たとえ女王で当ても、ベレンガリウスに王になってほしいと言う人は多かった。
裏を返せば、ベレンガリウスは兄クリストバルよりも優秀であったと言うことであるが、最近ではあのクリストバルのふるまいはすべて計算づくのものだったのではないかとすら思う。だとすれば、兄は本当は、ベレンガリウスよりも優秀だったのかもしれない。
まあそれはさておき、みんなに実際に目に見えていた現実の方である。
言われていた通り、本来の順序で行けばクリストバルが王位を継ぐべきだったし、しかし、人々の支持率はベレンガリウスの方が高かっただろう。どちらが王位をついでも争いになることはわかっていた。
だが、どちらか一方が死ぬ必要はなかった。クリストバルが死んでまで、ベレンガリウスを生かす必要はなかった。考えていることは、二人とも同じはずだった。
どちらかが王になり、どちらかが補佐をすると言う未来も、なかったわけではない。サルバドールはそうした。しかし、どちらかが王位を継ぎ、どちらかが生きていれば、内乱に発展することは目に見えていた。
こういうものは、ベレンガリウスやクリストバルがどれだけ押さえ込んでも噴出してくるものだ。止めようがない。
内乱となれば、多くの死者が出る。ベレンガリウスはそれを避けたかったし、クリストバルもそうだったに違いない。
避けるには、どちらかが自然死するのが一番早い。事故死でもよい。それでも内乱になる可能性はないわけではないが、それでも旗頭を失えば、その説得力は格段に下がる。どちらも、王になるには不足がないからだ。
クリストバルが王になっても、ベレンガリウスが王になっても、ベレンガリウスが『イバン王の子ではない』と言う事実がかなめになってくる。人と言うのは、その人の痛いところをついてくるものだ。総合的に見て、ベレンガリウスの方が不利だった。
だから、クリストバルが生きていれば、彼が王になっていただろう。そうなったとき、ベレンガリウスはどうしたか? 執務能力があるので、補佐をした可能性もあるが、しかし、必ずクーデターを疑われる。地方に隠棲しても同じだろう。その時に、ベレンガリウスの出生を調べられても不思議ではない。
そうなれば、王子を騙ったとして、ベレンガリウスは死罪になる可能性が高かった。
もちろん、絶対ではない。だが、可能性は高い。だから、クリストバルはベレンガリウスが必ず生きられるように、自分が死ぬことにしたのだ。
「私は……っ」
たっぷりと沈黙をはさんだベレンガリウスは絞り出すように声を発した。
「兄上に死んでほしくなかった……!」
「ああ」
フアニートに抱き寄せられ、ベレンガリウスは自分が泣いていることに気が付いた。そのまま吐き出すように言った。
「どちらかが死ぬ必要なんて、なかったはずだ。二人とも生きる道があったはずなのに……!」
「そうかもしれないな」
「なのに、兄上は私が確実に生きられるように、私を残した……!」
「ああ、そうだな」
フアニートが適当に相槌を打つが、よく考えればこいつも関わっているんだった。
「お前も! なんで兄上の策なんかに手を貸すんだよ!」
フアニートを拳で叩きながらなじる。彼はうろたえた様子もなく言った。
「俺もクリスも、お前が一番大切だったと言うことだ。自分や、お互いよりも」
「私も、兄上に王位についてもらうために死ぬつもりだった。王になんてなりたくなかった。でも、私は」
死にたくないと思ってしまった。ベレンガリウスはフアニートをたたく手をとめ、彼の肩に額を押し付けた。
「……私は、何もわかっていなかった」
なだめるようにフアニートがベレンガリウスの頭を撫でる。
結局、ベレンガリウスたちはクリストバルの掌の上だったのかもしれない。少なくとも結末は、彼の思い描いた通りになっただろう。彼の思惑通り、今、ベレンガリウスは女王として君臨している。
クリストバルとベレンガリウスの対立が目立ったのは、クリストバルがベレンガリウスの評価を上げるため。自分の死後、ベレンガリウスが必要であると人々に思わせるためだ。たぶん、彼はベレンガリウスがイバン先王の子ではないと気付いていたのだろう。
これもやはり、可能性の話で、本人が亡くなっていて確認のしようがない。
ベレンガリウスの命はクリストバルに与えられたものだ。そうである以上、任されたことはやり遂げなければ。
「……わからないことがある」
「なんだ」
「なんでお前、私のことが好きなの」
ベレンガリウスの直球過ぎる問いかけに、フアニートは「さすがはベガ」と何故か感心しながらギュッと抱きしめてきた。苦しい。
「お前は確かに優秀だ。だけど、時々、一人で泣いていた小さな女の子にも見えた。守ってやらなきゃな、と思ったんだよ」
思いのほか優しい声音なのは、本当にベレンガリウスがいとおしいからか、単純に泣いているからなのか。強く抱きしめてくれるフアニートの首筋に頬を寄せ、ベレンガリウスは「そう」とうなずいて目を閉じた。
