【2】
本日二話目です。
第二王子ベレンガリウスは何か起こるとぶちぎれることで知られる。だが、キレる相手は人間ではなく、主に物だ。花瓶や壁、皿などが対象となる。本も被害を受けたことがない。
要するにあたる対象を選んでいるのだ。自分に絶対に必要なものには当たらない。その代り、皿や花瓶と言う割れ物が次々と失われていくのだが……。
ひとしきりキレて暴れた後、落ち着くタイプの人間なので、ベレンガリウスが暴れだしたらひとまず放っておくことになっている。気がすんだら冷静冷徹な思考が戻ってくるのだがら、皿や花瓶がどうしたと言うのだ。
そのベレンガリウスは今、私室でフアニートと酒杯を交わしていた。昼間はそのままベレンガリウスが政務の処理に追われてしまったため、結局詳しい話を聞けずじまいだったのだ。
「それで、我が兄上殿はどういった考えをお持ちなのかな」
ベレンガリウスが皮肉っぽく言った。もちろん皮肉である。フアニートはそれを面白そうに眺めながら言った。
「国境要塞は落ちていない。兵力も残っている。もう一度せめて来たら、逆にロワリエに攻め込んでやると息を巻いていた」
「あー……」
これはダメなパターンだ。クリストバルならいいかねない言葉だし、失敗する気配しかしない。ベレンガリウスが動けなかったので、せめてフアニートをと行かせたのだが、効果はなかった。フアニートがベレンガリウスの回し者だとわかっていたから、忠告を聞かなかったのかもしれない。
「せめて、兄上をいさめる臣下がいてくれたらいいんだけど」
クリストバルは思い通りにならなければ斬る! と言うような人間だ。当然、周囲はクリストバルに同調するものばかりになる。そのために脳筋集団が出来上がったのだ。なお、その代わりにクリストバルに見放されたまともな判断力の持ち主はベレンガリウスの方に流れ込んでくることが多いので、これはこれで得しているのかもしれないが。
だが、状況的には全くよくない。とにかく、国境のロワリエ軍を退かせなければならない。
やはり、兄の軍を一度退かせて、代理の軍を国境に投入。これらは戦闘を行わず、ただの守りだ。その後、体勢を立て直した兄の軍に合流し、再戦を行えばいい、とベレンガリウスは考えたのだが、この『退く』と言う言葉に過剰に国王が反応してしまったのだ。頭に血が上っていた。言葉を間違えた、と思った。だが、吐きだした言葉は戻せない。
「侵略されるのでは、と思ったら不安で夜も眠れん」
「ははは。頑張れ」
他人事のようにフアニートはベレンガリウスにエールを送った。現状としては、確かに他人事であるから。
最も、ベレンガリウスが心配しているのは侵略されること自体ではなくて、侵略され、その後ロワリエ軍を追いだした時の処理の面倒さである。戦争は長引けば長引くほど戦後処理が面倒になる傾向がある。双方被害が増えるからだ。その調整を誰が行うのか? フェランディス側はもちろんベレンガリウスである。
「帝国やダリモアが攻め込んでこないのが幸いだな」
「まったくだ。皇帝もダリモア王も思慮深いと言うのに」
何故うちとロワリエは、とでも言いたげな口調である。戦場に出ているのはクリストバルなのに、なぜかこの戦争で一番割を食っているのはベレンガリウスであった。解せぬ。
帝国とはハインツェル帝国のことで、かの帝国は大陸の四分の一を領土としている大国家である。フェランディスはロワリエのほかに、帝国とも国境を接していた。
一方のダリモア王国は西側に海を挟んだ隣国であった。どちらの国の君主も、思慮深く聡明であるとして有名だった。
それらの国が攻め込んでこないから、挟撃されないだけましと言ったところだろうか。ひとまずは、目の前の敵だけ注意していればいいのだから。
ベレンガリウスはグイッと杯を空けた。酒精の弱い酒がのどを滑り降りる。
「ひとまずは、私が現地に行かずとも何とかなる策を考える!」
「そうだな。たぶん、行けないからな、お前」
うんうんとフアニートが同意を示した。無性に腹が立ったが、事実なので何も言い返せないベレンガリウスであった。そもそも、自分で言ったのであるし。
△
翌朝、美しい旋律を聞いて目が覚めた。ベッドに手をついて起き上がる。どうやらその旋律は隣室から聞こえてくるようだ。ベレンガリウスは長いガウンを羽織ると寝室から私室に出た。
「おはようございます、殿下。よく休めましたか」
そう言って微笑んだのはエキゾチックな女性だった。緑の黒髪に紫の瞳をしたなかなかの美女で、ドレスを纏っているがオリエンタルな雰囲気があった。それも当然で、彼女は東方の民族の血が入っているのである。
ヒセラ・エレディア。エレディア侯爵の長女であるが、正妻の子ではない。エレディア侯爵が妾に産ませた子なので正妻に疎まれ、そこをベレンガリウスが拾ってきたという事情がある。
ただ、虐待を受けていたヒセラを拾って来ただけではない。彼女には不思議な力があり、占い師なのである。基本的に無神論者であり現実主義者であるベレンガリウスであるが、彼女の占いは信用していた。なぜなら、彼女の占いは統計学に基づいた立派な学問であるからだ。
