【5】
いつものことであるが、一晩寝ればベレンガリウスは完全回復していた。二日酔いもなし。この辺り、酒に強いのか弱いのかよくわからない。まあ、腹に入る量は少ないけど。
当たり前であるが、アミルカルはダウンしたままだ。寝ていても気持ち悪い。ちょっと潮風にあたってくる、と言うので、ベレンガリウスとヒセラもついて行った。要するに、暇だったのである。チェスやカードなどのゲームに興じていたが、チェスはベレンガリウスが圧倒的な強さを誇るし、カードは二人ではつまらない。そして、ベレンガリウスはカードとなると引きが悪いのである。この辺り、この御仁の運の悪さが出ている。
そう。基本的にベレンガリウスは引きが悪い。薄幸だ。なので、それが起こったのもある意味必然なのだろう。
海路と言ってもだいぶ陸地に近いところを走っているし、ぽつぽつと島も見える。この軍船は一見して軍船っぽくはないので、あり得ることではあった。
甲板に出ても相変わらずうめいているアミルカルに苦笑しつつ同じように海を眺めていたヒセラが、「ん?」と目を細めた。アミルカルを挟んで反対側にいたベレンガリウスが「どうした?」と尋ねる。
「いえ……あちらに、船のようなものが見える気がして」
「ん?」
ヒセラが示す方向を見るが、ベレンガリウスはヒセラほど目が良くないのでわからなかった。アミルカルは……役に立たないので放っておく。
「誰か、望遠鏡貸して」
軍船にしろ商戦にしろ、必ずひとつは望遠鏡が置いてあるものだ。案の定船員が望遠鏡を持ってきてベレンガリウスに渡した。それをのぞき、「あー」とうなる。
「ホントだ。来てるねぇ。商戦でも軍艦でもなさそうだね」
商船や軍船なら、所属の徽章を掲げているはずである。この軍艦もそうだ。偽装船なので掲げているのはベレンガリウスの領地に本拠地を置く商人のものだが。
だが、近づいてくる船にはそれがない。そこそこ大きな船が三隻ほど。ベレンガリウスは望遠鏡を返しながら言った。
「セグロラ艦長を呼んできて。海賊らしき船が近づいてきている」
「りょ、了解」
船員があわてて艦長を呼びに行く。ベレンガリウスは両の腰に手を当ててしばし考えた。その間にオダリスがやってきた。彼に話しかけようとしたとき、大砲の音が聞こえた。ベレンガリウスにも目視できる距離にまで来ていた海賊船が大砲を放ったのである。
船員たちが悲鳴を上げ、オダリスも蒼ざめた。
「撃たせておけ。どうせ当たらん」
しれっとそう言ったのはベレンガリウスだ。さしもの第二王子も海戦は初めてではあるが、一応方法は知っている。船に備え付けられた砲台は、船の側面から横を狙うことしかできない。そのため、まっすぐ『ビクトリア号』に向かってきている海賊船の大砲は、角度的にこの軍船を狙うことができないのだ。
逆に言えば、こちらからは海賊船を狙えると言うことであるが。
「まだ撃つな。この距離ではあたるかどうか微妙なところだろう。無駄に武器を消費するな」
砲弾ひとつにいくらかかると思っているのか。こちらも砲撃を! と叫ぶ船員に対し、ベレンガリウスは冷静に言ってのけた。
考えが若干政治的であることは否めないが、武器をできるだけ持っておくことは、この後海賊船と戦う時に必要なことだ。あちらはどんどん撃ってくるが、当たらないので放っておけばよい。
この船の長はオダリスであるが、王族であるベレンガリウスが乗っている以上、第二王子の意見を無視するわけにはいかない。
「セグロラ艦長。銃は積んでいるな?」
「ええ……クライバー銃とルクレール銃が積んであります」
どちらも狙撃用の銃だ。ルクレール銃は十年ほど前に開発された初の狙撃用銃であり、ロワリエ王国が生産国だ。クライバー銃は最新式の狙撃銃である。生産国は帝国だ。高価なので、型落ちしたルクレール銃が軍の標準装備となっている。
「クライバー銃を二丁借りたいんだけど」
「御意に」
王族に頼まれて断れるわけがない。それをわかっていながらのベレンガリウスの言葉だった。
「アミル。海賊船を撃てる?」
「……無理です。そもそも私は、銃はあまり得意ではありません」
「そうだったな。では、私とヒセラでやろう」
ベレンガリウスがそう決断を下した時、船員がクライバー銃を持って現れた。それをベレンガリウスとヒセラが受け取る。
「ヒセラ。向かって右側の船の操舵手を撃て。私は同じ船の見張りを撃つ」
「御意に」
ヒセラが舟べりから銃を構えた。彼女はたおやかな外見の女性だが、銃を持たせるとかなうものがいないほどの腕を持つ狙撃手だった。狙撃銃、という概念ができてから間もないが、彼女のような人間は増えつつある。
銃は女性の身でも扱える。多少反動があるが、それなりに腕力があれば、撃てる。小型の銃が出てくれば、護身用に持ち歩く者も増えるだろう。
ベレンガリウスは眼鏡をかけてヒセラと同じように銃を構えた。ベレンガリウスが狙うのは物見にいる見張り番だ。そのため、銃が多少上向く。
眼鏡はこの時代、高価である。入手できるのは王族の特権だ。ベレンガリウスは普段、眼鏡をしなければならないほど目が悪いわけではない。しかし、遠距離狙撃をするときはかけるようにしていた。多少視界がはっきりするからだ。
「同時に撃つぞ」
