【2】
レアンドラに連れられ、ベレンガリウスとヒセラはマルセリナの部屋に向かった。どうやら、アレハンドラの方がマルセリナの部屋に殴り込みにいったらしい。
何のことでもめているのかと思えば、またマルセリナの結婚問題だった。一応、彼女はベルガンサ公爵家のフィデルに嫁ぐと言うことで決まったのだが、どうやらここにも文句を言いたい人間がいたらしい。
「あなたは王女だわ。女は自分の家よりいい家に嫁いで縁を結ぶのが仕事でしょう!」
「はあ!? 何その古い考え! 結婚くらいで国同士の縁が結べるわけないでしょ!」
「……」
まあ、どちらも言っていることは間違っていないし、さて。これはどうした者か。
「それでもやるのが仕事でしょう! わたくしは王子に嫁いだわ」
と、アレハンドラが言い放った。元から王の子であるマルセリナは「何言ってんのこの女」と言わんばかりに眉をひそめた。
「まあまあ。双方ともに落ち着きなよ」
とりあえずベレンガリウスが仲裁に入る。両手をあげてマルセリナとアレハンドラの間に割り込んだ。
「お兄様は黙ってて!」
「邪魔しないで!」
マルセリナもアレハンドラも話を聞こうとはしなかった。いや、わかってたけど。完全に邪魔者扱いである。わかってたけど!
「妹が妹なら兄も兄ね!」
「あんたの旦那もわたくしの兄だっつの!」
何だろう。誰だ、マルセリナにこんな言葉を教えたのは。いや、自分か、と葛藤しつつ、ベレンガリウスはマルセリナの侍女を一人呼び寄せた。
「ご用でしょうか」
「ちょっとクリストバル殿下呼んできて」
「……かしこまりました」
ベレンガリウスも短気であるが、クリストバルも短気であるので、ちょっと侍女は嫌そうな顔をしたが、命令であるのでそのままクリストバルを呼びに行った。その間にも、二人の舌戦は違う方向に進みつつある。
「わたくしはあなたの兄の妻よ! わたくしに従うのが必然でしょう!」
「はあ? あんたは結局外部の人間。王妃様を抜かしたら、わたくしがこの城の女性たちの頂点にいることになるのよ!」
何故かヒエラルキーの話になっている。
マルセリナの言うように、王子に嫁いでいるとはいえ、アレハンドラは結局公爵家の娘として見られる。クリストバルが王となって彼女が王妃になれば話が別だが、それまでは王族として数えられない。
と、言うことは、王妃エカテリーナは現在、王族の一人として数えられている。しかし、第二妃エリカや第三妃レアンドラは正式には王の妻として認められないので、王族の序列には入っていない。
「……マルセリナ様とアレハンドラの意見で言うと、お二人は殿下に従うべきなのでは?」
ヒセラがこっそりツッコミを入れてきたが、ベレンガリウスは軽く笑って言った。
「うん。誰も気づいてないだろうけどね」
実はこの城にいる女性の中で、王妃を抜かして頂点に位置しているのが、現在妹と兄嫁の喧嘩の仲裁をしようとしているこの御仁なのだが、たぶん誰も気づいていない。本人もヒセラに指摘されなければ気づかなかったかもしれないくらいの勢いだ。
そこに、「お連れしました」と使いにやった侍女が戻ってきた。クリストバルは精悍な顔を不機嫌そうにゆがめ、機嫌が悪そうだった。それなりに整った顔立ちをしているのに、現在結構凶悪な顔になっている。
「忙しいんだぞ。呼ぶな」
「こっちだって忙しいよ。私は問題処理係じゃないんだからな」
現状、ベレンガリウスは政務、つまり内政にかかりきりであり、軍事関係のことは丸投げである。クリストバルも自分の騎士団の調整をしているのだろう。何しろ、明日、王を含めた第一騎士団が狩りに出てしまうので。もちろん、全員ではないが。
微妙に成立していない兄妹の会話である。クリストバルは自分の嫁と妹が言い争っているのを見て言った。