「おはようヒセラ。おかげでぐっすりだ……で、そこのフアンは一体何をしているんだ」
ヒセラの奏でる竪琴に人の部屋で我が物顔で耳を傾けていたのはフアニートである。しかも、何故か長い上着だけ羽織り、その下の上半身は裸だった。
「しかも、よく見たらその上着、私のだな」
ベレンガリウスが指摘すると、フアニートは悪びれなくにやりと笑った。
「邪魔してるぞ。というか、昨日そのまま寝落ちたから昨日からずっといるんだが」
「何だそれは。帰れよ」
「そう言うなって。俺とお前の仲だろ」
そう言ってフアニートはソファに寝転ぶ。ヒセラがくすくすと笑った。ベレンガリウスは頭をかく。適当に束ねた髪が余計にぐしゃっとなった。
実際、この男が勝手にベレンガリウスの私室に泊まって行くのは今に始まったことではない。彼の家、つまりオルティス公爵邸は宮殿の外にあるので、帰るのが面倒だと泊まって行くのだ。なら、宮殿の客間を使えよ、と言う話ではあるが。
「で、お前、なんで私の服を着てるんだ。そして、何故その下は裸なんだ」
話を戻して尋ねた。いわく、昨日、シャツを酒で汚したらしく、洗濯中。寝ている間はシーツにくるまっていたからよかったものの、朝から上半身裸でうろつくのは気が引けた。なので、ベレンガリウスの服を借りようと思った。
「思うなよ」
「ヒセラがいいと言ったんだ」
思わずヒセラを見ると、彼女はニコリと笑って見せた。ベレンガリウスはため息をついた。
「それで、服は着られなかったんだな」
「その通り! お前、細いな」
「馬鹿か。一回りは体格が違うんだぞ。当たり前だ」
そう言って寝巻の上にガウンを羽織った姿で腕を組むベレンガリウスは、決して小柄ではない。かといって長身であるわけでもなく、線も細い。対してフアニートは長身で体格も良い。細身のベレンガリウスの服を着られるわけがないのだ。それで、ゆったりとした上着だけ纏っているのだろう。だが、肩幅と袖の長さが足りていない。そのため、少々間抜けである。
「まあ、着替えもしたいし、一度俺は屋敷に戻る」
「その格好で? 変態か」
「変態言うなよ。肉体美だ肉体美」
「……まあ、よい筋肉であるとは思うが」
思わずベレンガリウスは同意してしまったが、その言葉にフアニートもヒセラも若干引いた。
「お前に言った俺が馬鹿だった……」
「相変わらずの筋肉マニア」
ヒセラも何気にひどい。仕える主をなんだと思っているのだろうか。短気なベレンガリウスはいらっとしたが、さすがにこれでキレることはなかった。代わりにため息をつく。
フアニートがヒセラの調達してきたシャツに着替えてベレンガリウスの部屋を出ていくと、こちらも身支度にかかった。とりあえず、ヒセラはぼさぼさの髪の毛が気になったらしい。
「そこに座ってください。髪を梳きますから」
「適当でいいのに」
「駄目です。せっかくきれいな御髪なのに」
ヒセラはそう言うが、ベレンガリウスの髪はありふれた金色だ。むしろ、緑の黒髪と言う不思議な色彩を持つヒセラの髪の方が美しいと思う。
ヒセラもなかなかの美人であるが、ベレンガリウスもかなりの美貌だった。金髪にエメラルドグリーンの瞳は涼やか。顎は細く、顔は小さい。髪はセミロング程で、たいてい一本に結びあげているが、たまに下で束ねたり、三つ編みになったりする。本人いわく、その日の気分だ。秀麗な面差しをしており、臣下たちに言わせるとベレンガリウスは、『貴公子めいた優男風』の顔立ちなのだと言う。いまいち意味が分からない。
ヒセラがとかした髪をつむじでポニーテールにする。ヒセラに礼を言って、ベレンガリウスは淡々と着替えた。宮殿にいるときはシャツにスラックス、ブーツ、ネクタイ、ローブと言う姿でいることが多いベレンガリウスだが、外出するとなるとローブがジャケットになる。
朝食をとっている間にもベレンガリウスの元には報告が入ってくる。それだけではなく、相談を持ちかけてくるような者もいる。そういった相手の対応をしていると、なかなか食事が進まない。
「くっそ。霞を食べて生きていけたらいいのに」
現実主義者であるはずのベレンガリウスがそんなことをこぼすくらいには、忙しかった。ベレンガリウスがいなければ内政が回らない、とすら言われるほどで、さすがにそれは語弊があるが、とにかく忙しいのである。
きっちりとシャツを着こみ、優雅に朝食をとっていると私室にまで執政官のディエゴが現れた。
「殿下ぁぁああっ! アレハンドラ様がライオンが欲しいなどと申しております!」
「ああっ!?」
不機嫌な声が漏れてディエゴがびくっとした。給仕をしていたヒセラも「まあ」とばかりに驚きの表情になった。ベレンガリウスは手に力を込めたが、持っていたスプーンは曲がらなかった。
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主人公、残念な子……。