△
「邪魔したな」
「もう少しいたかった~」
三日の滞在で、ハインツェル皇帝夫妻は帰国することになった。さすがに長らく国を空けることはできないのだろう。ベレンガリウスは苦笑を浮かべた。
「いつまでもニコレット様を独占しているわけにはいきませんからね」
「お前、そんなこと言うから女にモテるんだぞ」
と、ツッコミを入れてきたのはヴォルフガングだった。ベレンガリウスは肩をすくめる。
「まあ、通常営業と言うことで一つ。……助言も、ありがとうございました」
一国の王になった以上、礼は言えても気軽に頭を下げられないので、小首を傾げて微笑んで対応。ヴォルフガングは「ああ……」とうなずいたが、ベレンガリウスの隣にいるフアニートに視線をやって言う。
「……お前、本当にマリッジブルーだったりするのか?」
「世の中の花嫁は夫となる男性を殴るんでしょうか」
「自覚があるならやめてやれ」
ベレンガリウスは再びフアニートをぶん殴っていたので、憐れ彼はまた頬を腫らしていた。さすがに同情したのかヴォルフガングは止めに入るが、女王となったベレンガリウスはしれっと言った。
「私、結構短気なので。これくらいしないと、自分で国を滅ぼしかねません」
ベレンガリウスが本気を出せば、フェランディスなど灰燼に帰しても不思議ではない。なかなかの暴君である。
「ベガ。お手紙書くから返事をちょうだいね」
「ええ。もちろん」
「また遊びに来てね」
「……それはちょっと難しいですねぇ」
手を握ってくるニコレットに、ベレンガリウスは丁寧に対応する。最後にニコレットはベレンガリウスが着ている上着を引っ張った。
「あと、これちょうだい」
「ダメです」
本人いわく『通常営業』であるベレンガリウスは、即位前のようなゆったりとした上着を着ていた。もちろん、ミレレス紋様だ。こちらの方が見なれているので、みんなも違和感なく受け入れている。
「今度、刺繍の入った布地でも贈ります」
「うん。私は紫の薔薇を届けるわね」
紫の薔薇は玉座の意味も持つ。ちょっとずれている気がするが、ニコレットなりの激励だとわかったので、「こちらの風土に合うといいのですが」と微笑んだ。
「それでは、機会があればまた会おう」
「ええ」
ヴォルフガングとニコレットが馬車に乗りこむ。ベレンガリウスの背後に控える臣下たちが一斉に頭を垂れた。ただ唯一ベレンガリウスだけが頭をあげていた。
ゆっくりと馬車が走り出す。それを見えなくなるまで見送り、ベレンガリウスは息を吐いた。
「嵐のようだった」
「ニコレット皇妃か。かわいらしい方だったが」
「おや、私の夫はああいう女性がお好みか? 安心しろ。離婚はせずにトーレス領にとばしてやる」
「嫉妬か? それなら俺はうれしいが」
微妙に殺伐とした会話である。ちなみに、この二人は暫定夫婦であるが、まだ式は挙げていない。
ベレンガリウスは上着の袖に両手を突っ込みつつ言った。
「さて、どうだろうね」
はぐらかしたが、本音を言えば少し嫉妬した。ニコレットのあの自由な生き様が少しうらやましくも思う。
悩んでも仕方がない、とベレンガリウスは頭を切り替えた。ないものねだりをしても仕方がないし、どんなに嫌でも明日はやってくる。それを暗く生きていては、ベレンガリウスを生かしてくれたクリストバルに失礼だ。
ベレンガリウスはニコレットのようにはなれない。かわいくはないし、短気だし、怒ると手が出る。
だが――――とふと思う。そう言えば、以前から、手を上げるのはフアニートに対してだけだった。
もしかしてこれは信頼――――というか、好きな人に意地悪をしてしまうと言うやつか? ……子供か。
そこまで思って、ベレンガリウスは少し納得した。
「どうやら私は、自分で思っていたよりフアンのことが好きみたいだねぇ」
そうつぶやきながら宮殿内に戻るべく身をひるがえす。それにフアニートが追いすがってきた。
「え、何今の。もう一回言って」
「気が向いたらな」
しれっとやっぱりはぐらかすベレンガリウス。この御仁、羞恥心はどこに捨ててきたのか。
「陛下ぁぁああっ」
ディエゴの叫びが聞こえた。ベレンガリウスは死んだ目になる。彼が半泣きで駆け寄ってくるときは、たいてい悪い知らせなのだ。
「ベガ、もう一回」
フアニートがあきらめずに声をかけてくる。しつこい。
「ええい! うるさいわ!」
最終的に怒鳴った。ベレンガリウスは、女王になっても胃が痛いままだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
これにて『フェランディスの問題処理係』は完結です。読んでくださった皆様、ありがとうございます!!
ベレンガリウスは女王になっても胃痛が続く気がします。