「止めろよ」
「嫁くらい自分で回収しろ」
こちらでも喧嘩が始まりそうな勢いである。二人はそろって舌打ちする。こっちの二人もあっちの二人も、同族嫌悪なのだろうか。
だが、ベレンガリウスとクリストバルの方はまだ喧嘩が始まる前なのである程度の理性はあった。そのため、それぞれマルセリナとアレハンドラを止めに行く。
「はーい。そこまで。いい加減にしような」
ベレンガリウスはマルセリナの肩に手を置いてアレハンドラから引き離した。アレハンドラもクリストバルに後ろから抱き寄せられる。
「お前もだ。いい加減にしろ」
すると、二人同時に「だって」と唇を尖らせる。そこに、今まで傍観していた第二妃エリカが口を挟んできた。
「喧嘩するほど仲がいいとは言いますが、ほどほどに」
「よくないっ」
これもマルセリナとアレハンドラ同時だった。二人がふん、と顔をそむける。ベレンガリウスとクリストバルがため息をついた。やっぱりこっちも似ている。
「とりあえずさ。マルセリナがフィデルに嫁ぐのはもう決まったことだから、アレハンドラが何を言っても覆らないよ。そんなことに無駄な労力を使うなよ」
とりあえずさくっと事実を伝えるが、アレハンドラはベレンガリウスの物言いが気にくわなかったようだ。クリストバルも「お前、その言い方はないだろう」とツッコミを入れてきた。
「だいたいあなたが一番腹立つのよ! 何なの!? そんなにわたくしが気にくわないの!? どうせ妬ましいんでしょ!」
「……」
どこが? と言わんばかりに、今度はベレンガリウスとマルセリナの表情が言っていた。マルセリナが落ち着いたので、ベレンガリウスは彼女から手を放し、首に手を当てた。
「妬ましいっていうか、宮殿内で騒ぎが起こると私のところに苦情が来るから恨めしくはあるな」
「なんですって!?」
「ベレンガリウス殿下も燃料を投下しない!」
エリカにズバッと言われ、ベレンガリウスはひとまず黙る。一呼吸おいてから再び口を開いた。
「とにかく。この件はここまで。アレハンドラは、すでに国王陛下が認めたことをいちいち掘り返さない。マルセリナは挑発に乗らない。いいね?」
「お兄様に言われたくない!」
「あんたに言われたくないわよ!」
マルセリナとアレハンドラの言葉に、周囲が「確かに」と言わんばかりにうなずいた。ここまで我慢していたのだが、もともと短気であるベレンガリウスはいらっとした。
「あのな? いちいち呼び出されるこちらの気持ちにもなってみろ。私が出歩くたびに業務がストップするんだぞ。いや、今の体制に問題があって、自分ができると言うことをいいことに、後回しにしていることは認める。だが! 二人も王女と王子妃ならいい加減自覚を持て!」
「……お兄様こそ、王女としての自覚を持った方がいいのでは」
マルセリナが恐る恐る口を挟んできたが、ベレンガリウスは「そうだな」とあっさり認める。マルセリナは内政に関わるのではなく結婚した方がいいのでは、と言いたかったのかもしれないが、ベレンガリウスは言葉尻をとり言った。
「妃殿下がいない以上、この宮殿の『奥向き』の責任者は私だ。わかるな?」
「……」
マルセリナもアレハンドラもベレンガリウスを睨んだ。
「奥のことに関して、実際に取り仕切っているのはエリカ殿だ。私は第一王女でもあるが、奥に関してそこまで口をはさむつもりはない。だが、私や妃殿下の代わりに取り仕切ってくれているエリカ殿を困らせるな」
マルセリナが自分の生みの母でもあるエリカを見た。エリカがにっこり笑う。マルセリナはベレンガリウスに視線を戻すと、うなずいた。
「わかったわ」
「アレハンドラ」
