【13】
「結構いい勝負だったわね」
などと言ったのは皇妃ニコレットである。気づいたら修練場でヴォルフガング帝VSベレンガリウスの仕合を見ていたのである。
「だいぶ手加減していただきましたが」
そう言ってベレンガリウスは苦笑した。場所は修練場から移り、皇妃の庭にある東屋である。何故かひと暴れした後にお茶に誘われたのである。アミルカルも誘われたのだが、彼は青くなって辞退し(小心者である)たので、代わりにヒセラを連れてきた。まあ、彼女は東屋の外で待機しているのだが。ニコレットの侍女と何やら話している。
しかも、気づいたら人数が増えている。どこで捕まったのか、エミグディアとミカエルの夫妻、さらにギルバートも一緒だった。正直夫婦二人の仲に放り込まれるのはさしものベレンガリウスも嫌だったので、ギルバートがいてくれたのはありがたいと思う。
「そんなことはないぞ。持久戦にならざるを得なかったのは、お前に隙がなかったからだ」
要するに決定打が打ちこめなかったと。それってベレンガリウスが「骨を折らないでくれ」と言ったからのような気もするが、ベレンガリウスは力なく笑うにとどめた。
「それにしても、何か腹が立つようなことでもあったのか? かなり荒れていた気がするが」
「一体いつから見ていたんですか、陛下は」
思わず突っ込んでしまうベレンガリウスである。紅茶に砂糖とミルクを入れてスプーンでぐるぐるかき混ぜる。
「うちのお兄様、結構短気ですよ。フェランディスの宮殿では怒っている姿しか見たことがないくらい」
にこにことエミグディアが言った。いや、笑って言うことではないだろう。
「そうなの? 意外~」
ニコレットが隣にいるエミグディアを見て、それからベレンガリウスを見て言った。ベレンガリウスは苦笑した。
「怒るくらいでないと心が折れてしまうので。私、小心者ですし」
「どこが?」
全員からツッコミが入った。失礼な人たちである。
「まあ正直なところ、何とかした方がいいんじゃないの? 今日だってフェランディスから使者が来てたでしょ。何でもお兄様に頼り過ぎなの」
と、エミグディアが他国に知られるのはちょっと、と思うことを暴露する。ほら、ヴォルフガングが「ほう」と目を輝かせている。
「つまり、ここでベレンガリウスをフェランディスに戻さなければ、簡単に国ひとつ手に入ると言うことか」
「あ、治めてくださるのならいつでも侵攻してください」
「それはお前がやれ」
あっさりと投げられて、ベレンガリウスは思わず舌打ちした。ヴォルフガングが「お前、本当に豪胆だな」と苦笑を浮かべている。
ベレンガリウスがいなければ、フェランディスは遠くないうちに内部から崩壊するだろう。ベレンガリウスがいることで、あの国は微妙なバランスを保っている。
「ここだけの話だが……」
ヴォルフガングが身を乗り出してベレンガリウスにささやくように尋ねた。
「お前、本当に王になる気はないのか?」
「ありません」
即答である。最高決定権が欲しいと思うことはあるが、王になりたいとは思わない。成り行きで即位する可能性はなくはないが、『気』があるか、と言われるとない。
「それは残念だ。その気があるなら支援してやるのに」
「まあ、帝国は周辺諸国の情勢が微妙ですからね。フェランディスくらいは安定してほしいと言ったところですか」
「お前、ニコラと別の意味で怖いな」
さらりとヴォルフガングの心情を言い当てたベレンガリウスは、皇帝の言葉に肩を竦めた。引き合いに出された皇妃が「ちょっとー。どういう意味?」とむくれている。相変わらず、ベレンガリウスと同い年とは思えない無邪気な様子である。
ヴォルフガングとニコレットがいちゃつき始めたため、ベレンガリウスは視線をそらして皿に盛られたマフィンを一つ手に取った。
「ベガは女王になる気はないんだ」
隣にいるギルバートに再度確認され、ベレンガリウスは「そうだね」とうなずきながらちぎったマフィンを口にいれた。それを咀嚼して飲み込んでから言葉を続ける。
「フェランディスも、女の王がいなかったわけではないけど、やっぱり男がいるのに女が王になるのは難しいよね」
結構現実的な問題を提示したベレンガリウスだった。この御仁ならそんな些細な問題、あっさりと片づけそうな気もするが、何分本人のやる気がなかった。
「っていうか、わたくしとしてはお兄様に自分が女だと言う自覚があったことの方が驚きだわ」
「私はエミと話してると、時々自分の性別がわからなくなるよ」
この兄弟、相変わらずであった。似た者同士である。エミグディアの夫であるミカエルは苦笑を浮かべて「似てるよね」とつぶやいている。
エミグディアの言うとおり、ベレンガリウスは『自分は女だ』という自覚がある。別に同性愛者に偏見はないが、ベレンガリウスは同性愛者ではない。たぶん。男のような振る舞いなのは、その方が楽だからであって、自分が男だと思っているわけではない。
「女王になる気がないならさ。僕の王妃になるとかどう?」
さらっとした口調でギルバートが言った。さらりと言われたので、軽口のようにも見えるが、冗談にしてはたちが悪い。
「それはないね。申し訳ないけど」
