【10】
ズバッと言ってのけたベレンガリウスに対し、ニコレット妃が何故か庭を見に行こうと言いだした。ヴォルフガング帝はいつまでも付き合っているほど暇ではなく、政務に戻る代わりに自分の代理としてマルクスと言う三十歳ばかりの青年をよこした。ニコレット妃の護衛でもあるらしい。
まあ、実際はどうあれ、はたから見れば帝国皇妃とよその国の王子が並んで歩いているわけで。できるだけベレンガリウスも中性的に見える格好をしてきているが、そう言う問題ではない。この場合はベレンガリウスの肩書の問題である。
お目付け役がいればそうそう問題にもなるまい、と言うことか。……たぶん。二人とも金髪なので、顔立ちは似ていないが後ろから見れば兄妹にも見える。たぶん。
というかそもそも、ニコレット妃の二人の息子を連れているので、あいびきに見えるわけがなかった。
「ベガッ。お待ちなさいっ!」
「うお!?」
いきなり愛称が叫ばれ、同時に膝の後ろが蹴飛ばされた。思わぬ攻撃をくらい、ベレンガリウスはバランスを崩して前に倒れそうになる。後ろからマルクスが腕をつかんでくれたので、倒れるのは免れた。
「ありがとう」
「礼には及びません」
にこりと笑ってマルクスが答えた。ベレンガリウスは振り返り、自分に蹴りをかましてきた人物を見る。
「いきなり何するんだ危ないだろ、と言うかお前、なんでここにいるんだ」
「花祭りに参加しに来たのよ。お兄様こそ、なんでいるの?」
「お前と同じ用件だ」
「それでなんでお兄様が来るの? いつもならクリスお兄様かサラが来るじゃない。フェランディス国内は大丈夫なの?」
「二人が来れなかったから代理だ。それよりお前、旦那はどうした」
「置いてきた」
日常会話のように気さくにポンポン言葉を交わす二人であるが、実際に会うのは五年ぶりになる。主にベレンガリウスが国内を出ないからであるが。
ベレンガリウスに蹴りをかましてきた猛者は、妹でありフェランディス第二王女エミグディアである。ベレンガリウスを『ベガ』と呼ぶ一人だ。
金髪に淡い緑の瞳をした彼女は、豪奢な金髪を肩の後ろに払った。北方の半島の先端にある王国、ヴァルティアに嫁いだエミグディアは美貌の女性である。別れた時は十八歳で、まだ幼げなところもあったのだが、五年の間に美貌に磨きがかかっている……。
「しばらく見ないうちに、きれいになったなエミ」
微笑んでそう言うと、エミグディアは呆れた様子でため息をついた。
「そんなだからお兄様、女の子にもてるのよ。っていうか、その人は?」
「ハインツェル帝国皇妃ニコレット様」
エミグディアがベレンガリウスの陰に隠れていたニコレットを見つけて尋ねてきたので、さらりと答えた。ニコレットはにこりと笑う。
「こんにちは。ベガの妹さん?」
エミグディアは淑女の礼をとった。
「エミグディアと申します。皇妃様とはつゆ知らず、見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません」
気さくな皇妃様は「気にしないで」とにこにこ笑った。エミグディアも笑みを浮かべてニコレットを見やる。何となく疎外感を感じてベレンガリウスはヒセラ、マルクスの二人と目を見合わせた。
「仲がいいのね」
「会うのは五年ぶりになりますが」
とニコレットとエミグディア。この妹は五年ぶりにあった兄、もしくは姉に膝かっくんをかましてきたのである。信じられない。
「エミグディアは他の国に嫁いでるのよね」
「エミ、で結構ですわ。北方のヴァルティアに嫁ぎましたの。フェランディスは南の方ですし、そうそう会いに行ったりはできませんわ」
「それはそうだね」
にっこりとニコレットが笑った。ちなみに、ヴァルティアも特殊な民族が暮らしており、その民族衣装や工芸品のデザインがかわいらしいのである。ベレンガリウスはエミグディアもニコレットに質問攻めにされるだろうなぁと思った。
「どちらへ行かれますの?」
「庭に行こうと思って。エミも一緒に行く?」
ニコレットが誘った。と言うか、人懐っこい皇妃だ。護衛であるマルクスもニコニコと見ているし、おそらくこれが通常営業なのだろうが……。
「ぜひご一緒させて……」
エミグディアが言いかけた時、「エミーっ」という声が聞こえた。なんだか聞き覚えのある声だ。ベレンガリウスは着ている上着の袖に両手を突っ込む。ちなみに、ミレレス紋様を織りこんだ羽織りである。帯剣もしているが、髪型は緩く編んでいるだけで一見して男か女か迷う格好をしている。
