【1】
今日から新章です。
「相変わらず、よい腕ですな」
唐突に背後から声をかけられて、ベレンガリウスは声のした方に振り返った。背の高い金髪の男が微笑んでベレンガリウスを見ていた。
「これはオルティス公爵。お久しぶりですね」
「ええ。お久しゅうございます、殿下」
アドリアン・オルティス。現在のオルティス公爵にして、国王イバンの弟にあたる。そして、フアニートの父親だ。ベレンガリウスにとっては叔父にあたる。
「領地から戻ってきましたら、殿下はこちらにいると言われまして」
「おや、私に何かご用ですか」
ベレンガリウスは持っていたクライバー銃に銃弾を詰ながら言った。現在、射撃訓練中だった。ちなみに、付き合っているのはヒセラとアミルカルだが、アミルカルは命中率が悪い。やはりルクレール銃を渡しておけばよかっただろうか。
クライバー銃はルクレール銃の発展型だ。帝国に行ったときに聞いて驚いたのだが、ルクレール銃はハインツェル皇妃ニコレットの母が、クライバー銃はニコレット自身が開発したらしい。ルクレール銃は世界初の狙撃銃である。剣も使うベレンガリウスはともかく、ヒセラはこの銃を重宝している。
クライバー銃の開発者であるニコレットは好奇心の塊のような人で、どこか浮世離れしていたが、妙なところで合理主義者だった。クライバー銃が浸透しやすいように先だって配備されていたルクレール銃と弾丸の大きさを同じにしたのだ。そのため、クライバー銃はルクレール銃にとってかわりつつある。
話を戻して。
「いえ。ご挨拶に上がろうと思っただけですよ。兄上とクリストバル殿下にはお会いしましたからね」
にこやかに腹の底が読めない笑みを浮かべたアドリアンを、ベレンガリウスは観察するように見つめていたが、やがてかけていた眼鏡のブリッジを押し上げるとため息をついた。
「どう考えてもそれ以外の理由があるとしか思えないけど、一応信じることにしておこうか」
「おや、そちらも含みがあるお言葉だ」
と言うと言うことは、アドリアンも言葉に含んだものがあると認めるわけだ。
ベレンガリウスは視線をそらし、銃のスコープを覗き込んだ。そのまま銃を固定し、再び引き金を引く。六弾すべて撃ちきった。
「お見事」
的の中央を貫く弾痕を見て、アドリアンが拍手と共に言った。ベレンガリウスは肩に銃を担いだ。
「アミル、ヒセラ。戻ろう。そろそろディエゴが半泣きになってるだろ」
ベレンガリウスがこうして訓練をしている間、執務を預かっているのはディエゴだ。宰相のエフラインもいるので心配することはないのかもしれないが、ディエゴなのでちょっと心配である。
銃を軍人に預け、アミルカルとヒセラを護衛に執務室に戻る。それに、アドリアンもついてきた。
「陛下が狩猟に出かけるそうですね」
「ああ。私は兄上と一緒にお留守番」
「帝国の花祭りの参加で、あなたがいらっしゃらないことの不便を思い知ったのでしょう」
「陛下がいないと一緒な気がしますけどね」
結局最終決定権を持っているのはイバンなので、ベレンガリウスがいてもイバンがいなければ意味がない気がする。
そう。明日の朝、イバンが狩猟に参加するため、宮殿を離れるのである。イバンとしては、クリストバルもベレンガリウスも、どちらも一人で宮殿を預けたくない。だから、二人とも残る。イバンはどちらが残っても宮殿を制圧すると考えているのだ。
「ああ、殿下! よいところに!」
「げっ。父上」
執務室の扉を開けた途端、ディエゴとフアニートの声が響いた。とりあえず自分の父を見て声をあげたフアニートは無視し、ベレンガリウスはディエゴに近づいた。
「どうした?」
「内務省から下院の解散と撤退を求めてきまして」
「無理だろ」
「ええ。司法省からもそう言われ、内務省と司法省が全面戦争中です……」
「馬鹿か」
ディエゴの言葉にベレンガリウスは短くツッコミを入れながら回り込んで執務机を探る。
「ヒセラ、公爵にお茶をお出しして」
「わかりました」
ヒセラが一礼してお茶を淹れに行く。ついでにベレンガリウスはツッコミを入れた。
「というかフアン。お前、人の部屋に人が居ないときに無断で入るなよ」
「いや、俺、騎士団の予算書持ってきただけなんだが」
そうなのか。それは失礼したと思いつつ、ベレンガリウスは「ああ、そうなの」とだけ返答した。
「ディエゴ。要望書が上がってきてるはずだろ。見せろ。アミル、そこにある法律書をとってくれ」
「うぇ!? どれですか!」
アミルカルが控えている場所の背後に壁いっぱいの可動式本棚があるが、法律書は刑法、民法、軍法など、様々な法律書が入れられている。
「憲法書第六巻と議会法書」
「わかりました」