ベレンガリウスが苦笑して断ると、何故かヴォルフガングが大きくうなずいた。
「そうだな。お前は王妃なんかで収まるような人間じゃないな」
「失礼かもしれないけれど、お兄様と皇帝陛下が組めば大陸くらい制覇できるんじゃないの?」
エミグディアの本当に失礼な言葉に、ニコレットなどは「何かわかる~!」とはしゃいでいる。何か仲良くなっているな、ここの二人。
そして、自分の愛妻が騒いだからだと思うが、ヴォルフガングもこんなことを言う。
「いいな。やってみるか?」
「嫌ですよ。大陸を征服することはできても、支配することはできません。基本的に、戦争ってのは戦後処理の方が面倒なんですからね」
現実的なベレンガリウスに、ヴォルフガングが呆れた。
「お前、つまらないって言われないか?」
「夢も希望もない、非情、悪魔、冷血漢と言われたことはありますね」
「それ、誰に言われたの? 失礼ね」
「お前だよ、愚妹」
エミグディアも容赦なく言葉を挟んでくるが、自分で自分の首を絞めていた。「あら」と取り繕うように笑っている。言うほどベレンガリウスも気にしているわけではないので、それ以上は何も言わなかった。
「殿下。誰かが近づいてきます」
背後からベレンガリウスにささやいたのはヒセラである。ベレンガリウスは視線だけヒセラに向けて目を細めた。
「女官かな」
ニコレットが首を傾げた。確かにその可能性が最も高いが、ただの女官ならヒセラはわざわざ忠告したりしない。
「失礼します」
木の陰から現れたのは確かに女官だった。黒髪をきっちり結い上げ、ハインツェル帝国宮殿の女官のお仕着せを纏って没個性的である。
その女官はトレーにタルトを乗せていた。普通に茶請けの菓子を持ってきただけに見えるが、タルトを切るためのナイフが乗っている。ヒセラの忠告もあり、みんな微妙に警戒していた。平然としているのはニコレットくらいである。
ニコリと微笑んだ女官だったが……一瞬の間にトレーに乗っていたナイフをつかむと、一番近くにいたエミグディアに向かってナイフを振りかぶった。しかし、護衛のために残っていた帝国兵士がその女官の手をつかんだ。
「陛下! 今のうちに避難を!」
兵士の指示に従うようにヴォルフガングが立ち上がり、ニコレットを発たせた。他の四人も続くが、ベレンガリウスは東屋の椅子を蹴って兵士と女官に肉薄した。
「背後から襲おうなど、いい度胸じゃないか!」
ベレンガリウスは兵士の腰の剣を引き抜いた。そのまま兵士に斬りかかる。
「お兄様!?」
エミグディアが悲鳴のような声を上げる。ベレンガリウスは剣を手にしたまま女官の腹に蹴りを入れた。
「お前、容赦ないな!」
ツッコんだのはヴォルフガングである。ベレンガリウスは身を反転して兵士に斬りかかる。長剣を失った彼は、懐に隠していた短剣で応戦する。リーチが長い分ベレンガリウスの方が有利に見えるが、持久戦になればわからない。
「ベガ、代わって!」
ギルバートだ。確かに、ベレンガリウスは先ほどの訓練の疲れも残っているし、代わった方がいいのかもしれないと思う。
だが、ここにいるのは皇帝と皇妃と王太子二人と王太子妃一人。一人欠いてしまうのなら、第二王子……もしくは第一王女であるベレンガリウスだ。
というか、帝国主催の祭りで招待客が死ぬ方がまずいのか?
ふと、空気が変わった。次の攻撃のために身構えていたベレンガリウスも、手を出しあぐねてうろうろしている五人も固まった。
ベレンガリウスが蹴り飛ばした女官が立ち上がっていた。蹴りに立ち上がれないくらいの威力を込めたつもりだったが、そうでもなかったのだろうか。
女官……いや、女官服を着た黒髪の女性はうっそりと笑うとベレンガリウスを指さした。
「二番目の子はこの国に繁栄をもたらす。だがお前は偽りの二番目だ。しかし、お前を失うと破滅の予言が始まる」
「……何、お前」
ベレンガリウスが両手で剣を握りしめた。
そして、唐突に思い出した。数日前の早朝、ベレンガリウスの寝室に忍び込んできた女がいることを。
「……なるほどっ」
ベレンガリウスは遠慮なく剣を振り下ろした。相手は女だが、遠慮容赦なく剣を振り下ろしたのだが、手ごたえがなかった。
「お前、殺したのか!?」
『残虐皇帝』とすら言われるヴォルフガングが驚いたように尋ねた。まあ、この二つ名は意図的に流された形跡があるので、鵜呑みにしてはいけないものだとベレンガリウスもわかっている。
「いえ、手ごたえがありませんでした」
ベレンガリウスは剣をふりながら答えた。人を斬ったにしては手ごたえがなかった。それどころか斬られたはずの体がなかった。
「あの女官は?」
「……いないな」
近づいてきたギルバートが言った。二人は思わず目を見合わせた。みんな女官が消えたことに注目していたが、一人だけ違うことを言った。
「今の、予言?」
ベレンガリウスは発言者を振り返った。皇妃ニコレットがじっとこちらを見ていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
一応予言シリーズなので、予言が出てきます。
たぶんベレンガリウスも予言者を切り殺しちゃうタイプ。