「もう、いきなりいなくなるなんて……」
「ごめんなさいね、ミカ。ベガの姿が見えたから」
平然と悪びれない態度で夫たるヴァルティア王太子ミカエルにのたまうエミグディアである。さすがだ。尻に敷いている感が半端ない。
「ああ、本当だ。兄上、ご機嫌麗しく」
「ああ、ええ。相変わらずのようですね」
一応相手の方が年上で他国の王太子なのでベレンガリウスも多少は気を使う。兄上、とベレンガリウスを呼んでくれやがるあたり、確信犯なのか天然なのかやや判断に困るところだ。
「ミカ。帝国皇妃ニコレット様の御前よ」
エミグディアがささやくと、ミカエルは悲鳴をあげた。
「も、申し訳ありません! ヴァルティア王太子ミカエルと申しますっ」
ちょっとかんだ気がしたが、ニコレットは気にするような人ではない。暢気に「よろしくね」とか言っている。
「エミ、皇帝陛下に拝謁できることになった。君も一緒だ」
「そうなの? なら仕方ないわね」
エミグディアは肩をすくめてミカエルの言葉にうなずいた。少し心残りがあるようだが、優先順位を見誤るような女ではない。
「それでは皇妃様。心残りはございますが、失礼いたします」
「うん。ヴォルフ様によろしくね。あとでお話しできたらうれしいなぁ」
「わたくしもですわ」
ニコレットは屈託なく、エミグディアはあでやかな笑みを浮かべてミカルと共に皇帝に拝謁しに行った。結局、最初のメンバーだけが残った。
「ベガはエミと仲がいいのね」
「母親が同じですしね。年も近いですし」
「エミはいくつなの?」
「今年、二十三になりますかね」
二十三歳、二人の子持ちだ。下の子がやや大きくなったので、エミグディアも花祭りに参加することになったのだろう。
年が離れているわけではないが、言うほど近いわけでもない。ただ、エミグディアに勉学を教えたのはベレンガリウスであるし、礼儀作法を一所に習った中でもある。さばさばとした性格のエミグディアは短気なベレンガリウスに良く突っ込みを入れていた。
「へ~。大人っぽいなぁ」
「あれは昔からしっかりしていましたからね」
ベレンガリウスは苦笑していった。二十歳を超えた女に、大人っぽいも何もないと思うのだが。
「ここが私の庭!」
と、ニコレットは子供二人と手をつないだまま振り返り、ベレンガリウスに向かって微笑んだ。
花祭りの時期なだけあり、花が満開である。おそらく、そう言う種類の花を植えているのだろうが、手配したのはニコレットだろうか。だとしたら、彼女はなかなかセンスがよい。
「きれいですね」
ありきたりな感想を述べると、ニコレットは「ありがと」と微笑み、ベレンガリウスを手招きした。そちらに行くと、ニコレットは薔薇の前に立っていた。その薔薇を見てベレンガリウスは微笑む。
「へえ。青薔薇ですね。珍しい」
青薔薇と言うのは自然界に存在しない。方法としては、青に近い色素をもつ薔薇同士を交配させるか、赤や黄色の薔薇から色素を抜くことだろうか。どうしても完全な青にはならず、紫に近い薔薇となる。この薔薇も青と言うより青紫である。しかし、これでも十分青薔薇と言える。
「そうでしょう~。まだ不完全だけど。こっちは交配で作って、あっちは色を抜いたの」
「なるほど。両方試しているのですね。対照実験ですか?」
「両方成功するとも限らないじゃない? 今のところ、どっちもいい感じだけど、やっぱり交配の方は別の色になることも多くって」
「まあ……別の色の薔薇を掛け合わせるわけですし、配列パターンとしてはいくつか生まれるのは仕方がありませんからね」
ベレンガリウスがさらりと答えると、目を見開いたニコレットが詰め寄ってきた。
「わかる? 私の話わかる!?」
「は? ええ、まあ……」
答えてからしまった、と思った。ニコレットは目を輝かせて意見を求めてきた。
「これが成功したら黒薔薇にも挑戦してみようかと思うんだけど、色を濃くするにはどうすればいいと思う?」
「……えーっと」
珍しく戸惑っているベレンガリウスを見て、ヒセラがため息をつくのが聞こえた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
膝かっくんは危険なので絶対にしないでください。
ミカエルの愛称って何になるんだろう。綴り的にミシェルかな。でも、ミカってかわいい気がします。