クリストバルがアレハンドラを小突いた。彼もエリカに教育された口なので、彼女には感謝しているだろう。ありたいていに言うと、逆らえない。
「……わかった」
「よろしい」
とりあえず完結したところで、「あのぉ」とマルセリナの侍女がベレンガリウスに声をかけた。
「うん? なに?」
反射的に笑みを浮かべるベレンガリウスに、マルセリナから「それやめた方がいいと思う」とツッコミが入ったが、習慣と言うのはなかなか抜けないのだ。
「そのぉ。サルバドール殿下がベレンガリウス殿下にお話があるといって、外でお待ちなんですが」
「……」
何だろう。とてつもなく嫌な予感がした。息を吐きだし、上着のゆったりした両袖に両手を突っ込んだ。
「わかったよ。私も仕事を放置してきているからな」
「殿下方。御足労いただき、ありがとうございました」
ベレンガリウスと、続いて出て行こうとするクリストバルにエリカが声をかけた。クリストバルはただ彼女を一瞥し、ベレンガリウスは振り返らずに後ろ向きに手を振った。みんなが『この二人似てるなぁ』と思うのは無理からぬ話だろう。
「ああっ。兄上!」
マルセリナの部屋の外で待機していたサルバドールが声をあげた。しかし、クリストバルはもちろん、名実ともにサルバドールの兄であるし、第二王子を賜っているベレンガリウスも『兄』と呼ばれている。なので、二人同時に振り返った。
「あ、ベガ兄上です」
「せめてこいつのことは『姉』と呼べ!」
ふられたクリストバルがキレた。ベレンガリウスは背筋がぞわっとした。
「何それ気持ち悪い!」
「ややこしいんだよ!」
いや、まあ、確かに。そこは否定できないベレンガリウスだった。
「まあ、それはおいおい考えます! 緊急事態です! 言葉が通じません!」
サルバドールの訴えは原因不明であるが、意味は分かった。
「帝国語を介せば、だいたいの会話はできると思うけど」
「ところが! 帝国語では通じず、さらに帝国語からイェシム語に治してもらったのですが――――」
「ああ、途中で内容が変わってしまったのか。伝言ゲームの要領だね」
どうしても一発で通訳ができない場合、二度、三度と通じる言語まで通訳を繰り返すことがあるが、今回はこれに当てはまる。たいてい、外交官と言う人は帝国語、もしくは大陸東の大国の公用語、昌旺国語が話せるものなのだが、今回のイェシム国の外交官は話せなかったらしい。さすがにサルバドールもイェシム語はわからない。
「せめて一発で通訳ができるといいんだけど……」
と、サルバドールが上目づかいにベレンガリウスを見るが。彼の方が背が高いのでいまいち成功していない。
「私だって挨拶くらいしかできん。フィデルを連れてこい。勉強中だけど、通訳くらいはできるだろ」
「わあ。丸投げ」
「彼の教育はお前に任せる」
まるっと投げられたものをそのまま投げ返したベレンガリウスのもとに、さらなる災難。
「殿下。ベレンガリウス殿下。こちらでしたか」
今度は宰相だ。宮廷のあたりまで出てきたので、官僚が目撃してベレンガリウスを探していたエフラインに伝えたのだろう。
「……今度はなに。議会のことなら聞いているけど」
若干引き気味に言うと、エフラインは「そのことではありません」と容赦なく言う。
「建設中の砦が強度不十分で倒壊しました。それと、南のサンティアゴの動向が怪しいです。さらに、陛下が予定より多くの騎士を連れて行くと言いだしたので、派遣予算と警備体制に変更が生じました」
それを聞いて、ベレンガリウスは表情が抜け落ちたまま言った。
「……泣いていい?」
「ダメです」
泣いたところで、事態は好転しないので。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
うん、まあ、ベレンガリウス、ドンマイ(笑)