「はい。合図をお願いします」
ヒセラが同意したので、ベレンガリウスは眼鏡越しに海賊船との距離を測る。大体百五十ヤードと言うところか。最新式の銃とはいえ、まだ精密度は低い。正確に撃つならまだ百ヤードが限界である。
だが、ヒセラとベレンガリウスなら。
「三つ数えたら放つ。一、二、三!」
ベレンガリウスが数え上げると同時に、ヒセラとベレンガリウスが同時に引き金を引いた。その銃弾は正確に操舵手と見張り番を撃ちぬいた。
「次! 真ん中!」
ベレンガリウスの指示に従い、ヒセラも銃口を真ん中の船の操舵手に向ける。そして、見張り番を狙ったベレンガリウスと同時に引き金を引いた。寸分たがわず、こちらも撃ちぬく。
「っ! 伏せてください!」
ヒセラがベレンガリウスを引っ張り、身を沈めた。アミルカルとオダリスも身を伏せた。その上を石が飛んでいく。投石だ。小さな投石であるが、当たり所が悪ければ死んでしまう。銃ほどの長距離攻撃も正確性も無理だが、安価で今でも使われている武器である。
「突っ込んできます!」
投石が止んだので顔をあげた船員の叫びに、そりゃそうだろうとベレンガリウスは思った。海賊が船を襲うのは、積み荷を奪うためだ。
ふと、ベレンガリウスはヒセラを見た。美貌の彼女は眉をひそめる。
「何か?」
「……いや。連れてきたのは間違いだったかなぁと」
「今更何をおっしゃっているのですか」
呆れた表情でヒセラは言った。確かに、連れてきてしまったものは仕方がない。そして、ヒセラは簡単に捕まるような女性ではない。
海賊たちは船首に衝角をつけた船でつっこんできた。今の主流の軍艦は帆船であり、『ビクトリア号』も例にもれずそうだ。避けられない。
だが、それでよい。
「艦長! 大砲を撃たせろ!」
「はっ!」
オダリスは「放てぇええー!」と命じた。船の側面に取り付けられた大砲が放たれる。この時代の大砲と言うのは、爆弾のように当たった先で爆発するものではなく、威力の強い投石と何ら変わりはない。向こうの船を壊すだけだ。それでも十分な被害であるが。
さすがに船の勢いまでは止められない。だが、三隻とも被害を被っているし、二隻の衝角は壊れた。そのため、体当たりをかまされても船の被害は軽微だった。浸水もしなかった。
だが、代わりに海賊たちが乗り込んでくる。ヒセラが銃を放ちながら尋ねた。
「殿下、これからどうなさるのですか?」
「敵の退路を断つ。火をかけろ」
容赦のないベレンガリウスの命令である。だが、海賊船は『ビクトリア号』の近くを並走している。このまま火をかければ、『ビクトリア号』に火が移る可能性もあった。
ベレンガリウスは船に積まれていた槍で海賊に応戦した。白兵戦となれば、正規の訓練を受けている騎士たちの方が強い。若干役に立っていない気がする護衛もいるが、問題になっていないので無視する。
ベレンガリウスが振るう槍が海賊たちの数を減らしていく。だが、木でできた槍は負荷に耐えかねて中ほどで折れた。
「もらったぁ!」
海賊が嬉々としてベレンガリウスに剣を振り下ろそうとした。判断は早かった。ベレンガリウスは着ていたゆったりした上着を脱ぎ捨て、襲い掛かってきた海賊に向かって投げた。視界を遮られた海賊はひるむ。
もらったのはベレンガリウスの方だった。海賊がひるんだすきに腰の剣を引き抜き、海賊を切り捨てた。
ふと見ると、アミルカルが青い顔をしながらもヒセラをかばっていた。それでよい。現状として、アミルカルが守るべきはヒセラだ。海賊にとって、女も商品になりうる。ベレンガリウスの側に来られても、邪魔になるだけだ。
海賊と戦いながらベレンガリウスは後退する。船べりまで来たところでその縁を蹴り、海賊の一人に跳び膝蹴りをお見舞いした。ベレンガリウスの戦い方はなかなかアクロバティックである。それだけ身体能力が高いのである。
ベレンガリウスは文武両道を地で行く人間であるが、アミルカルや兄クリストバルに比べると、武術に優れているわけではない。とはいえ、彼らが規格外なのであって、ベレンガリウスも一般に比べると高い水準にある。
海賊船に火がかけられないので、いっそのことこのまま海賊を殲滅してしまおうかと思ったとき。
「なんだ!?」
さしものベレンガリウスも驚きの声をあげた。まったく別方向から砲撃があれば当然だろう。しかも、その砲撃は寸分たがわず『ビクトリア号』に引っ付いていた海賊船を撃破した。その前に一隻壊れているので、海賊船は残り一隻。
海賊たちが逃げられなくなる、とばかりにあわてて海に飛び込んでいく。逃げるのなら追う必要はない。ただ、ヒセラを連れて行こうとした海賊は切り捨てた。
生きている海賊が軍船の上からいなくなったのを確認し、ベレンガリウスは眼鏡の奥の目を細め、援護砲撃を行った船を見た。
「……あれは」
双頭の獅子。大陸西の島国、ダリモア王国の国旗だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
そしてまだ帝国に着かない!次回で到着します。帝国編、全部で何話あるんだろ。
ベレンガリウスは引きが悪いです。ババ抜きしたら必ずババを引いてしまうタイプ。でも、頭脳戦は得意なので、チェスとかは強いです。