【3】
そんなことがあっての翌日。『イバン王の遺体』が入れられた棺は、宮殿内の礼拝堂に運び込まれた。その豪奢な棺に、昨日王族会議に招集されたメンバーが集う。そのさらに周囲には、かたずを飲み官僚や貴族たちが見守っている。
「覚悟はいいか?」
棺の蓋に手をかけたのはクリストバルだった。ベレンガリウスが「ああ」とうなずき、サルバドールは妹たちに「ちょっとさがってなよ」と彼女らを棺から遠ざけた。まあ、マルセリナには必ず確認してもらうのだが。
「では、開けるぞ」
クリストバルがゆっくりと蓋を持ち上げた。周囲……主に女性だが、サルバドールもだが……悲鳴があがった。
ベレンガリウスが見る限り、遺体の顔はきれいなものだった。クリストバルがベレンガリウスに尋ねる。
「どう思う?」
「……いや、私と兄上が結論を言うのは最後にしよう」
ベレンガリウスとクリストバルの発言力は大きい。二人の意見が一致すれば、その後全員の意見が二人の言葉に引っ張られるかもしれない。なので、クリストバルとベレンガリウスは最後に結論を言うことにした。
というわけで、サルバドールとアドリアン、フアニートが棺の遺体を見た。
「……僕は父上だと思いますけど」
サルバドールが顔をしかめつつ言った。まだ遺体は腐敗していないが、遺体を見て気持ちのいい人間はいないだろう。
「私も、兄上だと思いますね」
「俺もだ」
アドリアン、フアニートの意見も一致する。その後にエリカとレアンドラ、マルセリナ、アレハンドラが確認した。彼女らの意見も一致。さらにデイフィリアとアドラシオンが恐る恐る覗き込んだ。
「お、お父様だと思います……」
「うん……」
二人は涙目で互いにしがみつきあいながら言った。最後……ではないが、エカテリーナも棺を覗き込んでくる。その顔に表情はない。
「……わたくしも、陛下とお見受けいたしますわ」
ここまで全員の意見が同じ。ベレンガリウスとクリストバルが顔を見合わせた。
「俺も父上だと思う」
「私も同意見だ」
全員の意見が一致。こんないかつい顔が、イバン王のほかにいてたまるか。
「さて」
ベレンガリウスは手に手袋をはめる。
「え、ベガ兄上本当に検死するの?」
「死因くらいはわかるだろ」
「いや、そう言う問題じゃないよ……」
サルバドールにツッコミを入れられつつ、ベレンガリウスは棺の側に膝をつき、手を伸ばしてイバン王の顎を少し持ち上げる。
「死後硬直が解けてるし、死後五日前後……トーレス領からの距離を考えればそんなものか。報告通り、首の骨を折っているな。首の角度からして、こう……」
と、ベレンガリウスは左手で父の遺体をつかんだまま、右手で落ちたと思われる方向を確認する。おそらく、イバン王は右側から馬から落ちたと思われる。
「ん?」
イバン王の首元を開いて調べていたベレンガリウスが不審げな声を上げると、クリストバルとフアニートが覗き込んできた。
「どうした?」
「お前、意外と詳しいな」
ベレンガリウスはイバン王の首元を示す。
「ここ。少し痕がある。おそらく、薬か何かを飲まされていたんだな。……解剖すればもう少しわかるかもしれないんだけど……」
「お前がやればいいだろ」
「や、さすがにできないから」
ベレンガリウスはイバン王の手を取る。節くれだった大きな手は、それでも普通だった。
「爪は普通……口の中も炎症などはないな。やはり毒ではなく、睡眠薬でも飲んだんだろう」
「毒だったら即死だろうしな」
「その通り。遅効性でも、陛下なら飲んだ時に気付いて解毒剤を飲むだろうし」
ベレンガリウスやクリストバルもそうだが、王族と言うのは常に毒殺を警戒しており、ある程度毒に対して耐性がある。そのせいで薬が効きづらくもなるが、それより毒殺の方が怖いのだ。
まあそんな話は置いておき。
「昨日の間に陛下の診察記録を確認したけど、睡眠薬も効きにくいでしょうし、よくそんなものを……」
ベレンガリウスが言葉を切った。フアニートが「ベガ?」と呼びかけてくるが、ベレンガリウスは黙ったままだった。
高速で、ベレンガリウスの頭の中でピースが組み合わさっていった。それが、一つの事実を突きつける。
「兄上。陛下の遺体を迎えた時、誰が運んできたか覚えてる?」
唐突な質問に、クリストバルは戸惑ったように「は?」と言った。だが、答える。
「第一騎士団の人間だったと思うが」
「ああ。第一騎士団の制服を着た人間たちだ。中身が本物かどうかなんて、私たちにはわからない」
ベレンガリウスがそう言い放つと、意外そうな顔をされた。
「お前にもわからないことってあるんだな」
「……そう言う問題じゃない」
珍しいともいえるベレンガリウスの真剣さに、クリストバルは少し顔をしかめた。
「わかっている。中身が入れ替わっていたかもしれないと言うことだろう? なら、やつらは……」
「もう逃げているだろうね。まあ、そのまま宮殿を制圧しようとする可能性もあるけど、ふっ、私がいる限り、そんなことはさせないさ」