アミルカルがその分厚い法律書を手に取った時、ヒセラがお茶を運んできた。アドリアンとフアニートにお茶をだし、ベレンガリウスの前にはマグカップを置いた。
「殿下。法律書です」
「そこに置いて」
ベレンガリウスはペンでマグカップとは反対側を示した。アミルカルがそこに重ねた法律書を置いた。ベレンガリウスはまず要望書に目を通した。
「詰めがあまい。議会を解散したいなら、そのメリットを示せ。というか、解散ならともかく、完全に撤去することなんてできるわけないだろ。これ、エフラインのところで止められなかったのか?」
「宰相閣下が殿下に丸投げしました」
「……」
ベレンガリウスがうんざりした顔になった。いつかあいつ殴ってやる、と思いつつ、きっとできないのだろうな、と思う。
「殿下。せっかくの美貌が台無しですぞ」
笑いながら指摘してきたのはアドリアンである。ベレンガリウスはそちらを見てため息をついた。
「邪魔するなら出て行け」
ちゃっかり居座っているオルティス親子に告げる。ベレンガリウスは法律書を開き、要望書に書き込みを入れていく。法律に反しているところを指摘していくのだ。官僚と言うのは基本的に頭が固いので、こういう指摘出しが必要なのである。そもそも、感情で推し進めれば負ける。
時には感情論も必要なことはわかっている。だが、その前に理詰めだ。ベレンガリウスは自分が感情的な人間であると思っているので、よりそう思うのかもしれない。
がんがん、と扉がノックされた。失礼します! と入ってきたのは何故か第三妃レアンドラだった。というか、返事もしていないし、ノックの仕方もおおよそ身分の高い女性らしくなかったのだが。
「ま、まあ。これはオルティス公爵様。ご無沙汰しております。ご機嫌麗しゅう」
レアンドラは先ほどの気迫が嘘のようにスカートをつまみ、軽く膝を折った。アドリアンも立ち上がり、レアンドラの手を取る。
「お久しぶりです。レアンドラ殿」
そう言ってアドリアンはレアンドラの指にキスをする振りをする。実に気障である。すでに五十近いとはいえ、容姿の整った男性にそんなことをされて、悪い気分にはならないだろう。
「はい、感動の再会はそこまでだ。レアンドラ殿。何があった?」
レアンドラがめったに来ないベレンガリウスの執務室に来ると言うことは、エリカから緊急の伝言を預かっている可能性が高い。ベレンガリウスが視線をあげてレアンドラに尋ねた。
「ああ。そうですわ。エリカ様がベレンガリウス殿下を呼んで来いと」
「何故?」
「マルセリナ殿下とアレハンドラ様が大ゲンカ中なのです」
「自力で解決しろ」
何度も言うが、ベレンガリウスは問題処理係ではない。いや、そろそろ否定しづらくなってきてはいるけど!
「それができないからベレンガリウス殿下を呼びに来たんです」
「アレハンドラは自分より地位の低いものを見下すタイプの女性ですからね」
とヒセラもレアンドラを援護した。クリストバルの妃であるアレハンドラは、ヒセラの従姉にあたるから。たしか、アレハンドラはベレンガリウスと同じくらいの年だったか。
「ベガ。いってやりなよ」
などと言うフアニートは絶対に面白がっている。自分がまきこまれないからと言って、暢気なものだ。
「やめろ本気で。胃潰瘍で倒れるからな、私は」
「この時期に!? やめてください! 倒れるならあと二ヶ月は待ってください!」
ディエゴが悲鳴のように言った。ベレンガリウスはうっかり真に受けてしまった彼に「冗談だ」と答えると、立ち上がった。
「あー、もう」
「殿下。背中に哀愁が漂っておりますぞ」
悪態をつくベレンガリウスにアドリアンが言った。彼は半笑いで続ける。
「疲れた中間管理職のようですな」
「父上、それ、言いえて妙ですね」
「そこの親子、失礼だぞ」
しかし、実際ベレンガリウスは中間管理職なので、アドリアンの言葉は的を射ているのかもしれなかった。
「殿下」
レアンドラがベレンガリウスを呼ぶ。ベレンガリウスは「ん」と反応を返した。
「今行くよ。ほら、ヒセラも行こう。ディエゴ、しばらく頼む。下院の件、一応調べといて」
「了解しました」
再び置いて行かれるディエゴだが、わかっているとばかりにうなずいたのでよしとしておく。
「俺たちも行くか?」
とフアニートがにやにやと尋ねてくる。
「話がこじれそうだからいい」
ベレンガリウスはすげなく断ると、最後に言った。
「出ていくときは、ディエゴに伝えてからいってくださいね」
「わかりました」
アドリアンが慇懃に頭を下げる。やはりこいつ、腹の底が読めないな、と思った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
なんとなく、中間管理職って疲れている気がします。すみません。偏見です……。