すでにその辺の手は打ってあるので、ベレンガリウスは不遜に笑った。クリストバルとフアニートが震えた。
「お前……怖いぞ」
真剣になればなるほど恐ろしいことに定評があるベレンガリウスだった。
「……まあ、私が怖いかはともかく、宮殿を制圧し出来ないとなれば、逃げるしかないだろうね。おそらく、第一騎士団に扮していたのはトーレス公爵領の兵士だ。おそらく、領地内で入れ替わったんだろう」
「……何のためにだ」
「さっきも言ったように、あわよくば宮殿を制圧しようと」
「そうではない! なぜ、トーレス公爵はそんな事をしようとする」
「決まっている」
ベレンガリウスは冷徹な声音で言った。
「もちろん、この国を乗っ取るためさ」
△
しばらく、沈黙があった。ベレンガリウスの高すぎず低すぎないちょうど良い声音は、思いのほか大きく礼拝堂に響いた。遺体の確認が終わった棺の蓋を、フアニートがそっと閉じた。ベレンガリウスが立ち上がる。手袋から手を引き抜き、片手に持つ。
「トーレス公爵が裏切ったとなれば、この状況にも説明がつく。あと半世紀は死なないと思っていた我らが父上が亡くなったと言う、この不可解な状況にもね。答えは簡単。事故に見せかけて殺されたんだ」
つらつらと、ベレンガリウスは真実に近いと思われる推測を言葉にしていく。その声は、幼い妹たちにも届いている。
「陛下に睡眠薬を飲ませるのは、そんなに難しくないだろうね。一杯の水を勧めればいい。それから狩猟に出かけ、話しかけるふりをして陛下を落馬させる」
睡眠薬が効きづらいとはいえ、さすがにイバン王も多少は頭がボーっとしていただろう。そこに、馬が暴れだせば落ちる可能性が高い。
「まあ、可能性は半々だけど……うまく行かなかったときはその時はその時。今回は陛下が亡くなったので、こうして反乱を起こすことになったわけだ」
「……ちょっと待て。俺はすでについて行けん。とにかく、この先どうすればいい」
クリストバルが先を急がせた。確かに、このまま悠長に謎解きをしている場合ではない。
「私の予想が正しければ、南からサンティアゴが攻めてくる。トーレス領はサンティアゴと接しているからな。国境を抜けるのは簡単。サンティアゴ軍はあっさりとトーレス領を通過。訳も分からないうちに王都は攻め込まれ、フェランディスはサンティアゴの手に落ちる」
「そ、そんな……」
「なんとなるんですよね?」
マルセリナとサルバドールがベレンガリウスに言った。二人にうなずいて見せる。
「もちろんなる。早急に、南へ兵を派遣する。トーラス領の手前で防衛線を張る。今ならまだ間に合うはずだ。相手は、私たちの出方を待っているはずだ。つまり、第一騎士団に扮して陛下の遺体をここまで運んできた兵士の帰りを待っているはずだから」
「だが、そうなると軍隊を三分割することになるぞ。北、南、王都と」
クリストバルが冷静に言った。さすがにそれくらいは理解できるらしい。
「サンティアゴはもともと小さな国だからな。五万もあれば撃破できる。しかも、トーレス公爵軍との連合軍。数は五万には上るだろうが、連携はなっていないだろう。同数をぶつければ指揮系統が強固なこちらが勝つ」
ベレンガリウスが言い切った。言い切られると、何となくそんな気がしてくるのが人間というものである。
「軍を三つに分けたとして指揮官はどうするんだ? 俺と、お前と、サルバドールか? だとしたら、お前が王都に残るとして、俺が南、サルバドールが来たか?」
「えええええっ!? 無理ですよ!」
サルバドールが悲鳴を上げる。確かに、基本的に外交官である彼は、あまり戦の経験がない。まだ十八歳であることをかんがみても……。
……。
「兄上の初陣っていつ?」
「なんだ唐突に。十五だが」
「私は十七だ。……だが、まあ、いいか」
サルバドールにも初陣を経験させておくべきかと思ったのだが、ベレンガリウスはすぐに考えを改めた。今はそんな事をしている場合ではない、と思ったのだ。
「お前、一体何なんだ」
起こった声音でクリストバルが言ったが、ベレンガリウスは平然としている。
「こうしよう。アドリアンに北の押さえに行ってもらう。王都には兄上とサルバドールを連れて残る。そして、私が南のサンティアゴを撃退に行く」
どう? とベレンガリウスが首をかしげた。アドリアンにはそのまま北の軍隊を預ければいいし、クリストバルとサルバドールはそのまま第一騎士団、第二騎士団を預かればいい。ベレンガリウスは第二騎士団を率いて南へ行けばいい。自分ならサンティアゴを押さえられる自信があった。
「……そうだな」
クリストバルは少し間を置いてから、言った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ベレンガリウス本領発揮……なのか?
さくさくすめたいのですが、ベレンガリウスが暴走する……。